内弁慶の外地蔵
クライングフリーマン
内弁慶の外地蔵
======== この物語はあくまでもノンフィクションです =========
私は所謂『内弁慶』だった。
内弁慶とは、「内弁慶の外地蔵」を略して言うのだが、『家の中では威張っているのに、外に出ると気が小さく大人しい人のことを指す諺』である。
小学校中学年のことだから、皆、笑って許せる範囲かも知れない。
国のトップになってまで、「内弁慶の外地蔵」なら、かなり恥ずかしい話だが、その話は横に置いておこう。
さて、実家は商売をしていた。八百屋である。
洒落た言い方をすれば、『店舗兼住宅』。店から家の一部が丸見えだった。
トイレは、店の端の通路を抜け、外にある。風呂もだ。
私は、幼い頃から「跡取り」として見られていた。
店の客にも近所の人にも。当家の跡取りではなく、当店の跡取りだ。
だが、なかなか言えなかった。『いらっしゃい』が。
高学年になって、曲がりなりにも店の手伝いもするようになり、のど自慢的に歌を店の客の前で披露することもあった。無論、ノーギャラである。
上京して、数年後に帰郷して、『店を継ぐ為』と言って、スーパーに勤めた。
その頃はまだ、将来の展望が見えなかった。
最初、長い間、客と接してこなかった為、スーパーの前に1年弱勤めた薬局では、『いらっしゃい』が言えなかった。
だが、スーパーに勤めだして、店内放送をすることになった。
チラシを見ながらの『売り出し情報』の放送だ。
最初は嫌だった。だが、小学校の時、放送部の友人に唆されて放送したこと、演劇青年だったことを思い出し、奮起した。
慣れて来ると、店で「1番放送が上手い店員」と称され、副店長が、本部の部長が来た時に自慢した。勿論、客対応は7大接客用語の「いらっしゃいませ」。
色んな仕事をしてきた。毎日のようにスーパーに行く。
そのスーパーでは、担当者が録音しておき、専用録再機でエンドレスの再生をするか、定刻に店内放送をする。
つい、聞き入り、あの頃を思い出す。
何年前?71歳から28歳を引いてみて下さい。
さ、今日の『見切り品』は・・・・。
ー完―
内弁慶の外地蔵 クライングフリーマン @dansan01
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