根暗な私が憧れの先輩と付き合うまで

新田光

前編

 ────あの日見た光景を四季しきは忘れない。体中の細胞が活性化し、心身ともに高揚感に包まれる。


 まるで、失われた記憶を取り戻すかのように、眠っていた潜在的な意識が覚醒したかのような、そんな感覚だった。


*****


「さすが理玖斗りくとだな。今のシュート、高校生とは思えねぇよ」


「そうか? 俺は手応えはあったが、何か特別な感じはしなかったぞ」


「はぁー、天才はそんな嫌味を言うから嫌いだ。素直に喜べよ」


 部員のひとりがため息混じりの声を上げる。他の部員も理玖斗の卓越された才能にお手上げだ。


 そんな様子を周りから見ていた四季しきだったが、彼女の目にはもう色はない。


 目の焦点は理玖斗りくとというイケメンにだけ当てられている。


 清々しいまでの爽やかさ。それでいて高身長なのだ。


 文句のつけどころがなく、老若男女が見惚れるであろう容姿だ。


 それに伴い、屈託なく笑う顔が可愛くてしょうがない。滑らかであろうストレートヘア。程よい肉付きの体格。どれを取ってもマイナス要素が一切なく、彼女に取ってはおとぎ話に出てくる王子様のようだった。


「せん、ぱい……カッコいい……」


 気づかれもせず、手も届かない。なのに、その手は彼に触れたいと勝手に伸びていた。無意識に近づきたいと彼女の乙女心が本心を行動に移していた。


*****


間宮四季まみやしきです。よろしくお願いします」


 最低限聞こえる小さな声で自分の名前を紡ぐ。


 今、彼女はサッカー部員全員の前に立っている。


 彼の容姿に一目惚れし、思うわずサッカー部のマネージャーとして入部してしまっていた。


(こんな思いつきの行動、小学生以来……)


 人一倍、承認欲求が強かった彼女は、小学生の頃は積極的に行動する性分だった。


 だが、そんな性格のせいで親友に深い傷を負わせてまい、その親友とは絶交。あの頃の出来事が心の奥に住み着いており、彼女は消極的になった。また誰かを傷つけたくなくて、人と距離を置くようにしたのだ。


 しかし、そんな過去など気にすることなく、彼女は行動できている。


 もしかしたら、恋心というのはトラウマすらも超えられる事象なのかもしれない。


「なぁ、アイツ急に入ってきたけど、理玖斗りくと目当てじゃね?」


「多分な」


「まぁ、アイツもすぐやめるだろ」


 他の部員たちが嫌味ったらしい言葉を発していく。彼女の鼓膜にもそれが届き、落ち込みそうになったが……


「よろしくな。えーっと、間宮まみやさんって呼べばいい?」


 唯一、理玖斗りくとだけは快く歓迎してくれて、彼女の心は救われた。


「で、できれば……名前で呼んでほしいです……」


「そうか。じゃあ、四季しきさんで。よろしくね。四季しきさん」


 見下ろされる形で名前を呼ばれたが、四季しきにとってはそれすらもご褒美に思えた。彼のことを見上げ、目と目が合う。


 すると、急に顔が赤くなっていくのがわかった。一秒後にはもう彼の顔すらも見ていられなかった。


 しばらく放心状態が続いたが、


間宮まみやさん! 間宮まみやさん!」


「は、い」


「どうしたんですか! 急に黙り込んでしまって。しかも、顔も熱いですよ!」


 顧問に額を触られ、現状の自分を教えてもらう。


 他人から見てもわかるほどの赤さだったらしい。次はその事実に恥ずかしくなるが、今度は意識を保つことができた。


 少しだけ休憩をもらった。サッカー部の練習は始まっていたので、それを見学しながら体調を整えていく。


「もう大丈夫です」


「そうですか! なら、間宮まみやさん! 早速マネージャーとしての仕事をしてもらいます! まずは備品の場所を覚えてもらったり、基本的なことをしてもらいますね! 頑張ってください!」


