第7話
武田は愛宮のことを本気で好きであるようだった。 一目惚れとのことだが、その想いは本物だ。愛宮はこの想いに惹かれたり、動かされることはないのだろうか。愛宮のほうを見た。
「あわわわわ」
混乱していた。変な声が出ている。こいつ、こんなにまっすぐに告白されたの初めてなんだろうね。だからこんなに慌てているんだろうね。乙女だね。
「あなた、名前は?」
武田は俺に尋ねた。
「夏川だ」
「夏川先輩は、愛宮先輩のこと、本当に好きなんすか?」
質問がぐさりと刺さる。本当に好きか。好きだったら今、武田に対して猛烈に苛立っているはずだ。苛立っていないということは、俺は愛宮に恋をしていないのだ。偽の恋人という関係を守れている。
が、ここで本心を口に出してはならないことは、俺も重々分かっていた。愛宮だって先ほど、武田の疑問にうなずいていたのだから。
「好きじゃなかったら、付き合ってないだろ」
「あわわわわ」
愛宮、ちょっとうるさい。
「そうなんすね。でも、夏川先輩からは愛宮先輩に対する想いがないように見えるのはなんでなんすかね? 俺の勘違いなんすかね?」
「ああ、きっとそうだ」
「そうすか。でも、俺は愛宮先輩が好きです。諦められません」
議論は平行線となりそうである。武田は折れそうにないし、俺は疑似交際を認めるわけにはいかないし、愛宮はぶっ壊れた。これ以上話していても時間の無駄であることは間違いない。
「とりあえず、まだ部活動中なんだ。話をするならまた違う日にしてくれ」
武田を諭すようにそう伝えた。真面目な性格なのか、すんなりと俺の要望に折れてくれて、武田は文芸部をあとにした。
「愛宮、とても面倒なことになってきたぞ。おい、しっかりしろ」
「あわわわ……はい」
壊れている愛宮を再起動させ、事態をどうするべきか考えた。とても面倒な状態である。武田は今後も部室に来るのだろうか。それならもういっそのこと、疑似交際であることを露呈し、愛宮が武田の想いを受け止めてしまえばいいのではないか。そんな単純な案しか浮かばなかった。
その案を伝えてみると、愛宮はうつむいた。
「夏川はそれでいいの?」
「俺にはそれくらいしか考えられない」
「ふうん」
「なんだよ」
「まあ、夏川がそれでいいなら、それでいいのかもね」
愛宮はどこか納得のいっていない様子を見せている。なにが言いたいのかをはっきりしない態度に、なんだかこちらも判然としない感情に覆われた。
「なんだ? はっきり言えばいいだろ」
「いやいや。大丈夫」
愛宮はなにか言いたそうだったが、その口から言葉があふれることはなかった。やはり俺の案が単純すぎたのかもしれない。
その日の部活動は早めに終わることとなり、俺は愛宮とともに最寄り駅まで歩いていた。
「日がのびてきたね」
夕焼けが俺たちの影をのばしている。のびた影は歩くたびに揺らめいて、春の終わりを告げているようだった。もうじき、夏が来る。初夏の風が吹く。その夏が来てしまえば、春が終わってしまえば。また一つ、俺は大人に近づいていく。時間が進むほど、俺という存在は色濃くなる。季節にはそんな実感がある。
「そうだな」
俺はそれしか言えなかった。それ以上、なにも言葉が出てこなかった。燃えている夕日に心を奪われているのか。照らされている愛宮の足取りが、なんだか重くなっている気がした。
「夏川」
気付けば、愛宮は俺の後ろにいた。立ち止まっていたらしい。振り返ると、愛宮が続けた。
「私の気持ちは、考えてくれないの?」
愛宮はただまっすぐに言葉をこぼした。俺はただ立ち尽くしていた。それが俺に対する疑問であることに気が付くと、ようやく言葉がもれた。
「それって、どういう……?」
「私はね、べつに武田くんのことは好きじゃないよ」
愛宮の声が震えているような気がした。俺に向けられている言葉が、微かに歪んでいるようにも思えた。
「夏川はこの状況をどうにかすることしか考えられてないよ! もっと人の気持ち、考えてよ! だって、私は! 武田くんじゃなくて————」
愛宮の言葉が途切れた。なにかを言いかけて、やめた。
「武田じゃなくて……なんだよ?」
