『隣の植村さん』

猫師匠

第一話「隣に引っ越してきたのは“おばさん”──のはずだった。」

 朝、アパートの廊下に出た瞬間、俺は思わず舌打ちを漏らした。

「……うわ、引っ越してきてるじゃん」


 俺の部屋、103号室の隣。長らく空き部屋だったそこに、昨日から引っ越しの気配があった。今日になって見ると、既に表札が新しいものに変わっていた。

「植村……恭子、さん?」

 やたらと整った文字。こういうの、女子力高そうな感じ。

 が、俺はそっとその場を離れる。どうせ、おばさんだ。ここに来るのなんて、おばさんしかいない。


 ——そう思ってた。

 その数分後、階段下で鉢合わせるまでは。


 エコバッグを肩にかけた女の人。ワンピース姿に、ゆるく結ばれた髪。

 あっ、とは思った。

 正直、綺麗な人だった。

 でもその直後、俺の脳内では防衛本能が叫び出す。


(あ〜〜〜〜〜〜〜でも絶対おばさんだってこれ!)


 そう。俺は22歳。若い女子高生、女子中学生が好きだ。Silent Riotの姫咲ことねちゃんを推してるガチ勢で、今日もライブ帰りのタオルがバッグに入ってる。

 ——なのに。

「おはようございます」

 ふっと、微笑まれてしまった。


 声がやさしい。

 目が少し、寂しそうだった。

 そして、なぜか。


 初恋の人に似てた。


「……お、お、おはようございます……」

 声がうわずった俺は、そのまま逃げるように階段を駆け下りた。



 夜。コンビニ弁当をつついていたら、ドアがノックされた。

 開けると、例の“おばさん”——いや、植村さんがそこにいた。


「あの……よかったら、味噌汁だけなんですけど……飲みませんか?」

 手には、サーモスのポットとお椀がふたつ。


「作りすぎちゃって……でも、捨てるのももったいなくて」


 なんでだよ。

 なんでそんなこと言うんだよ。

 俺、今まで、女子大生以上は全部“おばさん”だと思ってた。

 けど、目の前のこの人は。


 やさしくて、ちょっとだけ寂しそうで、すごく綺麗だった。


「……飲みます」


 返事をした瞬間、足元に黒い犬が近づいてきた。

「べす、ダメよ、吠えちゃ——」


 が、もう遅い。


「ウ゛ゥゥゥゥゥ……」

「お、おおお前、またかよっ!」


 猫丸のおじさんの愛犬、べす。

 なぜか俺にだけ異様に厳しい。今日も例外ではなかった。


 植村さんは笑った。

 べすは唸った。

 味噌汁は、少ししょっぱかった。

 でも——あたたかかった。

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