第1話
「あさくら はるとです!すきなものは、サッカーです!」
小学校に入学し、胸を高鳴らせながらそう自己紹介すれば大きな拍手が飛んできた。
綺麗な顔をした隣の席の子を思い浮かべ、拍手、してるかな?と横を向けばすやすやと眠っていた。
がっくり。
少し落ち込みながら他の子達の自己紹介を聞いていれば聞き覚えのある声がした。
「きさらぎ まさきです。よろしくおねがいします。」
どこで見た子だったかなぁ……と首を捻れば数週間前の記憶が思い出される。
公園で会った子だ!
お父さんとサッカーしていたらうっかりボールを当ててしまって、謝ってもまさきくんのお母さんはずっと怖い顔をしていて怖かったんだ。
悲しい思い出を思い出して俺はまたちょっと落ち込んだ。
ダメダメ、みんなの自己紹介を聞かなくちゃ。
丸まりかけていた背筋をぴん、と伸ばし声の聞こえる方へ体を向ける。
つぎは誰だろう。
お、いずみの自己紹介の番だ!
いずみは家が近くて時々一緒に遊んでいたから同じクラスでほっとする。
嬉しくてにこにこ笑いながらいずみの方へと体を向ければ、きりっとしたいずみが口を開くところだった。
「くが いずみです。動物がすきです。よろしくお願いします。」
うんうん、と頷いて拍手する。
あれ、いずみまで自己紹介したということは……次は隣の席の子だ。
名前、なんて言うのかな!
まだ眠ってるけど……早く知りたいなぁ!
先生がその子のことを呼んでも起きないから俺がゆさゆさと揺すればようやく起きるその子。
眠そうな目をしてゆらゆら立ち上がると、
「……くろせ、なつきです」
とだけ言って座った。
しーんとする教室。
それだけ?というような空気感に包まれる。
たしかに俺もそう思っちゃったけど……でも、よくない!
俺が先陣を切って拍手をすればみんなも疎らながら拍手をして、自己紹介は次へと移っていった。
だが俺はすっかり隣の席の子――くろせなつきくんのことが気になってほかの言葉が耳に入らなくなっていた。
なにが好きなのかな?サッカー、好きかな?いっしょに遊べないかな?おうち、どこだろう!
聞きたいことは山積みなのになつきくんはまた眠っちゃったから、俺は自己紹介が終わるまで動かないようにじっとするのが大変だった。
28人分の自己紹介がようやく終わる頃には、すっかりみんなと友達になった気分になれていて、今から遊ぶのが楽しみだ。
ちがう、ひとまずなつきくんに声、かけたい!
逸る気持ちを押さえてなつきくんを揺さぶる。
「ねえねえ、ねえねえ!」
「……ん、あれ?おれ、寝てた?」
相変わらずぽやんとした顔のなつきくん。
長いまつ毛と唇の横にあるほくろが特徴的だった。
ほくろに何処か吸い寄せられるような感覚に陥り、どきりとする。
ちょっと恥ずかしくて慌てて目をそこから逸らして、それを誤魔化すように口を開く。
「ねてた!おれ、あさくらはると!なつきくんはサッカーすき?」
「はると、くん。俺はくろせなつき。サッカーは…えと……あんまりしたことない、かも」
「ふーん……なぁ、いずみー!あとは、うーん、まさきくーん!」
自己紹介後に覚えていた名前がその二人だったので大声で呼ぶ。
サッカーの楽しさをなつきくんにも、おしえてあげたい!一緒に遊びたい!その一心で。
陽翔の大声に、ふたりがそれぞれ振り返る。
クラスはもう解散していて、机のあちこちにランドセルが転がり、子どもたちの話し声が廊下にまでにじんでいた。
「なんだよ、はると。もう帰る時間だぞ」
「いまな、なつきくんと話してたんだけど!今日、公園でサッカーしよって思ってさ!みんなでやろうよ!」
急に話を振られて、夏葵は少し驚いたように瞬きをした。
「えっ、俺?」
「そ!なつき、サッカーあんまやったことないんだって!じゃあ教えてあげよーって思ってさ!たのしいよ、ぜったい!」
勢いよく言われて、なにか返すより先に、陽翔の声が続く。
「まさきくんもいずみも来て!せっかく4人いるし!」
まさきは不安そうな顔をしていたが陽翔がぺこりと頭を下げると目をまん丸に見開いて驚いた顔へと変わった。
「……このあいだは、ごめん。お母さん、怒ってたよな。ボール当てちゃって、ほんとに悪かった」
「いいよ。うちのお母さん、すぐ怒るだけなんだ。おれは気にしてないよ。」
「……ほんとに? よかった!」
「あーあ、はるとってばまた騒がしいなぁ……」
いずみが小さく笑いながら、陽翔の横に来る。
そのやりとりを、夏葵は黙って見ていた。
すぐに怒るから。その言葉に、少しだけ喉が詰まった。
夜中、壁越しに怒鳴り声が聞こえる家。割れる食器。母親の泣き声。
昨日もそうだった。
夜、眠れない日々が続いていた。
もしかして俺だけじゃないのかな。
誰にも話せないし、話したってきっと変な目で見られる。
ずっとそう思ってきたのだが、初めて世界が拓けた感覚がした。
そうだ。
世の中には俺以外もいる。
俺はひとりじゃない。
「なつき!」
陽翔がぱっと振り返って、まっすぐな声で言う。
「いこう!いっしょにサッカーしよう!」
夏葵は少しだけまばたきをして、歪な笑顔で笑った。
ずっと長い間笑ってこなかったから笑い方をすっかり忘れてしまっていたのだ。
「……うん。行く」
「よっしゃー!なつきゲットー!」
陽翔がわーっとはしゃぐのを見て、雅貴と泉がそれぞれ苦笑する。
その輪の中に立ってる自分が、少しだけ不思議に思えた。
でも、どこにも嫌な気配はなかった。
ただ、ほんの少しだけ。
今日は、ちゃんと眠れたらいいな、と思った。
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