白い回転(ショートショート)
雨光
忘れ物の温度
蛍光灯の白い光が、容赦なく降り注いでいた。
私は、アパートの洗濯機が壊れたという、ただそれだけの理由で、この午前三時のコインランドリーにいる。
洗剤と、安物の柔軟剤の匂いが甘く混じり合い、むせ返るような空気となって空間に満ちていた。
ごうん、ごうんと、巨大な機械が規則的な駆動音を立て続けている。
壁一面に並んだ洗濯機の、円いガラス窓は、さながら水族館の閉ざされた水槽のようであった。
その中で、他人の生活の切れ端が、渦を巻いて、互いに絡み合っている。
私は、それがひどく汚らわしいもののように思えた。
自分の洗濯が終わるのを待つ間、私はただ、ベンチに腰掛けていた。
客は、私一人だ。
いや、違う。
一台だけ、乾燥機が、まだ動いている。私が店に入った時から、ずっと。
その円窓の向こうで、白い布が、ひらり、ひらりと舞っていた。
まるで、ガラス瓶に囚われた、白い蝶のようだ。それは、女物の、簡素なワンピースのように見えた。
私は、その単調な回転から、目が離せなくなった。
白い布は、宙を舞い、ガラスに張り付き、またふわりと剥がれていく。
その動きは、不思議な官能を帯びていた。
見ているうちに、私は、そのワンピースの持ち主である、見も知らぬ女の幻影を心に描いていた。肌の白い、儚げな女。
このワンピースのように、清潔で、清らかな女。
やがて、私の洗濯は終わった。
しかし、あの乾燥機は、まだ誰も取りに来る気配がない。
忘れ物であろうか。
私が自分の洗濯物を乾燥機へ移し終えた頃、蝶の回転は、ふと、その動きを止めた。
乾燥が終わったのだ。
円窓の向こうで、白いワンピースは、くたりと力を失い、機械の底に横たわっている。
まるで、絞首刑にでも処された後のように、それは静かだった。
動悸がした。
私は、抗いがたい力に引かれるように、その乾燥機の前に立った。
ドアに手をかけると、まだ熱が残っている。
カチリ、と音を立ててドアを開けると、生暖かく湿った空気が、女のため息のように、私の顔に吹き付けた。
そして、香った。
さきほどの洗剤の匂いとは違う。
女の肌から発せられるような、甘く、密やかな香りが。
私は、吸い寄せられるように、その白い布に指先で触れた。
ああ、と声が漏れそうになる。
それは信じられないほど滑らかで、柔らかく、そして、まだ人間の温もりが、そこに残っているかのように感じられたのだ。
私は、罪を犯すように、あたりを見回した。
誰もいない。
監視カメラの、赤い小さなランプが、私を瞬きもせずに見つめている。
私は、そのワンピースを、自分の洗濯物の底にそっと忍ばせた。
病的な所有欲が、私の理性を麻痺させていた。
その夜、アパートの自室で、私は、あのワンピースをハンガーに掛け、飽きもせず眺めていた。
部屋の明かりの下で見ると、それは何の変哲もない、安物の白い布切れに過ぎない。
しかし、私の目には、それがこの世で最も美しい衣に見えた。
どこからか、女のすすり泣くような声が聞こえ始めた、と錯覚した時だった。
ハンガーに掛かっていたワンピースが、ひとりでに、ふわりと持ち上がった。
まるで、見えない誰かが、それに袖を通したかのように。
襟元が開き、腰がくびれ、スカートの裾が、ゆるやかに広がる。
それは、私の方へ、一歩、また一歩と、音もなく近づいてくる。
空っぽのはずの袖が、私を抱きしめようと、ゆっくりと差し伸べられた。
私は、声も出せず、ただ、それを見つめていた。
白い、あまりにも白い、虚無の抱擁が、私を包み込む、その瞬間まで。
白い回転(ショートショート) 雨光 @yuko718
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