私だけの神様にさよならを告げた日

よみがくれ

第1話

 村中に燃え広がる戦火が夜空を赤く染めていた。崩れた家屋の下にいる少女シェフィは生気のない目でその光景を見つめていた。焦げた匂いが喉を焼き、あれだけ響いていた誰かの悲鳴すら聞こえなくなってきた。

「ああ……もう、いいや」

 家族も故郷も失い、自分の命すら今崩れ落ちようとしている。燃え落ちる家の残骸の下で、シェフィは生きる気力を手放しかけた。そのときのことだった。

 「シェフィ!」

 鋭い声が、炎と灰に埋もれたシェフィの世界に届いた。その声の主は、大きな角を持ち蝙蝠のような翼と蜥蜴の尾を揺らす竜人ドラゴニュートの少女、エルナが必死で瓦礫をかき分ける。

「シェフィ!死なないで!今助けるからね!」

「エルナ様、私はもう……生きたくない……」

「馬鹿な事言わないで!」

 すさまじい力で家の残骸を取り除くと、エルナは震えるシェフィを抱きしめた。そのまま翼を広げ、炎の夜空へと舞い上がる。

 次々と周辺国家を侵略する帝国によって二人の故郷は滅ぼされた。当時11歳だった少女シェフィと、同い年で村の中で守り神として扱われてきた竜人の少女エルナ。生き残ったのはたった二人だけだった。その日から、エルナはシェフィだけの神様になった。


 それから3年の歳月がたった。シェフィは帝国に支配された民族が集められた農地で働いていた。

「シェフィ。今日もお疲れ様、これ少ないけど持っていきな」

「ありがとうございます」

 仕事を終え帰り支度をしていた頃、集落の年配の女性が、野菜の袋を手渡した。

「最近、帝国の巡回兵が増えてきてね、とある村に呪いの兆候が出たって話さ、竜人に関わると、ゆっくりと体が蝕まれるんだって……まあ、噂だろうけどね。あんたも気を付けなよ」

 「……そうですか」

 背筋に、冷たいものが走る。けれど、表情だけは変えずに「気をつけます」と微笑む。

「あんた、いつも遠くの家に帰ってるけどここらへんに住まないのかい?」

「はい。家には足の弱い妹がいるんです」

「……そうかい。それはすまなかったね。また明日も頼むよ」

 軽い会釈をし、茜色に染まる農地を後にした。シェフィは荷物を抱え家路を急いでいた。今日も集落での畑仕事は重労働で、腰や腕が痛むほど働いたけれど心は不思議と折れなかった。

(帰る家があるから。そこには、私を待ってくれる人がいるから。)

 そう思うと足取りが少し軽くなった。


 家までの道のりは、歩いて2時間ほどかかる。人里を離れ、森を抜けた先にある小さな家。木々の影が長く伸びるたび、ふとあの夜の記憶がよみがえる。

(焼け落ちる村、崩れた瓦礫の中で、生きることを諦めかけた私を抱きしめた、あの腕の温もり。「死なないで」と震えた声。あのとき、エルナ様に救われなかったら、私はとっくに……)

 胸の奥が、きゅっと熱くなる。

(だから、帰る場所はここしかない……)

 そう自分に言い聞かせるように歩を速め、ようやく小さな家の輪郭が見えてきた。


「エルナ様、ただいま戻りました」

 シェフィが扉を開けると、錆びついたランプの灯の下、エルナは鍋をかき混ぜ夕食の準備をしていた。

「おかえりなさい、シェフィ。今日も大変だったでしょう。ごはんもうすぐできるからね」

 シェフィが埃を払う仕草をしながら部屋に入る。

「やっぱり畑仕事は疲れますね。でも大丈夫です。今日はお野菜を少し分けてもらえました。それに……ほら、パンもおまけしてもらえたんですよ」

 シェフィが袋を見せると、エルナが少しだけ笑った。

「……頑張ったごほうびね。」

「ふふ、エルナ様にも食べてほしいですから」

 シェフィが疲れた顔を見せまいと、わざと明るい声で話す。エルナはそれが分かるから、何も言えなかった。

 ただ、シェフィが手を差し出した瞬間、一瞬だけその手を取るのをためらった――けれど、すぐに笑って受け取る。

 

 エルナの献身もあり、生きる気力を失っていたシェフィも前を向き始めていた。故郷を滅ぼされたその日から、廃屋を自分たちで改修して暮らしてきた。日中、シェフィは農地で働き、エルナは森の中で獣を狩って生活している。食卓に並んだのは、簡素なスープと硬いパンだけ。二人の暮らしは決して豊かなものでなかった。それでも二人で向かい合うと、不思議と心が温まった。

 

「ねえ、シェフィ……」

 スープを飲む手を止めて、エルナは問いかける。

「あなたは集落の人たちと一緒に暮らしたいとは思わないの?」

「え……?」

「あなたなら普通に暮らせる。仕事もあるし、きっと友達もできる。私と違って、あなたは人間だから」

 二人が住んでいた村では、竜人を神子として崇めていた。しかし、そんな信仰は小さな村の中だけの話、古い村の信仰をいつまでも守りシェフィはエルナの傍にいる。世界のほとんどで竜人は差別の対象であり、帝国は、人間以外の種族の立場は常に低いものだった。シェフィは驚いたようにエルナを見つめたが、すぐに首を振った。

 「私は……エルナ様と離れ離れになるなんて考えられません」

 「でも、集落にいたほうが安全だし、未来もあるわ」

 今、二人で生活していることが帝国の人間に知れ渡ればエルナはもちろんのことミカも竜人を匿った罪で処刑されてしまうだろう。

 「安全なんて、エルナ様がいないなら意味ありません。あの日、エルナ様が助けてくれなければ私は死んでいました。家族を失い、帰る場所も失い、生きる希望すら失っていた私を救ってくださったのはエルナ様なんですよ。だから決めたんです、私の生涯すべてをエルナ様のために捧げるって。エルナ様がいないなら、私はまたあの夜と同じように、生きる意味を失ってしまうから」

 その笑顔は強くて、真っ直ぐで――だからこそ、エルナは胸が痛んだ。

 「シェフィは、いつまでそんなふうに信じてくれるのかしら?」

「ずっとです。ですからお願いです、これからもエルナ様のお傍にいさせてください」

 シェフィは迷いのない声で答えた。竜人という種族は本物の神様ではない、ただ人間とは違う外見と高い身体能力をもっているだけの種族、そんなことはシェフィもとっくに理解はしている。理解した上でエルナと暮らすことを選んだ。エルナが何と言おうとシェフィの答えは変わらなかった。


 夜、シェフィが眠った後、エルナは寝台のそばに立ち、寝息を立てる少女の横顔をそっと見つめた。

「よほど疲れていたのね。」

 エルナが静かに身を引こうとしたとき、シェフィが小さく寝言をもらした。

「……エルナ様……一緒に……」

 その声に心臓を締め付けられる。エルナは灯を落とした部屋で、一人そっと尾を抱え込む。シェフィの笑顔を見るたびに、胸が苦しくなる。

(私はシェフィを救ったつもりで縛り付けているだけなのかもね……)

 自分と一緒にいる限り、シェフィには危険が付きまとう。わかっているのに遠ざけることができなかった。エルナは必死に願った。もう少しこの日々が続くように、シェフィが自分を信じたことが罰にならないようにと。

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私だけの神様にさよならを告げた日 よみがくれ @Yomigakure

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