第9話 曰く付きの書庫と、重なりすぎる幸運
翌日の放課後。
俺は、断頭台へ向かう罪人のような気分で、生徒会室のドアを開けた。
そこには、すでに準備万端といった様子で、白金姫奈が待ち構えていた。彼女の完璧な微笑みは、これから始まる地獄の序曲のように見えた。
「さあ、行きましょうか、影山くん。記念すべき、最初の任務よ」
有無を言わさず、俺は彼女に促されて生徒会室を出る。
後ろでは、副会長の一条が「会長、一体どこへ……?」と訝しげな声をかけていたが、姫奈は「少し、散歩よ」とだけ答え、取り付く島もなかった。
俺たちが連れてこられたのは、図書館の地下。
重い鉄の扉を開けると、カビと古い紙の匂いが鼻をついた。
「ここが、最初の任務地。『開かずの地下書庫』よ」
薄暗い電灯に照らされた空間には、天井まで届く本棚が迷路のように立ち並び、膨大な量の古書が乱雑に詰め込まれている。
「曰く付きなの。本が勝手に動くとか、謎のすすり泣きが聞こえるとかね。まあ、あなたのその『強運』があれば、何も起きないはずよね?」
姫奈が、挑戦的な視線で俺にプレッシャーをかけてくる。
俺は「ははは……幽霊とか苦手なんですよね……」と乾いた笑いを返すしかなかった。
最初の任務は、『地下書庫の古書リスト作成及び整理』。
またこのパターンか。普通にやれば数日はかかる、地獄のような単純作業だ。
「さあ、始めなさい。私はここで、あなたの働きぶりを監督させてもらうわ」
姫奈はそう言うと、入り口近くの椅子に腰掛け、優雅に腕を組んだ。完全に、俺のボロが出るのを待つ構えだ。
(やってられるか、こんなの……)
俺は内心で悪態をつきながら、手近な本棚の整理から始めた。もちろん、昨日と同じようにスキルを使って高速で終わらせることもできる。だが、この女の監視下でそれをやるのはリスクが高すぎる。今日は、適当にダラダラと時間を潰すに限る。
――しかし、厄介事は、俺の意思とは無関係にやってくるものだ。
「よっと……」
高い場所にある本を取ろうと、俺が備え付けの脚立に足をかけた、その時だった。
メキッ、と嫌な音が響き、俺が体重をかけた脚立の段と、その下の床板が、同時に砕け散った。
「きゃっ!?」
「うわっ!?」
俺の体が、鋭利に裂けた床の穴へと吸い込まれていく。姫奈が驚きの声を上げ、咄嗟に腰の剣に手をかけようとするのが見えた。
だが、遅い。
このままでは、下の階まで真っ逆さまだ。
――もちろん、俺がただのGランクならば、の話だが。
「(【絶対領域】、限定起動。対象:俺の右手付近の空間座標固定。斥力ベクトル、微量発生)」
俺は「うおおおっ!」と実に情けない悲鳴を上げながら、もがくように腕を伸ばした。
その指先が、偶然にも、すぐ隣の本棚の頑丈な縁を、ガシッと鷲掴みにした。
全体重がかかり、腕が抜けそうなほどの衝撃。だが、俺の体は床下の暗闇に消える寸でのところで、宙にぶら下がる形で静止した。
「はぁ……はぁ……あ、危なかった……」
俺は渾身の演技で息を切らしながら、自力で床の上へと這い上がる。
姫奈は、剣に手をかけたまま、呆然と俺を見ていた。
「い、今のは……」
「いやー、びっくりしました! まさか床が抜けるなんて! でも、運がいいから助かっちゃいました! ははは!」
俺は頭をかきながら、ヘラヘラと笑ってみせる。
姫奈は「……そう」とだけ呟き、再び椅子に腰を下ろした。だが、その瞳の奥の疑いの色は、先ほどよりも遥かに濃くなっていた。偶然にしては、あまりにもタイミングが良すぎる。まるで、そうなることが分かっていたかのような、完璧な危機回避。
その後も、俺たちの周りでは奇妙な出来事が続いた。
俺が整理したはずの本が、いつの間にか元の乱雑な状態に戻っていたり(俺がスキルでこっそり戻した)。
どこからともなく、すすり泣くような風の音が聞こえたり(俺がスキルで空気を振動させた)。
その度に、俺は「うわー!」「ひぃぃ!」とビビりまくり、姫奈は「……」と、ますます不審そうな顔で俺を観察する。
そして、その日の任務の終わり際。最大の『幸運』が訪れた。
大量の本が積み上げられた、巨大な本の山。そのすぐ側を、姫奈が通りかかった、その瞬間。
ガラガラガッシャーン!
何の前触れもなく、本の山がバランスを崩し、雪崩となって姫奈へと襲いかかったのだ。
「しまっ……!」
姫奈が反応するより早く、俺は動いていた。
「会長、危ないっ!」
俺は叫びながら、彼女の元へと駆け寄る――途中で、わざと派手に、足元の本に足を取られてすっ転んだ。
そのまま、ラグビーのタックルのような形で、姫奈の体に突っこむ。
二人まとめて地面を転がり、本の雪崩は、俺たちが元いた場所を、轟音と共に飲み込んでいった。
「……っつう……」
気づけば、俺は姫奈の上に覆いかぶさるような形で、床に倒れていた。下から、姫奈の驚きと困惑が入り混じった、紫の瞳が俺を見上げている。
カビと、彼女のかすかに甘いシャンプーの匂いが、鼻腔をくすぐった。
「だ、大丈夫ですか、会長!?」
俺は慌てて彼女から離れると、ホコリを払いながら言った。
「いやー、また運が良かった! 俺がつまずかなかったら、二人とも本の下敷きでしたね!」
姫奈は、何も言わなかった。
ただ、じっと俺の顔を見つめていた。
またしても、彼女のスキルが発動するより早く、俺の『幸運』が彼女を救った。
偶然? 本当に? これだけの偶然が、一日のうちに重なるものだろうか?
姫奈の完璧な思考回路が、俺というイレギュラーな存在によって、少しずつ、しかし確実に混乱させられていく。
彼女の頬が、気のせいか、少しだけ赤く染まっているように見えたのは、きっと薄暗い電灯のせいだろう。
そう、きっとそうだ。
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