4話 地下の灯り
扉の蝶番が軋み、二つの影が灯りの輪に歩み出た。
先頭の女はフードを外し、黒髪をひとまとめにして首筋に垂らす。
切れ長の目は疲労の陰を溜めながらも、芯の強さを隠さない。
続く男は短く刈った茶色の髪に古傷の走る頬を持ち、腕を組んだまま実佐を測る。
「私はカロリンよ。こちらはロマン。
…まず最初に伝えておくけど、私たちは教会じゃない。
ミネルバ教の圧政に抗うレジスタンスよ。
配給、有機物生成機の出力、徴募、そして“夜の失踪”。
全部、尖塔にいる連中の都合で決まる。
この町の人たちを、それから解放するために動いている」
「レジスタンス…」実佐は杖を握り直した。
「じゃあ、どうして私を――」
「あなたを狙って連れ出したのは、教会の監視に気づかれずに話をするため。
拉致だと感じるなら謝る。でも時間がないの」
カロリンが目を細める。
「装置なしで治癒術を使うその現象、
教会の人間でもない人がそんなことができるなんて、にわかには信じ難い。
確かめる必要がある」
ロマンが疑いの目で実佐を見て語る。
「教会の手先じゃない証拠にもなる。こっちも命張ってるんでね」
実佐はゆっくりと息を吸い、吐いた。
「信じてほしいけれど、信じろと言うだけでは足りないのはわかります。
けど、どうか…人に危害を与えるようなやり方はやめて下さい」
「危害は与えないわ。見てもらいたいのは、助けられなかった同胞たちよ」
カロリンが指を弾くと、奥の扉が開き、数人が担架を運び入れてきた。
粗末な布をめくると、痩せた若い男の無残な姿が見える。
右腕の肘から先と、左脚の膝下が失われ、古い包帯の跡が皮膚にくっきりと刻まれていた。「前線で機械仕掛けの犬にやられた。
教会にもお願いしたけど、教会は“貴族階層に属さない者へは適正治療を施せない”と書面一枚で追い返された」
ロマンの声音は乾いていた。
胸の奥が熱くなった。やり方は気に入らない。
でも目の前の傷ついている人を放置するわけにもいかない。
「…本当に、あなた達の仲間なのですね」
「ああ。あなたが信じられなくても、彼を救えるならそれでいい」
カロリンの瞳はまっすぐだった。
実佐は男の側に膝をつき、切断面の状態を確かめる。
感染は抑えられているが、古い縫合が硬く固着している。
彼女は視線を上げ、担架の縁を握る男の指をそっと外した。
「もう大丈夫ですよ。今治してあげますね」
静かに杖を立て、呼吸を整える。
掌の中で魔力の流れが温かく脈打ち、指先まで満ちていく。
「ヒール」
薄い光が断端に灯り、乾いた皮膚の下で柔らかなうねりが生まれた。
まず瘢痕を解きほぐす。組織がほつれては編み直され、血の通り道が細い糸のように走る。
「もう一度…ヒール」
光は濃くなり、切断面から芽吹くように筋束が伸びる。微かな痒みに男の肩が揺れた。
「大丈夫、痛くない痒さが来るはず。深呼吸して」
筋が束ねられ腱に繋がり、白く細い骨が節を持ちはじめた。皮下の血流が一気に巡り、皮膚が追いかけるように覆っていく。指先に皺、爪に艶。左脚も同じ手順で段階的に再生した。
担架の周りで息を呑む音が連鎖する。誰かが壁にもたれ、別の誰かがその肩を掴む。
男の瞼が震え、ゆっくり開いた。
「…動く…俺の…指が…」
彼は恐る恐る手を握り、開いた。
繰り返すうちに握り込む力が増し、喉から短い笑いとも嗚咽ともつかぬ声が漏れた。
膝下も同じように、つま先に力が通る。
その瞬間、視界の端に淡い表示が瞬き、静かに消えた。
――LEVEL UP:Lv20――
実佐は深く息を吐いた。指先に残る術の余韻がじんわりと引いていく。
「無理は禁物よ。今日歩く必要はないわ。順番に、ゆっくり慣らして」
沈黙が、熱を帯びたざわめきへ変わる。
「ミネルバの…祝福か…?」
「装置も光導管も使っていないのに、どうして――」
「違います」実佐ははっきりと言葉を発した。
「私はミネルバ教の聖職者ではありません。
教会の治癒師とは異なる術で治療しております」
ロマンが目を細める。
「じゃあ、何なんだあんたは」
それ以上をここで言う気にはなれなかった。
実佐はカロリンを見た。カロリンは一歩近づき、周囲へ短く指示を出す。
「彼を隣室へ。体温と脈を観察、無理に動かさないで。
