第6話
愛宮が告白をされた。いや、俺はどういうリアクションをすればいいの? こういうときは祝福をするべきか。それとも驚いたほうが自然なのか。どちらの反応も、きっとどこか違う。今、俺が抱えている感情は戸惑いでしかなかった。ただそれだけである。
『とりあえず部室に戻ってこいよ。話はそれから聞く』
愛宮にメッセージを送った。既読がついて、中庭にいる愛宮は動揺を隠せない足取りで正門へと歩く。誰もいなくなった中庭を見ると、緑の葉を携えた桜の木が寂しそうに映った。まるで人間を欲しているような、そんな自然の欲望が見えた。
愛宮が部室に戻ってきた。膝が微かに震えている。緊張が解けたか弱い子どものようだった。
愛宮がトイレから出ると、突然先ほどの一年生「武田」に話しかけられたらしい。「大事な話がある」とのことで中庭に連れ出され、そこで告白をされた。というのが経緯であるようだった。
「なるほどな。でもお前、一年生と接点なんてあったのか? 相手はどういう経緯でお前に告白したんだよ?」
「なんか、その、一目惚れ? らしくて」
一目惚れ。そんなものが本当にあることに驚いた。素性を知らない相手を好きになることが本当にあるものなのか。あの武田という一年生はそういった運命的な事柄を信じるようには見えなかったのだが。
「お前は相手がどんな人なのかは知らないんだろ? 一目惚れだとしてもそれはなんか怖くね?」
「うーん。まあでも告白をされる前に中庭で少し雑談はした」
「そんなものの数分で相手のことなんか理解できないだろ」
「武田くんは野球部なんだけど、腕をケガしてて部活は休んでる……くらいの話しかしてない」
「浅っ! 情報が浅すぎるだろ」
愛宮は武田のことをよく知らない状態である。でもそれは逆もしかりではないか。だってそうだろう。一目惚れなんていう経緯なのだから、武田も愛宮のことを全く知らない状態のはずである。互いに関する情報が浅い。俺だったら警戒しちゃうね。
「んで、なんて返事するんだよ。その告白」
「いや~、断るつもりではいるよ。だって私は今、夏川と付き合ってることになってるし」
そう言っている愛宮が、まだ少し戸惑っているのが分かった。告白をされ慣れていないのだろう。愛宮は未だ恋を知らない。本当の恋に関する知識と経験が少ない。だから今回の件は、愛宮にとって重大なことであるのは間違いない。
グラウンドから爽やかな金属音が響いた。バットにボールが当たった音。野球部の練習風景が連想された。そこから武田の顔がまた浮かんだ。
一目惚れというくらいなのだから、武田は愛宮の外見だけを決め手に告白をしたのだろう。外見だけを判断して告白って。男って本当にバカなんだから。もっと内面を見なさいよ。この女の内面を。最近はそんなにダメ女エピソードはないが、関わっていくうちに愛宮の内面に幻滅する。そういう女なんだよ。愛宮奏は。
「断るとき、気を付けろよ。特に俺の名前出すとき。あれだから。矛先が俺に向くから」
「自分の心配しかしてないじゃん」
愛宮は深く溜息を吐いた。これは悩んでいる。すごく悩んだ顔をしている。人間はこんな顔をするときがあるのか。いや、愛宮だからこんな顔をするのか。表情がどんどんとしわくちゃになっていく。この一瞬で老けたように思える。
「愛宮、本当に断れるのか?」
「え、もしかして夏川、心配してんの? 私が武田くんのところに行っちゃうと思ってんの?」
「うざいな。そういう意味じゃない」
「じゃあ、どういう意味?」
俺と愛宮は付き合っている。それは周囲の目に映っている事実だ。つまり嘘の関係で偽物ということ。そしてそれは、愛宮の小説を成長させるためのものなのだ。俺は愛宮に本物の恋愛感情は持ち合わせていない。
だったら、そんな俺ではなく、本当の恋心を持って告白してきた武田を選んだほうがよりいいのではないか。そんなことを思ってしまった。それが「本当に断れるのか?」という問いの真意だ。
と思ったが、愛宮はその真意に一切気づいていない。こいつ、普段からなんにも考えてないじゃん。少しは物事に頭を働かせなさいよ。いつか詐欺に合うぞ。
「べつに、深い意味はない」
「本当にぃ~? 正直に言ってみなよ~。私のこと、ちょっとは心配してるんじゃないの~?」
うざい。こいつのことを考えて問うてみたがその必要はなさそうだ。こんな思考停止人間に俺の脳のリソースを割く必要性は全くない。無駄な気遣いだった。
「俺はお前にそういう心配をしたことは一度もない」
