断界のスピア~追放した世界を斬る~

一色くじら

第一章 禁忌の地へ追放

第1話 追放

神の声はあまりにも美しかった。

ゆえにあまりにもひどかった。


「お前はもう不要だ」


そういわれた瞬間、カインは全てを失った。

仲間、武器、尊厳。そして帰る場所さえも。


だが、失ったものは、それだけではない。

カインは自らの目も潰したのだ。

それが、神を殺す唯一の道だったから。


――“神は見える者に救いを。見えぬものに滅びを”。


ならばその滅びを自ら選ぶ。


そして、自ら望んで、神に仇なす者となったのだった。



「馬鹿なことを」


神はあざ笑いながら、「禁忌の地へ連れていけ」とかつての仲間たちに命令を下すのであった。


馬に綱で括りつけられて、馬車に乗ること半刻が過ぎた。


目的地に着くと、谷に落ちる一歩手前のところまで、引きずられた。



燃えるような朝焼けが、谷の石壁を赤く染めていた。

肌にほんのりと温かさが伝わり、カインも最後であろう朝を感じていた。


仲間の聖職者レオナが祈りの言葉を風にのせる。


信仰を失くしたカインにとっては苦痛の時間だった。

重苦しい空気が流れてくる。


「ーーこれがおまえの信仰の結果か?」

かつて戦友だった男、盾王のライオスが、冷たい声で告げた。


その耳には“神の耳”と呼ばれる耳飾りが光っている。

目を潰した今でも、まがまがしいオーラを感じる。

神と通じる証。使徒の象徴に。


「カイン。おまえは……神を否定した。それは、すなわち、この世界を否定することに等しい」


もう一人の仲間、魔法使いのノトスが言った。彼は震えていた。

恐れていたのは、神でも世界でもない。


目の前にいる、目を伏せたままいる沈黙を守る“かつての仲間”を。


カインは何も答えなかった。

ただ静かに、彼らの足音、呼吸、声の震えを聞いていた。


―――嘘をついている。


彼には分っていた。神を讃えるその声の裏にいかに人が死に、いかに多くの英雄たちが燃やされたかを。


この地にある神々は「信仰」を焚べるくべることで魂を炎に変え、世界を形作っている。


信じぬものは力を持てない。信じすぎたものは燃え尽きて消える。


カインの妹がそうだった。


信じすぎたばかりに、カインの目の前で燃え尽きた。


カインはその仕組みに気づいてしまった。


だから目をつぶした。


「お前のような裏切り者を神の名のもとに赦すわけにはいかない」


仲間の勇者レオンが剣を抜く。

振り下ろされるその瞬間、カインは一歩も動かず、ただ小さく笑った。



「許しを請うのは……お前たちの方だ」



それが彼の最後の言葉だった。

振り下ろされた剣は、綱を斬り、足で仲間を谷底へ落とした。


神の加護を失った者として、世界から追放された瞬間。


だがこの追放は終わりではなかった。

神を殺すための長き旅の始まりであった――。


――沈む。

それは、身体が谷に落ちたという意味ではない。

心が、命が、存在そのものが沈んだのだ。


血の滲む瞼の裏で、カインはわずかに眉を寄せた。

もう、何も見えない。

自ら切った眼。絶望から逃れるためではない。


希望など、最初から持ってなどいなかった。


「……見えなくても、聞こえる」


息をするたび、肺が焼ける。

身体は崩れかけた粘土細工のように、ひと振りで崩れる危うさを抱えていた。


そのときだった。


――『おまえは、まだ“声”を持っている』


誰かの声。いや、自分自身の内側から響く声。

「誰だ?」


それは、怒り、哀しみ、絶望、裏切り――

言葉にできなかったすべてが形を持ち、意志を帯び、声となっていた。


「……呼んでいるのか、俺を」


返答はない。ただ、沈黙の代わりに空間そのものが“引き寄せる”。


感覚が反転する。

谷底のはずが、地ではなく、どこか“内側”へと沈んでいくような錯覚。


気づけば、音も、空気も、匂いすらも変わっていた。

そこは、神に殺された英雄たちの墓標が延々と並ぶ。


――怨嗟の墓標。


剣を手にした者、呪文を刻んだ者、盾を構えた者。

英雄の名を持ちながら、神に届かず神に背いた末に、ここに葬られた者たち。

それぞれの墓からは今もなお微かな怒りが煙りのように漂っていた。


踏みしめた感覚すら不確かな、死に絶えた世界。

見えぬ瞼の裏で、しかし確かに「何か」がそこにあることだけは感じ取れた。


重い。

鋭い。

触れていないのに、肌に感じる“斬撃の気配”。


その中心に、確かに――剣がある。

怨嗟の剣――神に届かなかった者たちの「恨み」と「未練」が結晶となったり形作ったもの。


「俺を呼んでいるのはこいつのようだな」


そして、その剣を前に立つ一人の者がいた。


「よく来たわね、目のない剣士」


女の声だった。

けれど、どこか機械的で、感情を削り落としたような平坦さ。


「我が名はイーヴァー。剣の門を守る者」


その声は、風のない世界に確かに響く。


「お前が来ることを神は見抜いていた」

イーヴァーは静かに言う。


長い白髪、冷たく青い目、そして背に浮かぶは六枚の黒い翼。


足音も視線もない。

それでも、彼女は確かに、そこに“立っている”。


「……姿は見えないが、声がある。殺気も……」


カインは血の滲んだ唇を舐め、薄く笑う。


「おまえを倒せば、この剣は手に入る……そういうことか?」


「いいえ。あなたの怨嗟が“剣に選ばれる資格”を試すのよ。私という、試練を通してね」


地を踏みしめる感覚。女は槍を抜く。

青く光る刃が空を裂く。


イーヴァーが、間合いに入ってくる。


「ひとつ教えて、盲き者。あなたの“視えない目”には、何が映っているの?」


「……未来を切り開く理由。それだけだ」


次の瞬間“音”が閃いた。


槍が頬をかすめる。風が生まれる。血が弾ける。


“視えない”戦いが、始まった。


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