虚構の案内人(ショートショート)

雨光

不要な契約

鉄の獣たちが、死んだように、静かに、並んでいる。


夕暮れの、中古車展示場。私は、その、墓標の列の間を、ゆっくりと歩きながら、次の獲物の匂いを、嗅ぎ分けていた。


私の言葉は、蜜であり、そして、蜘蛛の糸であった。どんな客も、私の、その、巧みに編み上げられた糸に、一度、絡め取られれば、もう、逃れることはできない。


私は、彼らの、ささやかな希望や、不安を、優しく、愛撫するように、言葉で、撫でてやるのだ。


そして、気づいた時には、彼らは、予算を、はるかに超えた、無用なオプションで飾り立てられた、鉄の塊を、恍惚とした表情で、契約している。


「すべて、お客様の、これからの、輝かしいカーライフのためなのですよ」


私が、そう囁くと、彼らは、まるで、麻薬でも打たれたかのように、ただ、こくり、と、頷くばかりであった。


その日の帰り道。


私が、いつものように、自分の愛車を、滑らせていると、ダッシュボードの中央に鎮座する、最新型のカーナビゲーションシステムが、奇妙な振る舞いを始めたのに、気づいた。


私が、自宅へと設定した、その、慣れ親しんだルートを、機械の中の女の声は、無視するのだ。

そして、見知らぬ、細く、暗い、寂れた道へと、私を、執拗に、誘導しようとする。


最初は、気まぐれな故障かと思った。


しかし、その、不気味な案内は、次の日も、その、次の日も、続いた。カーナビは、私の意志を、完全に、拒絶している。


画面に、赤い線で示される、その、推奨ルートの終着点は、いつも、同じ場所を、指し示していた。


それは、この辺りでは、誰もが避けて通る、古い、打ち捨てられた、火葬場の跡地であった。


やがて、カーナビから、声が、聞こえ始めた。


それは、もはや、あの、平坦な、機械の合成音声ではなかった。


私が、今まで、騙し、丸め込み、売りつけてきた、あの、無数の客たちの、か細い、しかし、どこか、怨めしげな、諦めを含んだ声が、何重にも、何十にも、重なり合って、私の耳に、響いてくるのだ。


『次の信号を、左にございます』

『この先、ご注意くださいませ、お客様』


その声に、逆らおうとすると、車は、まるで、意思を持っているかのように、ひとりでに、ハンドルを切り、その、破滅への道筋を、辿ろうとする。


私は、恐怖のあまり、カーナビの電源を、無理やり、引きちぎった。

しかし、声は、止まない。


今度は、車の、オーディオから、ETCカードの、あの、小さな挿入口から、エアコンの、ひやりとした送風口から、あの、無数の声が、私に、直接、語りかけてくるのだ。


『お客様、こちらの、最上級のフロアマットは、いかがでございましょう』

『お得な、保証プランも、お付けしておきますね』

『申し訳ございません、お客様。もう、断ることは、できないのでございますよ』


私は、車を、その場に、乗り捨て、自分のマンションへと、逃げ帰った。


部屋に、閉じこもった。しかし、その夜。


窓の外から、おびただしい数の、車のエンジン音が、聞こえてくる。


私が、震える指で、カーテンの隙間から、そっと、外を覗くと、そこには、信じられない、光景が、広がっていた。


私が、今まで、客に売りつけてきた、あの、無数の、色も、形も、バラバラな中古車たちが、ヘッドライトを、悪意に満ちた、白い光で、煌々と、点け、無人のまま、私の住む、このマンションを、幾重にも、幾重にも、包囲している。


そして、すべての車から、あの、カーナビの声が、一つの、巨大な合唱となって、夜の闇に、響き渡っていた。


『目的地に、到着いたしました。お疲れ様でございました』


その時、私の部屋の、固く閉ざしたはずのドアが、まるで、高級車の、あの、静かなドアのように、音もなく、しかし、抗うことのできぬ、絶対的な力で、ゆっくりと、内側へ、開いていった。


玄関の、その、深い暗がりの中に、一つの、人影のようなものが、立っている。


それは、人間ではなかった。


私が、客に、無理やり、売りつけた、ありとあらゆる、無用な「オプション」――カーナビ、ドライブレコーダー、エアロパーツ、高価なフロアマット、安物の芳香剤――それらが、ぐちゃぐちゃに、しかし、奇妙な、歪んだ、人型のシルエットを形作って、そこに、立っていた。


その、オプションの塊が、私に向かって、あの、無数の、客たちの声で、こう、囁いた。


「お客様。最後に、一つだけ、最高のオプションを、お付けいたしましょう」

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虚構の案内人(ショートショート) 雨光 @yuko718

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