「は、はい……」


 顧問の先生が昔ながらの熱血っぽく、四季しきとしてはかなり苦手だ。


 だが、好意を抱いた相手と同じ空間で同じ空気を吸う時間が与えられるなら、この時間も耐えてみせる。誰からも相手にされないよりはマシだから。


(でも……意外と疲れる……)


 マネージャーを舐めていた。簡単にできるものだと思っていたが、ここまで体力を使うとは。


 中学から部活をやっていない彼女にとってこれだけ動くだけでも疲労は測りし得ない。


「大丈夫?」


「は、はい!」


 急に背後から声をかけられた四季しきは体をビックっと跳ね上がらせた。


「せせせせせ、先輩!」


「だ、大丈夫……声が裏返ってるけど……」


 いつも以上の大声に理玖斗りくとも目をキョトンとさせて虚を突かれる。


 しかし、すぐに普段通りの理玖斗りくとに戻り、「頑張ってね!」と声をかける。


 その言葉に嬉しくなる。


 この場を去っていこうとする彼の後ろ姿に声をかけようとしたが……一歩、勇気が出ずに実現できなかった。


 それから一ヶ月くらいは彼との距離を縮められず、雑務的な会話をするだけだった。だが、


四季しきさん、大丈夫?」


 ある日の出来事。仕事の疲労で足がもつれ、転んでしまったところを彼に手を伸ばしてもらえた。


 この出来事は予想外だったので、ありがたく捕まらせてもらう。


「あまり気を詰めず、気軽にやるのが一番だよ。頑張ってね」


 しなやかだが男らしい逞しい手に四季しきは心臓の鼓動が止まらなかった。その勢いに任せ、「先輩!」と珍しく声を張り上げた。


 振り返る理玖斗りくと


「今日、一緒に帰りませんか」


 思い切った言葉がけで顔が赤くなる。理玖斗りくとから目を逸らし、理性を保つために深呼吸をした。が、


「いいよ。少し時間ズレるだろうけど、待ってるよ」


 優しい笑顔で言われる。


 その言葉に四季しきは胸を打たれた。


 予想外の言葉に反応が少し遅れたが、すぐに状況を理解し、「ありがとうございます」と言い、本来の仕事へと戻っていった。


 彼と一緒に帰れる権利を得て、彼女は俄然やる気が湧いてきた。さっさと仕事を終わらせて帰宅しよう。


 そう思いながら、仕事を素早くこなしていく。そして、部活が終わり、帰り支度を整えて校門に向かった。


「お待たせして申し訳ありません」


「いや、いいよ」


 気を遣っているだけかもしれないが、彼の言葉が彼女には嬉しかった。


 夕暮れが照らす道を二人で並びながら帰宅していく。後ろ姿を見れば、青春を満喫しているカップルのように見えるのだろう。


「あ、あのー、なんで、四季しきのお願い聞いてくれたんですか?」


四季しきさん頑張ってたし……ちょっとお話ししてみたいとも思ったからね」


 彼の言葉に少しだけ嬉しくなり、思わず笑みが溢れる。その姿を見て、


「笑ったら可愛いじゃん。もっと笑ったほうがいいよ」


 かけられた言葉が意外すぎて、恥ずかしさが広がっていき、言葉を返せなかった。


 その後は先輩が話しかけてくれるが、それに返答をするだけの形になってしまった。申し訳ない。


「じゃあ、俺こっちだから。気をつけてね」


 朗らかな声色で四季しきに別れを言っていく。そんな彼に、


「先輩!」


「どうしたの?」


「い、や……お気をつけて」


「うん、四季しきさんも気をつけて」


 本当はデートに誘いたかったのだが、自分の勇気が振り絞れなかったせいで彼を見送るだけになってしまった。


*****


「おい!」


 次の日、学校に登校した彼女は、いきなり肩を掴まれた。


 大勢の生徒がいる廊下。周りの目が自分たちに釘付けになるが、女は視線など無視して彼女へと圧をかけていく。


 謎の圧。その上、聞き覚えのない声。


 突然襲う恐怖に体を震わせながら、四季しきは恐る恐る振り返った。


 声の主の顔を見て、四季しきはさらに愕然とする。


 そこにいたのは、一学年上の先輩。


 直接的な関係はないが、校庭などでよく見かけ、いつも誰かを従えていた。


 なぜかグループのリーダー気取りで四季しきにとっては少しだけ怖かった。


 怖いなら付き合わなければいいだけの話なのだが……


 (先輩に気があるって噂があって気になっちゃった)


