『リバルゲンタ・ファントムファイターズ』002

 当直を終えての3日間の非番だ。

 遺跡を直しただけの埴生な賃貸平屋に必要程度だけ揃えた鉄管ベッドで、半裸のリチャードが目を覚ました。

「おはようございます。リバルゲンタ・ミラージャーナルです。天聖王522年9月24日、朝のニュースをお伝えします」

 壁掛けの扇風機が首を振って軋んでは、羽根をからからと弱風を吹かしている。

 安っけつな14インチのブラウン管テレビでは、整いすぎて色の一切が見えないエルフのキャスターが、モノラル音声で淡々とニュースを読み上げている。

「フリードリヒ・フィルム・アミューズメントシティは開場から1年を迎え、延べ来場者数100万人を達成しました。4月に公開されたカル・ポッペ監督の『写し鏡』のヒットを受けて……」

 カランを捻ってバスタブに水を貯めていく。

 全開に注がれるその水をコップに汲むと、リチャードは太い牙のでばった豚口を濯いで、そのまま歯を磨く。

「次のニュースです。アルガドラク山の保護活動はラング魔導国のディリーバ財団による支援を受け、銀龍神殿の再建計画が策定されました。財団関係者、魔導国の考古学者、聖王教融和派のカトラ聖皇が現地入りし、我が政府や学術陣との調整に入っています。これを受けて、アルガドラク連合王国は、西アルガドラク――ドラカゲント人民共和国との経済協力交渉において我がリバルゲンタに対し次のような両国共同の非難声明を……」

 トースターが鳴り、薄い食パンが程よく焦げて飛び上がった。

 冷蔵庫から取り出した冷え冷えのバターをトーストの焦げに塗りたくるたびに、じゅっじゅっと芳ばしく鳴くのを、リチャードは食欲を高ぶらせて楽しんでいる。

「ラング魔導国のファルク文化大臣が辞任しました。ファルク大臣は我がリバルゲンタを含む周辺国の歴史教科書選定において不適切な発言を繰り返し、我が政府とノヴァエルヴァンディア共和国が抗議していましたが……」

 熱いインスタントコーヒーには粉ミルクをよく混ぜる。

「空軍予算の削減案と警察軍増強案と外資に対する減税案は、聖王党を除く野党全派と与党リバルゲンタ市民連合議員の造反により否決が濃厚となりました。続いて水と電力の輸入協定ですが、ラング魔導国世論は我がリバルゲンタの提示額を拒否し、さらなる増額を促しています」

 フライパンの上の破裂した粗挽きウィンナーを、目玉焼きと一緒にこんもり敷いた乾燥キャベツの上に載せた。

「続いて天気予報です。リバルゲンタ湾からハルボーマブゼにかけての東側で、乾燥警報と光化学スモッグ警報が発表されています。お出かけの際はマスクとゴーグルを着用し、屋外作業を控えてください。洗濯物は今すぐ取り込むことをおすすめします。南のノヴァエルヴァンディアを襲った大雨前線は西のザナディニア方面へ流れ……」

 朝食を摂りながら、テレビを流し見しつつ、リチャードは昨日からずっと考えにふけこんでいた。

 ずっと以前から土地に棲まう銀龍に対して、リバルゲンタに縁もゆかりもない流浪の自分達が、なぜ敬礼を欠かさないのか。

 周りの人間やエルフが無自覚でやっていることに異論はないし、それに誇りと連帯感を持てるから、きっと良いことなのだろう。

 しかし、それでもオークである彼には、この心中にある感情や、その根源が何なのか、気になって仕方がなかった。

 朝食を片付けてゴミ袋を縛り、トイレを済ませてバスタブの温湯に浸かる。

 無心を装って緑肌の垢を擦って、豚鼻下のカイゼル髭を丹念に整えても、振り払うことができない。

「ふむ……」

 リチャードは、非番の3日間で答えを見つけてやると決意した。

 オーク基準では細身でも人間としてみれば十分太い下半身に私服のチノパンを履いて、はち切れそうなノースリーブのジャケットのボタンをどうにか留める。

 身分証と受令機とアルミのシガーケースとくしゃくしゃの高額紙幣と裸の硬貨とを雑にポケットへ突っ込んで、食卓に置かれた多機能電話機の留守録を押す。

 答えが出ればいいなと願いながらグラサンをかけ、サンダルをつっかけて、気晴らしと買い出しに軽自動車を出したのだった。


 国内最大のショッピングモール『メルカートス・リバルゲンタ』に入るスーパーで1週間分の買い物を軽自動車の背高いハッチバックに収めたリチャードは、立体駐車場に直結しているシネコンを覗こうと連絡通路をのしのし歩いていた。

 途中にゲームセンターがあった。格闘ゲームの筐体がうるさいばかりで特に賑わっているわけではないが、聞き覚えのある黄色い悪態と筐体を蹴る音に、オークの眉間が歪んだ。

「だってこいつ、いつまでもハメ技かけるもんだから……しっかも、名前がむかつく」

 『ミュミラ』と名乗る遠隔対戦の高飛車お嬢様なキャラクターが、ミネルバが愛用する世紀末ゴリマッチョのKO姿に、勝負あっても挑発を続けている。

 ……黒革ビスチェの光沢はスレンダーであってもダークエルフとしてメリハリのあることを強調しているが、この不良娘が自分のナビだと思うと、リチャードとしては色香に惑うより頭がとても痛い。

