第4話

「リーハも……戦に……」


 途切れ途切れにしか声が出なかった。

 駆竜は戦のための獣だ。いつかそうなることは分かっていたつもりだった。

 震えが止まらない。

 カシールはぽん、と肩に手を置いた。


「心配するなカラル。リーハは無事に帰ってくる」


 カシールは微笑んだ。


「夜遅く、すまなかったな……」


 そう言って、カシールは踵を返した。

 静寂が家の中に広がる。

 食卓に戻っても、重い沈黙がのしかかっていた。汁を啜る音だけが響く。


「さっきの、話の続きなんだが……」


 父が口を開いた。


「駆竜は強い。滅多に死んだり深手を負うこともない。だから……その、あまり心配しすぎる必要はないからな」


 カラルは何も言わずに頷く。


「……ごちそうさま」


 そのまま寝室へ向かう。

 布団に潜っても、寝付けなかった。


 (このままだとリーハは戦に駆り出されてしまう……)


 しかし、カラルには何もできない。兵士ではないカラルは戦についていくこともできず、ただ黙って徴収されるのを見ているしかない……。

 カラルは自分の無力に打ちひしがれた。


 翌朝から、里では戦の準備が始まった。男衆が通りを忙しなく行ったり来たりしている。


「カラル、ちょっとこっちに……」


 父が手招きをする。連れていかれたのは家の裏の納屋だった。


「ここになにかあるの?」


 カラルの言葉を背に、父は納屋の中へ入っていった。それから、おもむろに大きな木箱を持ってきた。


「なにそれ?」


「駆竜の鎧だ」


 蓋を開けると、中から銀色に光る鎧が出てきた。よく手入れされていて、錆一つない。


「昔、父さんの駆竜が付けていたものだ……。腕のいい職人に作ってもらった……」


 父はまるで、カラルではなく、どこか遠くを見ているようだった。

 カラルはそのことには何も触れないようにした。

 木箱の中を覗きながら、父に訊ねた。


「これを、リーハに……?」


 父はこくりと頷いた。そして、すっと腕を伸ばして木箱をカラルに渡した。


「きっと、リーハを守ってくれる」


「ありがとう、父さん」


 カラルは鎧を受け取ると、竜舎へと向かった。


 太陽が一番高く昇った頃、里の西門には大勢の人が集まっていた。

 カラルも人だかりに紛れて、その中心を眺めていた。

 そこには兵士を背に乗せた駆竜がずらりと並んでいる。先頭はカシールだ。

 リーハも隊列に加わっている。白銀にギラギラ煌めく鎧が、美しい黒い鱗を覆っている。

 ドンッドンッと太鼓の音が響く。出陣の合図だ。


「我ら駆竜隊に敵などいない! いくぞぉ!」


 カシールは後ろの兵士たちを鼓舞する。嵐のような鬨の声が上がった。

 隊列が雪崩のように駆け出していく。リーハの背中がぐんぐん小さくなっていった。

 カラルは、ただリーハの無事を祈ることしかできなかった。


 兵士たちのいなくなった里は不気味なほどに静かだった。

 カラルは竜舎で他の駆竜の世話をすることになった。

 房の中に残っているのは老竜か雌竜くらいだ。若い雄竜が放つ、いつもの活気は消え失せている。


「竜舎ってこんなに広かったっけ……」


 カラルの独り言が木霊する。



「ただいまぁ」


 家に帰ると、母が難しそうな顔で土間に立っていた。


「母さん……?」


「ああ、カラルおかえり」


 何を思い悩んでいたのだろうかと、それとなく訊ねてみた。


「いやねぇ、戦が始まったでしょう? だから、申し訳ないんだけどごはんは節約しなきゃいけないのよ……」


「そっか……。我慢しないとだね……」


 戦というのは、こうして少しずつ日常を変えていくものなのだと、カラルは実感した。


(戦なんて早く終わってくれ)


 いつもの日常が戻るのを強く願った。



 リーハたちが帰ってきたのはそれから一月経った頃だった。

 アージュの花は散って、小さな実が房になって実っていた。

 里の入口で待っていると、遠くからぞろぞろと銀色の塊が近づいてきた。

 カラルは柵に駆け寄り、急いでリーハを探す。

 隊列の中に、少し小柄な駆竜を見つけた。


「リーハ……!」


 リーハは無事だった。ほとんど傷も負っていない。

 その姿を見た途端、カラルの目から涙がこぼれた。


「あ……」


 鎧をよく見ると、所々切り傷のようなものができていた。


(ちゃんと、守ってくれたんだな……)


 カラルは心の中で、父に深く感謝した。


 竜舎に戻り、カラルはリーハの世話をした。身体を拭いてやったり、たてがみを梳かしたり。肉もいつもより多めに食べさせた。


「うまいか? リーハ。今日はいっぱい食べていいんだぞ」


 リーハは自身の頭よりも大きな肉塊をぺろりと平らげた。ざらざらとした舌で、餌入れを隅々まで舐めている。

 お腹いっぱいになったリーハは、いつものようにあくびをした。よほど疲れていたのだろう、リーハは瞬く間に深い眠りへと落ちていった。

 日常が戻ってきた。そんな気がしていた。



 それから三月も経たぬうちに、ウサク王国は再びの侵攻を始めた。

 里は一面雪景色。駆竜の黒い鱗がよく目立った。

 先の戦と同じようにリーハたちは西門に集結する。紅葉のような足形と、手綱を引く兵士たちの長靴ちょうかの跡が続いていた。


「ちゃんと帰って来いよ、リーハ」


 カラルはリーハを送り出す。こぶしをぎゅっと握りしめた。


 里を出発したのを見届けてから、カラルは竜舎に向かった。


(あいつのために房を綺麗にしておかないとな)


 透き通った空気を吸い込み、ゆっくりと歩いていく。寒々とした風が、肌を刺した。

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