手放された手

「翔、どうしよう。生きて、出られるかな……」

後ろにいる翔に振り向き、問いかけた。


……だけど、返事は返ってこない。


翔はうなだれたまま、何も応えない。

僕の不安を煽るかのように、霧雨が降り始める。

「……翔?」

「……ごめん、智里。俺……一緒に行けない」


__バキィ……


翔の左足から高い音が鳴った。

見ると、左足の義足に大きなヒビが入っている。

「義足、だめになった……これじゃ、歩けない。

……先に逃げて、智里」

そう言った翔は顔を上げると、僕に微笑みかけた。


……だけど、僕にはそれが取り繕っているように見える。


「……イヤだ。翔も一緒に逃げよう」

「智里……」

「初めて、生きたいと思えたの。ここで、終わりにしたくない……

海も翔と一緒に見たい。翔のためなら……僕、何でもするよ」




__だから、だから……




「もう、一人にしないで……」

感情の波が、抑えきれずに押し寄せてくる。

いつの間にか、霧雨から大粒の大雨へと変わっていた。

雨のせいで、翔の顔がぼやけて見える。


__ピチャ……ピチャ


翔は左足を引きずりながら、僕のもとに歩み寄る。

翔の前髪が雨で濡れて、目元が見えない。

それでも、翔は優しく、僕を抱きしめた。

かすかに、翔の体温が伝わってくる。

「ありがとう、智里。俺も、智里がいたから……毎日、楽しかった」

世界が大きく揺れ、空間が爆ぜる音が響いた。

翔の腕に力が入った気がした瞬間__


__ドンッッ


ふわりと、僕の体が浮いた。

病院は、激しい轟音と土煙を立てて崩れ始めている。


……待って、まだ、翔がそこに、


「翔!」

僕は、翔に向かって手を伸ばした。


__その時の翔は、目を赤く腫らしながらも……僕に温かな眼差しを向けて、微笑んでいた。

僕は、重力に逆らうことができず、落ちてゆく。


コンクリートが崩れる音。

ひしゃげる金属。

飛び散るガラスの破片。

押し寄せてくる土の匂い。






__もう、手は届かない……






『続いてのニュースです。〇〇県早苗村で発生した集中豪雨により、大規模な土砂災害が発生しました。盆地状の地形のため、現地への道路が寸断され、救助活動が難航しています。

これまでに小学生の男の子一人が保護されましたが、他の住民との連絡が取れておらず、消防と自衛隊が捜索を続けています。』

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