 ラシャ張りの丸椅子に胡座するミネルバは、昨日よりもバツ悪くリチャードを見上げた。

「たく……ミネルバ・ダンケンクさんよ。今度街で騒いだら減給じゃ済まないって言われてただろう」

 警察軍へ通報しかけた店員に口止めを買い出しの釣り銭で支払って、借りた猫より大人しくなったミネルバをシネコン途中の喫茶店に投げ込んだ。

 注文を受け取った店員から陶磁器の軽い灰皿をもらって、それぞれがタバコを1本取ると、緑肌の豚口と桃色の柔らかい唇とに咥える。

 テーブル脇のサイドポケットに挟まっていた昨日の新聞をリチャードが見つけた。

 『凄惨なザナディニア戦線から脱走してきた人造魔族の兵隊達が、ラング政府の依頼で動いている冒険者ギルドの保護を伴って中隊ごとアルカドラク国境で検疫を受けている。1週間後には首都ハルボーマブゼに招かれて、リバルゲンタ大統領とラングの代表者が謁見する見通し』という記事を読んで、「なんだかなぁ」とため息をつく。

 運ばれてきた冷えたパフェに舌鼓を打つミネルバを向かいに、豚口の牙でピラフを噛むリチャードは、程よい塩気と小海老の弾力に満足を覚えつつも、新聞記事のせいで敬礼を欠かさない理由がますますわからなくなっていた。

「どうしたの?」

 コーンフレークのカスが口元についているミネルバが、リチャードの渋柿を食べたようなしかめ顔に理由を尋ねてきたので、リチャードは折り畳んだ新聞の一面記事を指さした。

「アホを極めている聖王教国とレコンキスタの中でも、ザナディニアは特にひどいからな。いくら魔界でも人造魔族でも、人の心があるからにはこうなるって」

「それはそうなんだがよ……」

 ガラスカップごと持ち上げて最後の1滴までクリームを掬い上げて舐めきると、「ごちそうさん」とミネルバは満面の笑みで言うものだから、「おごりじゃねえぞ」とリチャードは釘を刺した。

「リバルゲンタって文字通り何もないからな、ラングにとっちゃこれほど使いやすい属国もないだろうから、こうもなるけどよ」

「そうだね」

 ミネルバは頷いた。リチャードに同調して自分の思いを吐き出した。

「あたしらが守っている空の下って結局『無』の掃き溜めで、それをどんなに掛け算したってゼロなわけで。ノヴァエルヴァンディアの士官学校をドベで卒業してやらかしてから、ずっとこっちの空軍にいるけどさ……受け入れてくれたのは嬉しいけれど、やっていることはとても虚しいよ」

 ピラフの盛られていた皿は平らげられて、オークの大きな右手でかちゃんとスプーンが置かれた。

 ストローに気づかないまま冷たいミルクセーキをがぶっと飲んだら、牙つきの豚口に白い髭ができていた。

「国を守る。ひいてはリバルゲンタ国民の安全を保障する。それが俺達の仕事だ」

 リチャードの弁による公的見解にミネルバだって否定できないが、それでも疑問だった。

 だからミネルバはぶつける。

「そのリバルゲンタの国民が持っているのって、ラングが整えたインフラや、黄金連合が作ってくれた石油産業とテーマパークで得た多少の財産と、てめー自身のタマだけだよ。あたしはここの人達が大好きだし、それを守るのに空軍を続けてさ、ファントムを飛ばしているのはなんとなく理解してるけどさ……」

「なんでリバルゲンタでなければならないか、別にラングでもいいだろうってことか?」

 リチャードの声色はきついが、ミネルバは真剣して首を激しく横振りした上で、それでも疑問をぶつけた。

「『ない』ものが『ある』と思い込んで守るんならまだわかるさ。でも、なんで形からないものを『存在しない』って認めてまで飛べるのか、それが不思議なんだよ」

「……そうだな。本当に不思議だ」

 同じラングの航空士官学校を中ほどの成績で出てから、独立以前のリバルゲンタに配属されたリチャードも心から同意した。

「ほんと、なんでこのリバルゲンタは、昔の名前をそのまま引き継いだんだか。ただの事務処理の問題?」

「そうは、思いたくねえけどな」

 レジ前でミネルバが引きつった笑顔で空財布を見せてきたので、その銀短髪にリチャードは太い平手で空手チョップを決めてから、後腐れなく全部奢ることにした。

「次の給料日まで2週間はあるだろ」

「隊長や司令から前借りしたり、まあみんなから恵んでもらうさ」

「お前な……」

 駐輪場に停められたステッカーだらけの魔界製安オートバイのスターターを14回蹴り、やっと2ストの125ccエンジンを甲高く響かせる。

 半ヘルのひさしを上にあげたミネルバが「じゃ、次の当直で」と声を弾ませると、リチャードの返事よりも先に発進し、球切れウィンカーの代わりに手信号で幹線道路を左折していった。

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