1945年8月16日 

@YOROZUTEI

1945年8月16日

小説 疎開


八月七日突如彼はやってきた。昼間だった。正確には十四時ごろだったか。彼はいつもと同じ無愛想な顔で偶然門扉を出た僕にやあと声を掛けただけだった。格好は、無帽によれた国民服、ゲートルを巻いて軍靴にリュックという出立ちだった。

「やあ、どうしたんだいそんな格好で。」

「いやあね、」

彼はまだ無愛想のままだった。

「まあ、いいよ。入りたまえ」

「いやあ、少し汚れてるから悪いけど水をもらえるかな」

私は、彼を猫の額ほどの庭に面する縁側に回し、妻に水の桶を持って来させた。

彼は二度水を換えると足と手を洗い、五畳ほどの客間に上がった。

「いや、本当に久しぶりだねぇ」

私はいつも通りこの最もの友人にさえ愛想笑いをもって言った。

「そうだねえ、君が藤沢に引っ越して以来かな」

私は、19年の12月に東京の家を引き払い、この藤沢の海側の家にやってきたのだ。

「そういえばそうだ。君も八王子に疎開したそうじゃないか。」

彼もついこの間の手紙でそのことを書いていた。

彼は難しそうな顔をして固まった。彼は濡らした手拭いで砂埃のついた顔を拭きながら言った。

「うん、そのことなんだけどねえ、実は僕もやられてねえ」

「空襲にかい。そうか、八王子もやられたかい。」

私にとってそれは意外であった。八王子まで焼かれてはいよいよ本土決戦も近いと思わざるをえなかった。僕はふと彼の奥に置いていた壺に目をやった。

「うん、でね、僕はこんな調子だから行くあてもそんなになくて。親類縁者は皆九州だし、友といっても頼れるのは君くらいなものだし」

彼も私も、小説家であった。私はこの言葉をひどく嬉しく思った。私も友は少ない。

「構わないさ、どうせこの家は、妻と私と坊主だけじゃ広すぎすんだ。2階を使ったらいい。」

実際、我が家にとって広すぎたこの家は問題なかったが、食料は問題だ。彼は、いつもの調子で私にお礼を言った。そして続けた。

「それにね、どうせ死ぬならあれだけ文章の中で大層なことを言ったのだからせめて最前線でと思ってね」

本土決戦では神奈川に米軍が最初に上陸するとはもっぱらの噂であった。

「そうかい、で、荷物はそれだけかい」

彼の荷物は独身にしてもリュック一つは少なかった。

「後は、灰になったさ」

と言って彼は屈託なく笑った。

「あの絵も焼けたのかい」

彼は、なんとかという洋画家のパリを描いた立派な洋画を所有していた。私は、それを気に入っていた。

「ああ、焼いちまった。どうせなら君に譲っておくんだった、惜しいことをした。」

彼は心底悔しそうだった。私は、惜しい気がしたが、彼の悔し気な顔を見るともうどうでもよくなった。

「ま、いいさ、アメ公にやるよりは」


そこからは、縁側に腰掛けて酒盛だった。そうは言っても今時である。ろくな酒はない。配給の酒とちょっとした焼酎。肴には、漁師に融通してもらった刺身を並べた。

酒を飲んで彼は一言。

「不味いね」

彼ははっきり言った。私も苦笑いしながら不味い続けた。肴が今となっては贅沢な分惜しかった。

「無理かねえ」

そう言って彼は不味い酒をあおようにして呑んだ。

「さあねえ、無理かもねえ」

今時の戦争についてである。

彼は、自分の杯に今度は焼酎を注いだ。そこに妻が芋の蒸しを持ってくる。よほど退げるように言おうと思ったが、私も彼も顔を見合わせてまた苦笑い。お互いに食べ始めた。この時分、腹を減らしていない人間はいなかった。


「死ぬかい」

今度は私が聞いた。彼は、芋を食べながら、私に目を合わせることもせず答えた。

「死ぬさ、君は」

「私も死ぬさ」

死ぬ他あるまいと思ってため息がでた。しかし、私は、思わずすんなり出たその言葉に密かに興奮した。

「そういえば君、あの作品は発表しないのかい」

彼は、『海』という私の未発表の原稿の名前をあげた。それは、以前彼に読ませたものだった。

「ああ、あれはいけないよ。時勢的じゃないさ」

「そうだね、君の最近の作品は多分に時勢的だからね」

彼は杯を人差し指と親指でぶら下げたまま真面目な顔で頷いた。

「おしいね、米兵は日本語は読めないだろう」

私は笑った。

「それもそうだ。明日にでも焼いてしまおう」

彼はならば、題名通り海にばら撒こうと言った。私もそれに賛成した。それから私たちはしばらくどこでばら撒くか計画した。そうすると気障に思えてきて明日散歩してすぐのところでばら撒くことに決めた。


