第5話 静かな部屋に音が満ちる
──呼吸の音が、やけに大きく聞こえる
夜がある。
直人の部屋は、壁もカーテンも
グレーで統一されていた。
外界と遮断されたような空間は、
安心と同時に、孤独の箱でもあった。
パニック障害と診断されてから、
電車も外出も、ほとんどできなくなった。
イヤホンをして、何も考えずに
YouTubeを眺めている時間だけが、
心の鎮静剤だった。
その日も、音楽アプリで
ランダムに流れるプレイリストを
受け流していた。
ふと、再生された一本のライブ映像。
タイトルは知らない名前のグループ──
「Stella⭐︎Luxe(ステラリュクス)」
再生ボタンを押すつもりはなかった。
けれど、ふと画面の中で目が合った気がした。
カメラの奥にまっすぐ笑いかける、
一人の少女。
朝比奈もも。
画面越しでも、彼女の声はなぜか
真っすぐに飛び込んできた。
完璧なパフォーマンスではなかった。
でも、ステージの上のももは、
全身を使って今を生きていた。
無防備な笑顔、踊りながら
崩れそうになる呼吸、
でも前を向き続ける姿。
──あ、と思った。
胸の奥にふいに温度が差す感覚。
ずっと忘れていた感情だった。
気づいたときには、頬を涙が伝っていた。
喉の奥が痛くて、苦しくて、でも、
確かに心が“震えている”と感じた。
「……なんで……」
涙の理由は、まだ言葉にできなかった。
でも、彼女の笑顔を見ていたら、
不思議と「今日が終わってほしくない」
と思った。
今までの夜は、静かすぎて怖かった。
でも今夜は──画面越しに、誰かの生きる音が鳴っている。
それがただ、まっすぐに嬉しかった。
その日、直人は初めてYouTubeに
コメントを残した。
震える指で打ち込んだ、たったひとつの言葉。
「ありがとう。」
誰にも気づかれなくてもいい。
でもきっと、彼女は今日も、どこかで誰かを救っている。
──静かな部屋に、音が満ちた。
それは、たしかな“生”の気配だった。
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