僕を光らせた

おかやん

第1話 落とし物と僕

 放課後の掃除当番も終わり、僕は荷物をまとめて教室を出た。そわそわするような雰囲気の放課後は、徐々に自分の生活の空気になりつつあった。特に用事のない僕の足は、下駄箱へとまっすぐ向かう。ある生徒はクラブ活動に精を出し、またある生徒はチャイムと同時に帰宅していく。そのどちらでもない僕は、吹奏楽部の楽器の音が聞こえる廊下を歩いていた。

 下駄箱につながる階段を降りると、そこに花柄のパスケースが落ちていた。中には定期が入っていると思われる。「これがないと帰れない」と慌てる生徒や駅まで行ってしまった生徒が、改札の前で絶望する姿を想像した。そう考えると見て見ぬふりをするのは、さすがにまずいと思った。僕は仕方なくパスケースを拾い上げ、花柄の面の反対をめくる。そこには思っていた通り定期が入っており、そこに名前が書いてあった。

「ミサワ ツバキ」

書いてある名前をつぶやく。まだ近くにいるかもしれないと思い、僕は小走りに下駄箱に向かった。各学年に分かれている下駄箱は昇降口から入って、左が一年生、真ん中が二年生、右側が三年生になっている。僕は一番手前の一年生の列から順番に探していき、二年生の列で外靴を手に取る女子生徒を見つけた。視界の片隅に僕の姿が入ったのか、彼女は僕の方に顔を向けた。何と言ったらいいのだろうか。僕の表現力では、彼女の容貌のすべてを表現することはできない。「それだけ?」とがっかりされるかもしれないが、ただきれいだった。おそらく僕が生涯ほとんど関わることがないであろう、そういう美しさをこの「ミサワツバキ」さんは持っていた。目が合っているのに次の言葉が出てこなかったのは、僕が初対面の人に対してどう接していいのかわからないということよりも、彼女の存在感に僕が圧倒されてしまっているといった方が的確に思われた。まずは、落し物の主かどうかを確認しなければと思った。

「あの、突然すみません。えっと、ミサワツバキさんでしょうか?」

と尋ねると、

「はい、三沢椿ですけど。」

凛としていて、それでいて暖かい声が答えた。僕とは反対に落ち着いた彼女に、僕の緊張は解けないままであった。持っていたパスケースを彼女に差し出す。

「さっき階段のところで拾いました。まだいるかなと思って探してたんです。」

差し出されたパスケースを見ながら、はっとした表情で三沢椿さんは自分のカバンの外ポケットを確認した。交互に見て、差し出されているパスケースが確かに自分のものだとわかると、

「ありがとう。もしこのまま帰っていたら、また戻ってこなくちゃいけないところだったよ。」

と、ほっとした笑顔を僕に向けた。こんなにまっすぐに笑顔を向けられると。僕は視線をそらしてから言った。

「良かったです。それでは、僕はこのへんで。」

振り返ろうとしたところ、「ちょっと。」と呼び止められた。僕の姿を上から下まで一通り確認してから、

「制服新しいし、もしかして一年生かな。」

初対面の緊張感を一切感じさせない言葉が後に続いた。まだおろしてひと月もたっていない学生服は少しだけ大きい。そう思われていたら恥ずかしいところだ。僕は、

「そうですけど。」

と軽くうなずいた。

「そっかそっか。えっと、改めて私は二年生の三沢椿。よろしくね。」

さっきと同じまっすぐな笑顔が向けられた。僕はさっきと同じように視線をそらして、

「こ、こちらこそよろしくお願いします。」

と頭を下げた。今度こそ帰ろうとすると、「最後に。」と再び呼び止められた。よっぽど帰りたい人なんだと相手に思わせてしまったかもしれない。

「すみません。どうぞ。」

彼女は僕の状態を確認し、一呼吸おいてから尋ねた。

「よかったら君の名前も教えてくれないかな。」

どきっとして、僕はそらしていた視線を彼女の方に戻した。相変わらずまっすぐにこちらを見てくるその瞳に、放課後の日の光が差し込んできらきらしていた。ごくごくありふれた質問なのに、なんだか特別な質問のように聞こえた。少し速くなった鼓動を落ち着かせながら、僕は初めてちゃんと彼女の目を見て言った。

「僕の名前は学です。一ノ瀬学です。」


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