私たちは、2時過ぎに寝た。翌日の昼間に彼と海岸を歩いた。私も彼も地味な綿の浴衣に下駄だった。私は、昨晩画策した通り、堤防から原稿を破いて海にばら撒いた。彼はただしゃがんでそれを見ていた。

「気障だったよ」

彼はイタズラな笑みでそう言った。私は今更に少しその原稿が惜しくなった。焼いた方が良かったかと思った。

「題名があんなだから仕方ないさ」

誰に言うともなく私は言った。


「枕を並べて討ち死にか」

彼はボソッと放った。

「いいじゃないか、よっぽどカッコがつくさ」

それから私も彼も何も言わずただ燦々たる海を眺めた。


どちらともなくまた海岸を歩き始めた。

「ペリーはここを渡ってきたんだろうね」

海を見ながら彼はまた何気なさ気に言った。私が後を続けた。

「嫌なやつだな、気障すぎる」

彼はやはり同感らしく頷いた。


「痛いかな」

私は彼に聞いた。

「少しさ」

彼の答えは良かった。彼は続けて簡単に死にはしないさと言った。

「いつかな」

また私は聞いた。

「さあね、芋が食えなくなった頃だろう」

彼の率直な答えは私に思わず辺りを見回させた。人に聞かれたくなかった。


それからすぐ私は、新聞に寄せる原稿のために家に戻った。彼もしばらくして戻ってきた。彼は僕に声だけかけると2階のあてがわれた部屋に戻って行った。


八月十一日夕方。

彼は少し街の方に出てたようだが、帰ってきた。

「やあ、ただいま。」

「ん、ああ、おかえり。どこに」

彼は東京の出版社の名前をあげた。そこの編集員に会ってきたらしい。彼はすぐ2階に上がってしまったが、すぐに降りてきた。

「おい、君。上がって来給えよ、たまには上でやろう」

私は、今妻がいないので、酒の用意が分からないと言うと、杯だけ持って上がってこいと彼はいうのである。私はそれで察して浴衣で転びそうになりながら急いで上がった。私も彼も無類の酒好きである。彼は、私が部屋に上がるとその6畳ほどの部屋に何冊かの本を積んだちゃぶ台の上を片付けてウィスキーのボトルを置いた所だった。

「どうしたんだいこんな上等なもの」

「今日会った編集員に頼んでみていたんだ」

「へえー、まだあるとこにはあるんだなあ」

彼によると前にその編集者の家を訪ねた時に彼は飲まないのにそのウィスキーを飾っていたのを思い出してついでに持ってきてもらったのだという。

「よく逃げたね」

「彼は運が良くてね、焼け逃れたさ」

そう言いながら彼はさっそく瓶を開けていた。 

「悪いね、グラスは無かったよ」

「こんな時代さ」

彼も私も飲んだ。彼の部屋の窓からは綺麗に太平洋が見えた。彼は唐突に言った。

「君にも世話になったねえ」

「いきなりどうしたんだい」

聞いたが、時勢的にそこまで不思議でなく、追求はしなかった。


八月十五日朝。

私と彼は、ラジヲで正午の重大放送のことを知った。

「なんでも陛下御自らのご放送らしいですよ」

妻が子供をあやしながら私と彼に言った。それから正午までは私も彼も仕事部屋に篭ってしまった。


正午少し前。彼は国民服姿で一階に降りてきた。私もそれを見て慌てて一着だけ残しておいた背広に着替えた。

「吸うかい」

彼はパラパラと何本か入った煙草箱を出してきた。私は一本貰うと彼がマッチの火を勧めてきた。

「君も良く持ってたね」

「リュックの底にあったんだ」

しばらく沈黙だった。

「さあ、そろそろさ」


ラジヲは特別にちゃぶ台の上に置かれ。私たち2人はラジヲの前に正座しその後ろに子供を抱いた妻が座った。

国歌のあとあの放送だった。妻は涙を溢していた。純粋な女だと思った。私は彼女を心から愛しく思った。  


「終わったね」

彼は聞いた。

「放送かい」

私は一言「戦争」とだけ言った。彼は何も言わずに頷いた。私と彼はそのまま散歩に出た。何も変わらなかった。海には太陽が注ぎ、堤防に波が打ち寄せていた。


八月十六日朝。

顔見知りの漁師が家に駆け込んできた。彼の妻はよく我が家に魚を融通してくれていた。そして、その漁師は2階の彼が海岸で命を絶ったことを上がる息で告げた。服毒だった。それからは警察や何やら慌ただしくなった。私も彼の実家に電報を打ってやるやらなんやら忙しかった。電報を打っても、本当に届くかどうか怪しい時代だった。とりあえず遺骸は我が家に安置された。彼の遺書には作家の責任とだけあった。

私はやられたと思った。






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