第5話 恨みの過去

 狼男はこちらを向き、口から汚れたカードキーを取り出す。

 そうして地面へボトリと落とし、銀爪を見せた。


 顔へと飛び込んできた爪を躱すが、喉元に何かが触れる。

 間違いなく、あの爪。

 僕とはこんなに差があるのか、さすがだ。


 やはりコイツなら、吸血鬼を全員殺せる。

 この高揚する気持ちも、復讐も、まだまだ続きがあるんだ……!

 動きを止めた狼男は、僕の目を覗き込むように見つめていた。


「どうした? 殺れよ。父と母と同じようにさ」

「俺の目を見続けろ」


 目を逸らした瞬間、肌に熱く、血が伝うのが分かる。

 ……クソッ、やっぱ死にたくない。

 

 狼男の鈍く光る、金の反転目を再び見始めると、クラっとし、死んだはずの少女の影がこちらへ振り向いた。


「お前に呪いを分けてやるよ、アルディ」




「──グラシア。おめでとう」


 死んだはずの吸血鬼は、ひどくやつれた姿に変わり、高級ホテルのホールに立ち尽くしていた。

 人間と吸血鬼が笑顔で拍手を送り、注射後のガーゼに触れるグラシアを祝福している。


「今までご苦労様」

「ありがとうございます。お父様、お母様」


 人間の男と吸血鬼の女が、グラシアに抱き付いて泣き崩れていく。

 黒い法衣に赤のマントを羽織る初老の紳士、いいや。

 吸血鬼の親玉、クァンタム卿の手からグラシアへと、赤い液体の溜まったワイングラスが渡される。


「これからキミは上級種族、吸血鬼の仲間入りだ。今日は記念すべき式典。さあ、祝杯の盃を頂きたまえ」

「ありがとうございます」


 グラシアはグラスの中身を飲み干すと、小さくため息を吐いた。

 辺りから、一際大きな拍手が鳴り響く。

 泣き崩れていた母親が、グラシアを見上げる。


「ようやく、栄養を摂れるようになるのね」

「ええ、お母様。ひ弱だった私目も、これからは皆さまと同じように暮らして行けます」


 やつれていたグラシアは、見たことのある姿へと変わる。

 薄暗い地下室中で、枷の付いた人間から牙を離す。

 母親から注射針を腕に突き刺され、血を抜かれていく。


「いい子ね、グラシア。終わったら、今日もお外で遊んでいらっしゃい」

「はい」


 また、場面が変わる。

 見覚えある町並みの広場で、人間や吸血鬼の子供たちが入り混じり、遊び、笑い合う。

 目の前に座り込んでいた僕へ、グラシアが近寄っていった。

 僕は、この忘れたい記憶を憶えている。


「お一人なのですか?」

「……何だよ、吸血鬼。日陰から平気で出てくるようになりやがって。暑くて喉が渇いたから血でもくれってか?」

「私目はグラシアと言います。まだ、遊び相手がいなくて。よろしければ、キャッチボール。して頂けませんか?」


 差し出された、汚れのない綺麗な白い球。

 僕は柔らかなボールを掴み取り、投げる。

 グラシアはボールを取りこぼしてから拾い、緩やかに曲線を描かせ僕の手元へ届ける。


 繰り返しているうちに、僕もグラシアのような投げ方をしていた。

 それでも、グラシアは取りこぼす。


「これでも取れないなんて。情けない吸血鬼だな」

「えへへ、初めて人と遊びました。楽しいです」

「お前ッ……」


 この時も僕は、苛立ちしかなかった。

 大昔、人間を襲っておいて返り討ちに遭ったような連中が、怪物のくせして対等だと思い込んでいる。

 怪物だからこそ、人間にそう思い込ませようとしている。


 なぜ僕は、吸血鬼なんかと遊んだりし始めたのだろう。

 汚れていくボールと共に、僕自身も汚れていくような気分だった。


 黒いモヤに辺りが包まれ、また場所は変わる。

 高層マンションの一室で、グラシアは窓から外を眺める。

 その目には、僕が映っていた。


「最初は、あのお方のご両親なのですか?」

「ええ。人間が従順になるよう、ちょっと血を頂くだけよ」

「でも、やっぱり良くないんじゃ……。採血された血でも私は平気です」


 グラシアの振り向いた先には、正座して笑む父親の頭を母が撫で、冷たい目で窓を見下ろしていた。

 吸血鬼からの催眠を受ければ最期、人間は自我を失い、操り人形と化す。

 ここではごく当たり前のように行われている、許されざる大罪だ。


「人間は吸血鬼の支配下にあってこそなのよ。まずは責任を負いなさい。ハーフとして産まれたアナタにも、いずれ分かる時が来るわ」


 再び、黒いモヤに辺りが包まれていく。

 今度は僕の家の中だ。グラシアの目の前には、睨み付ける僕の両親がいた。


「父さん、母さん」


 両親に触れようとしてもすり抜ける。

 さっきからこの光景、どうも僕は今、夢を見ている訳ではない。

 グラシアの過去を見ているのだろうか。


「私目の名はグラシア・フランダース。この街で暮らしたげれば、私目に生き血を捧げなさい。これはこの街における、人間様方との盟約にございます」

「黙れ、吸血鬼は滅べ!」


 目の前で投げられたニンニクが、グラシアの頭にぶつかる。

 ゴトンとニンニクは玄関で転がり、よろめいたグラシアは咄嗟に頭を抑え、声を震わせながら痛いと呟く。

 今見ても、悪人への制裁には胸がスッとする。


「逆らえば、市民の階級ですらなくなるのですよ?」

「しきたりならば仕方あるまい」


 グラシアの険しい表情に、血が伝う。

 目の前の僕は、両親へ歩み寄るグラシアに掴み掛かった。

 グラシアは、僕の耳元でこう囁く。


「ご両親には噛み跡だけ付けさせて頂くだけです。血を吸われた人間はどうなるのか、あなた方も分かっているはず」


 ……僕は気分の高揚に身を委ねず、両親のために、この言葉を……信じるべきだったのか?


「知ってるさ……! お前らは聞こえのいい言葉で油断させ、血を吸い、人間を操るんだろ。そんなヤツらのこと、信用すると思ってんのか!」


 突き飛ばされたグラシアは、ニンニクに足を滑らせる。

 尻餅をつき、驚いた表情で僕の方を見上げていく。


「邪魔をしないでください。何故そんなに、吸血鬼を憎むのです」

「外から来た僕らには分かるんだよ、コソコソ汚いやり口で人間社会に入り込んだ害虫め……。何が共生だ、寄生じゃないか!」


 グラシアは、黙って下唇を噛み締めていた。

 目の前の僕も、僕自身も、その様子に笑みが浮かぶ。

 そうだ。害虫は、惨めな思いをしながら死んでゆけ。


 吸血鬼たちは、人を害する怪物たちは、全員皆殺しだ。




 狼男が、いない。

 見逃された? 吸血鬼が死んでいく様を、最期に見たかったのに。

 このまま生きていても、仕方ないのに。


 シェルターはこびり付いていた土を周囲に溢していた。

 開こうにもビクともせず、カードキーは見当たらない。


 他の吸血鬼共を殺しに行けないなら、何をしたらいい。どうすればいいんだ、僕は。

 足元には、黒い布切れと血の痕が長い間隔で続いていた。

 そうだ。これは、たった今始まったばかりの、僕が果たすべき復讐なんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る