 同じ想い人がいる。意識せざるを得なかった。


 女はじっと睨みつけ、不満げに何かを言いたそうだった。それに彼女は、震える体をグッと堪えて、


「何かご用でしょうか?」


 いつもの調子でテンションが低く、聞こえるかわからないくらいの小さな声。


 そんな四季しきの言葉に隠していた苛立ちを表に出し、女は四季しきの肩を両手で掴んだ。


 鬼の形相が自身の顔面に迫ってきており、恐怖で息を呑む。


 何をされるかわからない恐怖……そんな時、


「何やってるの」


 柔らかい声が鼓膜を刺激し、四季の心の中を埋め尽くしていた黒い靄は晴れていった。


 聞き慣れたとても心地よい声。自身の想い人──中川理玖斗なかがわりくとの姿が女の背中の向こうにいた。


 声をかけられた人を見て、女は表情を柔らかくする。その後、「理玖斗りくと」と声をかけるが、声をかけられた本人は、彼女にも目もくれず……


「大丈夫?」


「はい、ありがとうございます」


 女のことなど気にせず、二人だけの世界を構築していく。それを見て、女は声を上げる。


「なんなのよあんたら! 私が理玖斗りくとと仲がよかったんだから! 一ヶ月ちょい一緒に活動したからって……」


真央まお。だからってあれはやりすぎだ。側から見たらいじめてるようにしか見えないぞ」


「その女が調子に乗ってるから、わからせて……」


 途中で女の声が止まる。理玖斗りくとが彼女の目を真剣に見つめていたからだ。


 凝視された本人にしかわからないことだったのだろう。だが、彼の眼光には真央まおを怖気づけさせる何かがあったのだ。


 彼に射抜かれた真央は舌打ちし、この場を去って行く。後ろ姿からもわかるほどの怒りが真央には纏わりついていた。


「助けていただきありがとうございます」


「いいよ。真央まおは昔から嫉妬深いからなー。でも俺、タイプじゃないんだよアイツ。この間告白された時も断ったし」


「そうなんですか?」


「あぁ、好きな人が他にいたからな」


 四季しきは少しだけ瞳孔が揺れた。


「じゃあ、俺はもう行くから。じゃあね」


 聞き捨てならない言葉を聞いて、不安を拭いきれない四季しきは嫌な予感に支配された。


 このまま別れたら部活の時に会った時に言葉を交えれないような気がする。もう彼の前に立てなくなってしまうかもしれない。だから、


「先輩!」


 意を決して、声を上げていた。


 周りの人が彼女の方を見ている。だが、羞恥心などは一切湧かない。ただ、自分が伝えたい言葉を伝えるためだけに勇気を振り絞る。


「今度、デートしませんか!」


 同じ部活の仲間以外の関係が築けなくても、変な女だと思われたとしても……この想いだけは伝えておきたかった。


 ここを逃したら、もうこの言葉を体の外へと吐き出せなくなってしまうと思ったから。


 次の瞬間、体の芯が冷えるような感覚を得た。思いつきで言ってしまった反動が襲ってきたから。


 心臓の鼓動が鮮明に聞こえるほど、周りの音が耳に入ってこない。答えを聞くまで安心を得られない。


 だが、断られたとしても心が壊れそうだ。


 緊張を抱えながら、彼女は運命の時を待つ……すると、


「いいよ。まぁ、デートっていうより、お出かけっていう形なら」


「えっ!」


 思わぬ返事に顔を上げる四季しき。喉から言葉を発せず、硬直状態が続く。


(どうしよう! 先輩が近づいてくる)


 固まってる彼女の前に理玖斗りくとが立ち、彼女の目を見据える。


「じゃあ、来週の土曜日、新宿駅に十時集合で」


「は、はい……お願いします」


 思わぬ形で念願が叶った四季しき。デートの日まで気が休まることがない彼女だが、内心は喜びの感情で満ちていた。

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