「ひん。辛辣」
「だが、お前が俺の元を離れるとしたら、まあ正直、寂しくはなる」
「え?」
「この関係は嘘で塗り固められたものだが、お前が俺の近くからいなくなるというのは、正直、少し寂しい」
愛宮のことを恋愛対象としては見ない。が、俺はこいつの小説がどんどんと進化する様を見たい。そのための疑似交際であるのだから。だからそれを近くで見られなくなるのは寂しい。
という意味で言ったのだが、愛宮はなぜか顔を赤くしている。
「もう! なに急に! 恥ずかしい!」
やっぱりこいつ、俺の真意をなんにも分かってない。ダメだなこれは。将来、めちゃくちゃ怪しいセールスマンがやってきて高い壺とか買わされるやつだ。
「お前、本当にこういうの慣れてないんだな」
「うるさい! バカ!」
赤面する愛宮を放っておき、俺は執筆を再開した。短編小説として、完成が間近に見えていた。
部活が終わって家に帰ると、姉貴がソファに寝転んでいた。女子力というものが皆無で、だらしない様子でテレビを見ている。
「おかえり」
「ただいま」
姉貴がリビングにいるのは珍しかった。夕方まで大学で授業を受けたあと、家に帰ってきて、自室で惰眠をむさぼっているのが常なのだが。
「今日は珍しくリビングにいるんだな。姉貴」
「今日の授業はそんなに疲弊するもんじゃなかったからね。そんなことよりあんた、こんな時間に帰ってくんの? バイトでもしてんの?」
姉貴はなにも知らない様子で尋ねてきた。文芸部で部長をやっていることは以前にも話したはずなのだが、自分以外の人間に興味がない姉貴はそんな情報もすぐに忘れてしまう。
「前も言っただろ。俺は文芸部やってんの。だからだいたい帰りはこんくらいになるんだよ」
「ああー、そういえばそんなこと聞いたなぁ。いや、聞いたっけ? 言われてない気がしなくもない……」
このバカ姉貴の記憶力は終わっている。数式などの規則性があるものを覚えることは得意らしいが、それ以外はまるでダメ。弟である俺の顔すらたまに忘れることがあるらしい。
「文芸部って女子とか多そう。好きな人とかできないの?」
姉貴にしては珍しい質問だった。他人の恋愛事情が気になるような人間ではなかったのだが、最近は関心を持ち始めたのかもしれない。
「部員は部長の俺を含めて二人だけだから」
「その部員は男? 女?」
「なんでそんな気になるんだよ」
「気になる。教えなさい」
「いやまあ、女だけど」
「おお! 好きなのか?」
「そういうのはないって。姉貴、なんかキモいぞ」
俺が言うと、姉貴は嘲笑するように声を出し、再び視線をテレビに戻した。ソファが姉貴の体で沈んでいる。ここで「あれ~? 太ったのかなぁ?」と、俺も嘲笑を返してやろうかと思ったがやめた。恐らく言葉より先に拳が飛んでくる。
冷蔵庫からお2リットルのお茶を取り出し、ガラスコップに注いだ。それを呷っていると、
「今度、その子うちに連れてきなよ」
むせた。思わずお茶をふき出しそうになった。このクソ姉貴はきっと、面白がってそういうことを言っている。こちらとしてはなにも面白いことではない。
「冗談やめろ。お茶ぶっかけるぞ」
「そうやって慌てるってことはさ、その子とはただの友達じゃないってことじゃないの?」
こちらがなにかを語ったわけでもないのに、姉貴はいつもこうして真実を突いてくる。不快だ。姉貴には昔からそういうところがある。
「はぁ……やめてくれ」
そう言ってさっさと自室へ上がった。ベッドの上に寝転び、読みかけの本を読み始めた。
愛宮が告白された件。姉貴に相談をしたらなにかヒントがあるだろうか。いや、あるわけがない。やめておこう。
翌日の部活にて。俺はようやく部誌に載せる短編小説を書き終えた。あとは顧問に原稿のデータを持っていくだけである。USBメモリに原稿のデータをコピーして、俺たちが部室を出ようとすると、
「失礼します」
部室のドアが開かれた。そこに立っていたのは武田で、俺と愛宮は思わず足を止めた。唐突な武田の訪問に、愛宮が緊張し始めたのが分かる。
「愛宮先輩は、この人と付き合ってるんすよね?」
武田が俺を指さしていた。おい、先輩に指さすなよ。失礼だろ。
「うん、そうだよ」
愛宮は武田に俺たちのことを話しているようだった。
「それでも俺、愛宮先輩のこと諦められないっす」
待て待て。この状況、修羅場すぎるだろ。
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