3-2 美月の視線、その先に

九月二十二日 教室


 午前の授業が終わり、教室は一気に活気づいた。生徒たちは弁当を広げたり、購買へ向かうグループで賑わっている。ユウヤは他の生徒と購買に向かい、教室を後にしていた。窓際の席では、美月がカレンとヒナと楽しげに話していた。


「ね!明日さ、祝日だしみんなでどっかいかない?花火大会以来一緒に遊んでないじゃん」

カレンが目を輝かせて提案すると、ヒナが笑顔で応じる。

「うん、楽しそう。どこ行く?」


美月は少し考え、思いついたようにカレンの肩を叩く。

「あそこは?浜名湖の水族館!小さいけど、私好きなんだー。みんなでいこうよ」


「いいね!」

「めっちゃ楽しそう!その後、どっかでブラブラしよ!」


カレンとヒナが笑顔で相槌を打つ。美月はふと隣を見やり、柔らかい声で続けた。

「ね、ハルキ君も誘っていいかな?まだこっち来て馴染んでないと思うし」


「いいと思う、ねぇハルキ君も一緒に行く?」


ヒナが隣の席のハルキに声をかけると、彼はやや驚いたように眉を上げたが、すぐに頷いた。

「うん、行けるよ。えっと…グループLINEとかあるなら、そこに入れてもらえると助かる」


「じゃあ招待するね」


美月が自分のスマホを取り出し、LINEのグループを開く。これまで5人だったメンバーに、春樹が加わる。表示された通知には、「東雲春樹がグループに参加しました」の文字と、ハルキの初投稿が続いた。


『こんにちは、ハルキです。まだ慣れてないけど、明日よろしく!』


『はーい、ハルキくんようこそ〜』

『グループ男子増えてありがたや〜!ってか明日なんかあるの?』とユウヤが返す。

『水族館いくよ!ユウヤは強制ね!』


カレンと教室にいなかったユウヤの軽快なトークが響く中、一之瀬イオリは静かに自分のスマホを伏せた。誰かが声をかけようとする前に、彼はそっと席を立つ。


「イオリ君はどう?一緒に遊べる?」


美月の声が背中に届く。振り返ると、彼女の透明な瞳がこちらを見ていた。


「ごめん、俺は……明日は行けない。図書館で調べ物がある」

「えっ、そうなの?」


美月の声に少しの残念さが滲む。イオリは彼女の視線を正面から受け止められず、目を逸らした。


「大事な調査があるんだ。ごめん」

「……そっかぁ。うん、また今度ね」


美月はそれ以上追及せず、柔らかく微笑んだ。だが、彼女の隣で春樹が小さく頷く姿を、イオリは見逃さなかった。胸に小さな棘が刺さるような感覚があった。




図書館 二十三日 午後


 浜松市立中央図書館の資料室。静寂に包まれた閲覧スペースで、イオリは歴史・民俗分野の書架に囲まれていた。机には郷土誌や戸籍資料の写本が積み上がり、彼の手元には「遠野」の名が記された一冊が開かれている。


美月の家系に連なる「遠野ナギ」

過去に存在したこの人物の痕跡を追うことが、イオリの任務の一環だった。未来のデータベースでは、遠野ナギ、つまり白波家と宗像凛博士の血縁関係を示す資料が、南海トラフ大地震で失われていた。だからこそ、現代での現地調査が不可欠だった。


「白波家と遠野家の統合は昭和後期……しかしナギの記録は昭和初期以降、ぱったりと途絶えている」


イオリは時計型デバイスに静かに報告を録音する。デバイスには、浜松市沖震源予測地点「観測地点A-0」のプレート活動ログも表示されていたが、今のところ異常はなし。だが、この“沈黙”こそが不穏の前兆だと、未来の訓練で何度も教わってきた。


(直接的な接点は存在しないのか……)


明治期の村落図に、かすれた筆跡で「遠野」の名を見つけたが、曖昧な記録にすぎなかった。


「やはり、鍵は“白波”か」


イオリが小声でつぶやき、次の巻に手を伸ばそうとした時、スマホが微かに震えた。通知の振動だった。覗き込むと、グループLINEのトークが一斉に更新されていた。


『ユウヤの魚の真似ウケる!』

『ヒナ、ヒトデ怖がりすぎ!』

『ハルキくん、写真撮るの上手いね!』


数枚の写真。大水槽の前で笑い合う5人。美月の髪は水面の青に照らされ、柔らかく揺れていた。その隣で、春樹がカメラを構えている。無邪気な笑顔。寄り添うような距離感。


胸が、少しだけ痛んだ。


(自分がこの場にいたら、どうなっていたのか?)

(もし、普通の高校生として一緒にいれたら美月の隣で笑っていられたのか)


調査員として抱いてはならない感情だった。イオリは目を閉じ、意識的に感情を凍らせる。だが、デバイスは容赦なく脳内へ警告を鳴らす。


【感情干渉レベル上昇:レベル2→3】

『対象への主観的感情の変動が確認されました。任務継続にあたり、行動制御を遵守してください。』


警告ログが視界に浮かぶ。これが、自身の“存在”を脅かす最初の警告になるのかもしれないという予感が、どこかであった。




夜 イオリの自室


薄暗い部屋で、イオリはベッドに腰を下ろし、スマホを取り出す。グループLINEには、まだ写真が追加され続けている。


最後の一枚には、ショッピングモールのゲームセンターで笑い合う美月と春樹の姿。春樹がピースをして、美月がその手を引いている。


イオリはそっとスマホを伏せた。


(観察対象が他者と接近することは、観測にも役立つ。……本来は、そうあるべきなんだ)


そう言い聞かせるように、自分に言葉を投げる。


(だが、もし……もしも、彼女と出会っていなければ。俺は、ただの存在しない未来だったのか)


静かに目を閉じ、ベッドに倒れ込む。

大きく吐いたため息が、天井のシミに混じって消えた。




【任務報告書】


任務日:2025年9月23日

記録者:一之瀬イオリ

対象:白波美月(17歳/高校生)

任務内容:保護対象の観察・家系情報の収集

任務コード:T-2025-Operation-α


【観察メモ】

・対象は学友(東雲春樹)をグループ内に招待。対人関係は積極的で円滑。

・対象が東雲と過ごす様子を記録写真から確認。心理的安定状態にあると思われる。

・本日は観察接触を避け、資料調査に集中した。


【主観的所感】

・遠野ナギに関連すると思われる郷土資料から、家系上の接点の可能性を探すが、現時点では断定できるものは無かった。

・対象との心理的距離の変化に対し、感情干渉の抑制が必要。

・「自分が存在しない未来」を意識したことで、因果律への不安が強まる。


【補足事項】

・宗像博士と遠野ナギの関係は、未来のデータベースでは消失。

・白波家が宗像博士の系譜である証明は、現代での物的証拠に依存。

・引き続き、対象との接触頻度を適切に管理しつつ、観察を継続する。

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