残りは持ち場に戻って。…ロマン、少し二人にして」
ロマンは不承不承に肩をすくめ、扉の外へ出た。
地下室に二人きりになった瞬間、空気がわずかに軽くなる。
カロリンは実佐の正面に立ち、静かに口を開いた。
「私はね、もともと教会の“治癒師”だったの。
光導管で自然エネルギーを集め、術式で“自然治癒力”を押し上げるやり方を叩き込まれた。でも、あなたの術はまるで違う。外からエネルギーを集めるのではなく体内からのエネルギーで術を展開しているようだった。
内側で完結して、そのエネルギーで自然治癒力を強化しているのではなく細胞を再生させているように見えたわ。…隠す理由があるんでしょう?」
実佐は少しだけ目を伏せ、そして決めた。
「話しても信じてくれるかはわからないだけです」
「あなたが異質な存在なのはこれで分かったわ、私を信じてくれないかしら?」
実佐は固く閉じた口をようやく開いた。
5000年前の日本という国から転生した事、白い空間、銀色の瞳をした少年の姿である神、家族と共に巻き込まれた事、与えられた“スキル”、そして森で目覚めたこと
――今まで起きた事実を、簡潔に語った。
ここが“異世界”のはずだったのに、
目の前の現実は7025年の地球であることに後から気づいた経緯も。
カロリンは途中で遮らない。
彼女の瞳は、疑いではなく、診断の最中に見せる観察の光でじっと実佐を視ている。
「…なるほど。だから装置はいらないし、あなたの術は環境の光に頼らないわけね。
必要なのはあなたの“魔力”、そういう事でいいかしら」
「はい。信じてくれますか?」
「こんなとんでもない話が作り話なら騙されてもいいわね。
それに先ほど起きた現象もこの説明でつじつまがしね」
「できれば内密にして頂けないでしょうか?目立つと教会の人間に狙われる気がして...」
「誰にも言わない。こんな話が外部に漏れたら、あなたも私たちも生き残れない」
カロリンは言い切り、細く息を吐いた。その表情は、信じた者の顔だった。
「今の話を、全面的に信じるかどうかは…正直、少し時間がいる。
でも私の目は、さっきの再生が“本物”だと告げてる。教会の術では絶対にできないこと」
実佐の胸の緊張がわずかに溶ける
「ありがとうございます」
扉の向こうでロマンの靴音が近づき、半身だけを覗かせる。
「そろそろいいか。あんたが何者でも構わないが、敵か味方かは重要だ」
カロリンは軽く手を挙げて制し、実佐へ向き直った。
「私たちは教会と戦っている。
配給を人質に民を縛り、夜に誰かを連れ去る街を、終わらせたいの。
…もし本当に人を救いたいのなら、私たちに協力してくれる」
静かな申し出だった。押しつけも、脅しもない。ただ選択だけが目の前に置かれる。
家族の顔が胸に灯る。ジョージ、美姫、刃。どこかで、生きていると信じたい。
彼らへ繋がる糸を、この”レジスタンス”なら掴めるかもしれない。
それにこの町の人たちは、得体のしれない実佐に対して暖かく接してくれていた。
そんな人々を苦しめている教会を何とかしたい思いは実佐にもあった。
実佐は杖を持つ手に力を込め、ゆっくり首を振った。
「…今すぐには返事できないです。考えさせて下さい」
ロマンが舌打ちしかけ、カロリンが手で制す。
「いいわ。答えは急がない。でも、あまり時間はないわよ。
あなたの存在はもう噂になっている。教会にばれるのも時間の問題だわ。
それだけは、心に決めておいて」
「わかりました」
「それとお願いなんだけど、ロマンにだけはあなたの正体を話してもいいかしら?
実は彼、私の夫なの。流石に夫婦で隠し事ができるほど器用じゃないんでね」
美佐は一瞬ためらったが夫婦だと言う事を聞いてジョージの姿が脳裏に浮かんだ。
「かしこまりました、私も人妻なので気持ちはわかります」
地下の空調が低く唸り、天井のパイプが微かに震えた。
薄い灯りの下で、二人の視線が結ばれ、ほどける。
“考える時間”は長くはない。それでも実佐は、胸の奥で小さく灯を強めた。
人を救うための灯、そして家族へ辿りつくための灯を。
扉が開き、冷たい通路の空気が流れ込む。実佐は巨大な陰謀の渦に一歩を踏み出した。
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