第3話 昼休みと卵焼き
四時間目の終わりのチャイムは昼休みの始まりの合図だ。教科書や筆箱をしまった生徒たちは、ざわざわしながら思い思いの場所に行き弁当を囲む。僕が机の上に弁当の入った巾着袋を出した頃、窓際の僕の席に弁当を片手に持った二人組が近づいてくる。
「やっと飯だな。」
と伸びをしながら僕の隣の席から椅子を引っ張り出して、僕の机の方に向けて座る。こいつが大田原勉。ツトムは社交的でよく喋る、色んな学校事情にもなぜか詳しい。
「次の数学、小テストするって言ってたね。」
僕の前の席の椅子をそのまま僕の方に向けて座る、彼が小野寺圭介だ。ケイスケはまだ中学生といえる幼い顔をしている。だがその内面は、小説や映画、日本のサブカルチャーを一通り話すことができるオタクタイプの人間だ。だからといってクセが強いわけではなく、そのかわいらしさから女子の人気を集めているのだ。僕はといえば、平凡を掲げる何の特徴もないごくごく普通の男子高校生だ。何色にも染まらないし、何にもこだわらない生き方を実践している。
それぞれが弁当箱を開け、食事を始めながら、僕は昨日の放課後の出来事を二人に話した。相手の先輩のことを僕は全く知らない。あのきれいな先輩はどんな人なのだろうか。初対面のはずなのに、全然戸惑う様子もなかった。僕は何の期待もせずに、
「ところで、二人とも三沢椿って人知ってる?」
と二人に聞いてみた。するとツトムが、
「もちろん知ってる。有名人だからな。」
と得意そうに言う。なぜツトムが得意になるかはわからないが。ケイスケも同じような表情で「うんうん」と頷いている。
「名前くらいは、全校生徒が知ってるよ。」
と二人は「三沢椿」という単語がまるで一般常識であるかのように言う。
「へえ、けっこう有名な人なんだ。」
と僕がつぶやくと、ツトムは深刻そうな表情で僕に言う。
「まさかお前、三沢椿を知らないのか?」
昨日の三沢先輩とのやり取りを思い出しながら、
「知ってるといえば知ってるけど、よくは知らない。」
と答えた。まさか二人が三沢先輩の名前を知っているとは思わなかった。でも、あれだけ存在感があるのだから、みんなに知られているのは当然といえば当然なことだ。
聞いてもいないのに二人は三沢先輩の説明を始めた。
「いいか、三沢椿と言えばな男子なら誰でも一度は好きになる、学校一の美少女なんだぞ。」
「あのルックスに加えて成績優秀。まさに才色兼備を絵に描いたような人だね。」
と、二人は持っている三沢先輩情報を惜しげもなく教えてくれる。
「ところで、なんでガクが三沢椿のことを聞くの?」
とケイスケが鋭いところを突いてくる。返事にもたついていると、ツトムが、
「まさかとは思うが、お前が定期を拾った相手って・・・。」
「三沢椿さんのだけど。」
僕は普通に答えた。これには二人とも声をそろえて驚いた。
「ガクなんかが、あの三沢先輩と接点を持っただと!」
「僕なんかで悪かったな。」
「名前くらいしか知らないガクに僕たちが出し抜かれるなんて。」
別に出し抜いたつもりはないのだが。しかし、この二人の悔しがり方からすると、僕が第一印象に感じた「住む世界が違う」っていうのは当たっている。きれいで勉強もできてみんなからの注目を浴びる三沢先輩と、かたや僕みたいな普通のやつでは比べるまでもない。
「でもまあ、これっきりだろうし、変な期待は抱かないことだな。」
先ほどまでの悔しそうな態度をころっと変えて、ツトムは僕の肩をポンっと叩きながら言った。
「そうそう。この前買ったアイドルのDVD貸してあげるから。」
と慰めるようにケイスケは言う。
「おいおい、僕は何も期待もしてないし、フラれたわけでもないぞ。」
僕のささやかな放課後の出来事に決着をつけた二人は、満足そうに再び弁当を食べ始めた。
ふとツトムが廊下に目をやる。
「なんか廊下が騒がしいな。」
その言葉につられて僕とケイスケも廊下に目を向けた。何が起きているかわからず、様子をうかがう教室の静かさに対して、廊下には人混みができてざわざわしていた。
「本当だね。何かあったのかな。」
ケイスケは体を右に左にずらしながら、人混みの向こうで何が起きているのかを確認しようとしている。目を向けていた僕だったが、自分には関係ないと判断し、母の作る甘い卵焼きに箸をのばし、口に入れようとした時だった。
「一ノ瀬!」
教室の入口付近で集まっていた男子生徒のうちの一人が僕の名前を呼ぶ。卵焼きの位置はそのままに顔だけを呼ばれた方に向ける。すると、そこには人だかりの中にあって、ひと際存在感を放つ女子生徒がいた。僕は固まった。持ち上げた卵焼きは、飲食店の店先に並べられたナポリタンの食品サンプルに負けてはいない。僕を呼んだ男子生徒は僕の方を指さし、
「あそこです。」
と女子生徒に伝えた。
「どうもありがとう。」
そうお礼を言って、笑顔を見せた。ツトムがさっき言った「男子が一度は恋をする」という意味がようやくわかった。なぜなら、笑顔を向けられた男子生徒の顔があまりにもだらしなくなったからだ。
女子生徒はまっすぐこちらに向かってくる。昼休みの教室は、さらに静かになった。一歩進むごとにみんなの目線は彼女に集まり、次第にその目線は終着点であろう僕の方に向けられる。みんなが注目する中、彼女の足はやはり僕のところで止まった。才色兼備、学校中の誰もが憧れる今まさに話題の三沢椿がそこに立った。よくわからないが、とりあえず僕は卵焼きを食べた。
「食事中ごめんね。昨日はどうもありがとう。」
周囲の目線の中で堂々としているが、その言葉はどこか恥ずかしそうだった。なぜ口に入れたのか。口いっぱいの卵焼きを急いで飲み込んだ。
「食事中ですみません。えっと、どういたしまして。まさか、それを言いにわざわざ来てくれたんですか?」
「どうしてもお礼が言いたくて。でも一ノ瀬君のクラス聞いてなかったから、かなり探しちゃった。」
と苦笑した。
僕のクラスは五組だ。教室棟の三階に一年生の教室があり、階段を上って手前から一組、二組…という並びになっている。ちなみにクラスは六クラス。つまり三沢先輩は片っ端からクラスを回り、僕を探していたということになる。そしてクラスを回るごとにギャラリーは増えていき、ここ五組に集まったというわけだ。集まった人々の視線はもちろん三沢先輩に対する好意と憧れがほとんどなのだが、その中に僕に対する好奇と敵意とを感じていた。当の三沢先輩はそんな視線を全く気にせず、手に持っていた紙袋を僕に差し出した。
「それでこれ、お礼にと思って。うちの近所においしいお菓子屋さんがあって、そこのクッキーがすごくおいしいんだ。良かったらみんなで食べてね。」
僕は席を立ち、差し出された紙袋を受け取った。
「あ、ありがとうございます。」
「こちらこそ。それじゃあ、またね。」
そう言うとくるりと体を出口の方に向け、颯爽と教室を出て行った。三沢先輩の姿が見えなくなった後の全員のリアクションが、ツトムとケイスケと一緒だったことは言うまでもない。
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