「なんでもない。私、先に行くね。今日は一人で帰りたい」
そう言って、愛宮は先を行った。俺はやはり立ち尽くしていた。後を追ってこないでほしい。愛宮の背中がそう伝えていた。俺は近くのベンチに座り込んだ。少し考えたかった。
俺はなにか間違えたのだろう。いや、きっと間違えた。愛宮にとって、武田という存在はどこか特異ではないかと考えていた。現状、関係がある俺とは違って、本物であるととらえていた。
武田は間違いなく愛宮のことが好きであるから、その想いは俺の物より遥かに純真であり純粋である。詭弁でも欺瞞でもない。武田の想いは俺を凌駕している本当の感情だ。
それを愛宮にとって良いものだと考え過ぎていたのかもしれない。
——武田くんじゃなくて——
あの途切れた言葉に、どんな意味が込められていたのかは正直分からない。だが少なくとも、あれだけ声を荒げるということは、愛宮には愛宮なりの想いがあってのことだったのだ。想いを向けたいのは武田ではない。俺はそんな簡単なことを見落としていた。
「なんだ、そうだったのか」
独り言を呟いた。ベンチの背もたれに後頭部をのせて上を見た。夕日が滲んでいる空がある。
俺は間違えた。愛宮の真意を汲み取れていなかった。冷静に考えればこんな短時間で気が付けることだった。こんな簡単なことを分からずに、愛宮を傷つけてしまった。
もう景色の中に愛宮は見えない。ずっと先を歩いているのだろう。もう駅に着いているのかもしれない。俺は立ち上がってゆっくりと歩いた。前方に愛宮はいない。夕日が先ほどより濃く影をのばしている気がした。それは恐らく、気のせいだった。
スマートフォンを取り出し、愛宮にメッセージを送った。それがより確実に武田を諦めさせ、愛宮の尊厳をある程度は確保できる方法だと思った。
翌日。
「失礼します」
予想通り、武田は今日もやって来た。部活動が始まる十分前。
「なっ……!」
武田は声になっていない声をあげた。驚いたのだろう。まあ、こちらは驚かせるつもりでやっているのだ。そうやって反応を示してくれたほうが好都合である。
「ななな、なにやってんすか! ここ学校すよ!」
俺は席に座っている愛宮を抱きしめていた。どんどんと愛宮の体温が上がっている。肌で感じる。そんな愛宮を気にする様子を見せず、俺はまだ強い抱擁を構えていた。
「誰も来ないからいいだろ。俺は部活が始まる前にこうやって愛宮を抱きしめるのがルーティンなんだよ」
「だからって! こんな……!」
思った通りだった。武田の性格はまっすぐで純粋なのだ。結局は恋を知らない愛宮と同じなのだ。それならば対処法はだいたい分かる。愛宮を男にしたのが武田なのだから。
「愛宮、好きだ」
愛宮はなにも言わない。というか、なにも言わないように指示しておいた。こんな状態で愛宮になにか喋らせると、またぶっ壊れたラジオみたいな声を上げ始める。そんな様子を武田に見せてしまうと、また変に疑われてしまう。そうなればこの「部活動前に抱きしめよう作戦」は台無しだ。
「もういいっす! 分かりました! お二人が愛し合っているのはよく分かりました!」
そう言って、武田は文芸部から去っていった。もう来ないだろう。というかもう来ないでくれ。武田、お前は本当に面倒くさい奴だった。
「あの……夏川、もう武田くん行ったから」
愛宮はひどく照れた様子で、肩にかかっている俺の腕を動かそうとしていた。
「あ、すまん。たしかに、もういいか」
愛宮はうつむいていた。なにも言わなかった。愛宮のそばから離れ、俺はいつもの席に座った。
「さて、邪魔者は退散したわけだし、執筆するか」
「ねえ、夏川」
愛宮はようやく平静を取り戻していた。落ち着いた様子で喋っている。
「なんだ?」
「ありがとね。嬉しかったよ」
俺は分からなかった。その「嬉しかった」は、なにに対してのものだったのだろうか。まさか、俺の抱擁が嬉しかったわけではあるまい。では、なにに言ったのだろうか。分からないまま執筆を続けた。小説はその日に完成したのだった。
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