②
ブーブー。
甲高い電子音が部屋の静寂を破り、僕の鼓膜を叩く。
半ば無意識に手を耳元へと持っていき、スマホを顔の前に持ち上げた。
黒く沈んだ画面の向こうに、ぼんやりと自室が浮かび上がっている。薄明かりのなか、天井のシミが妙にリアルに見えた。
電源ボタンを押すと、画面には「7:00」の文字。
今日も学校に行かなければならない。そう思っただけで、胸の奥がズンと重くなる。
とはいえ、ズル休みするほどの勇気もない。だから、ただベッドの上に横たわって、死体のように時間の流れに身を任せる。このまま永遠に朝が来なければいいのに――そんな、どうしようもない妄想が頭をよぎった。
なんとか腕を持ち上げて、再び時間を確認する。
7:01。たった一分。されど、貴重な一分を無為に過ごしてしまったという、妙な敗北感がじわりと滲む。
そのときだった。
視界の隅で、スマホの縁に白い毛くずのようなものがついているのに気づいた。
指先で払おうと手を伸ばした瞬間、その“毛くず”が――ピクリと動いた。
風か? 僕の動きに反応しただけか?
半信半疑で指を近づけた、まさにそのとき――
「ご主人、これは一体なんですか?」
耳に届いた声とともに、“毛くず”は毛くずであることをやめたように、意識をもって動いた!
思わずスマホを取り落とす。重力に従って振り下ろされたそれは、容赦なく僕の顔面を直撃した。
「痛っ……!」
額にズキズキと響く痛み。と同時に、何かがはっきりと声を上げた。
「ご主人! 大丈夫ですか?」
思わずスマホを拾い上げると、そこには
――小さな白い素足が、空中をバタバタと動かしていた。
それはスマホの上空にふわりと浮かんでいて、僕の目と鼻の先にまで近づいてくる。
あまりの光景に、喉が言葉を失う。口を開いても、出てくるのは「あっあ……えっ……」といった間抜けな音だけ。
ソレ――その小さな存在は、心配そうに首をかしげた。
「ご主人……?」
ひらり、と舞うような動きで部屋を横切る。それはまるで川魚のようにしなやかで、宙を泳ぐように美しく光を反射させていた。
僕はようやく上半身を起こし、その動きを目で追う。
ソレはパソコンのモニターの縁に腰を下ろし、足をぶらぶらさせながら僕を見つめ返していた。
冷静になった一瞬、心臓がドクンと跳ねる。現実感が、まだどこか頼りない。
それでも、僕は意を決して問いかけた。
「……君は、一体、何者なんだ?」
ソレはふっとまぶたを伏せて、相好を崩した。
「覚えてないのですか?」
その言葉に、記憶の断片が揺れる。
昨日――なにか、あったような。けれど、それは漠然とした“イメージ”に過ぎなかった。どこかで見た童話じみていて、あまりにも現実離れしていた。
「妖精」――そう呼ばれる存在を思い浮かべる。
小さな体、羽根、宙を舞う――確かに、目の前のソレはその要素を備えている。だが、にわかに信じられるはずもない。
もしかして幻覚か? 夢の続きを見ているのか?
そんな疑念を払うように、僕は太ももをつねった。痛い。どうやら夢ではない。
僕は息を整え、慎重に言葉を紡いだ。
「……たとえばの話なんだけど」
不要な前置きだったが、乱心しているのか、突発的に出た言葉———心を整えるにはそれしかなかった。
「君は、“妖精”なのか?」
自分の口から出たその言葉に、思わず照れくささがこみ上げた。だが、ソレはあっさりと答えた。
「そうですね。人間の言葉をかりれば、妖精……と呼ばれることもある、かもしれません」
なんとも曖昧な、雲を掴むような返答だった。核心には触れず、しかし否定もせず。
となると、昨日の“あの出来事”とやはり関係があるのか……?
「じゃあ、君はどこから来たんだ?」
僕の問いに、ソレはまた首をかしげた。まるで、質問の意味を反芻するかのように。
「……気づいたら、ここにいました」
その答えは、風にさらわれたように軽く、無責任なまでに不確かだった。
僕の中では、“ゲームから来た”――そんな荒唐無稽な想像すら頭をよぎる。
けれど、その可能性すらも、今の僕には否定しきれなかった。
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