ティーン・マーセ

結崎怜士

序章

 ◇

 

 パリン、という甲高くも軽やかな音とともにワイングラスが赤いカーペットに落ちた。その一つ目を皮切りに、シックな絨毯の上に次々とガラスの薔薇が咲き乱れていった。 

 

 ◇  

 


 丑三つ時の廃工場で、乾いた破裂音が響く。

 体にフィットしたスーツに身を包んだ黒髪の少女が引き金を引くと、銃器の入れられた箱を守っていた最後の男がばたりと倒れた。


「これで全部かしら、本部に報告を・・・」

 そしてその少女と同じくスーツに身を包んでいるが、2,3年上の女が銃をホルスターにしまい、左耳の無線に手をかけた。

「待って、何かおかしい」

 しかしそれを、ブロンズ髪の少女が止め、すぐに振り返って指示を出した。

「包囲にあたってる部隊との応答を確認して!」

「え、何を言って・・・っ、B班からF班、応答せよ!」

 少女と違ってロングの髪をしている女は、一瞬や戸惑ったがその言葉の意味するところを解すると、即座に無線を飛ばした。


「ん?なんかあったのか?」

 少し遅れて、2人と似たスーツを着た男が右手には少女と同じ拳銃を携えて入ってきた。女に問いかけるも無線通信中だったため、少女の方を見る。

 少女は黙って、壁際に並べられたリュックサックの方を指差した。

 それらは銃の輸送のために用意されたもののようだったが、数は9つであった。

 少女の指先は、倒れている者たちの方へと向けられた。

 そこには、8人しかいなかった。

 男の顔も瞬時に険しくなった。

 そしてそこに、女が報告を寄越した。

「B班からF班まで異常はないわ・・・」

 男が眉間に皺を寄せたまま返した。

「包囲を抜かれたか・・・」

 しかし、その顔に思案の色を浮かべていた少女は、残弾を確認してマガジンを戻すと、毅然と言葉を発した。

「いや、そんなに時間は経ってない。まだ包囲の中にいる。探そう」

 少女が拳銃を構え直して先へ進む。女と男は横並びになってその後を追った。


「F班、状況は?」

「北側の裏門を抑えてる。南側に移動すべきか?」

 裏門に近づいたところで、女が再び左耳に手をかけた。

 そして少女に目配せして、唯一の巡回警備班の無線の応答に返した。

「いや、その場に待機して」

「了解」

 3人が銃を構えたまま味方のいない裏門に近づく。

 そしてついに、3人の体が門についているライトに照らされるほどまで近づいたが、そこには半開きになっている鉄門があるだけであった。

「逃げられたようね...」

 女が静かにため息をついたが、少女はそれに介せず門に手を触れて開こうとした。

 すると、長いこと開かれていなかったのであろうその門の上に積もっていた砂が、はらはらと舞い落ちた。

 女と少女が顔を見合わせる。

 男が苦い顔をした。

「増援を要請して追い詰めるか? だがたったひとり相手じゃ・・・」

 しかし間髪入れず、少女はその提言を一蹴した。

「私が制圧する。2人はこの門を抑えてて」

「なっ・・・・分かった」

 女は年不相応に居丈高な少女を睨みつけたが、少女は怯まなかった。


 

 年上の2人と分かれた少女は、洗練された構えのまま、屋根だけがある半屋内型のエリアを少しづつ進んでいったが、ついに遠くに、別の班が固めている正門の明かりが目に入った。


 ⸺ここじゃなかったらしい。

 少女がそう思って腕に込める力を少し弱めた刹那、金属質のものと石材質のものがぶつかる軽い音があたりに響きわたった。音の方向は、少女の真後ろ、つまり通って来た方だった。


 しかして少女は即座に反応し、物慣れた動きで左足を軸に身を翻して音源の方に相対し、そのまま身をかがめて遮蔽物のもとに走り込んだ。

 また空間から音が消える。

 少女は華奢な銃身を慎重に壁から覗かせながら、音がした方を凝視した。視線の先にあったのは、鉄筋コンクリート造りの太い柱だった。

 音を聞いた時の記憶が正しければ、敵がいる可能性が高いのは柱の裏だ。しかし無鉄砲に突っ込むのは危険すぎる。

 少女は少し周囲を確認したのち左眼を閉じて愛銃を構え、柱の根本、それも奥側に近いところを照準した。

 そして迷いなく、引き金を引いた。

「ヒッ」

 着弾と同時に、小さな声が柱のあたりから漏れた。

 それを確かめると、少女は身をかがめながらも一気に柱に近づき、彼女から見て手前側の面に右肩を預けた。

 柱の横幅はその少女が両腕を広げたくらいよりちょうど一回り長く、鉄筋コンクリート造りなのもあって、銃撃戦のカバーとしては申し分ない。

 しかし、あまりにしっかりしたその柱は、反対側どころか目の前の角を曲がった先がどうなっているかさえも覆い隠してしまっていた。

 少女は少し唇を噛んだが、深い呼吸をひとつしたのち意を決して自分から見て左側の角の側に寄った。


 音は聞こえない。

 銃口を向けながら、角を曲がる。

 誰もいない。

 ⸺なら次か。

 少女は間髪入れず、一気にその先の角も曲がった。そして最初いた方とはちょうど反対側の面に足を踏み入れたがしかし、そこにさえ、誰もいはしなかった。


 ⸺ありえない。

 少女の脳裏はその言葉で満たされた。

 だが確かに、悲鳴の位置からして、未だ敵の姿を全く視認できていないのは不可思議なことであった。

 ⸺クリアリング中に足音なんて聞こえなかった。

 少女はの顔に困惑の色が浮かぶ。

 しかし、同時にある可能性がよぎった。

 ⸺私の移動に合わせて敵も移動したのではないか。

 確かに、少女自身が移動している間は多少音への注意が薄れる。その間に移動していれば、足音を捕捉されずに位置を変えられるかもしれない。

 だがこれはこれで、別の疑問を生む。

 少女はわざと一気に2面分進んだ。その間にしか敵が移動できる隙はなかった。

 少女の足音を聞いてから敵が動き始めたのだとしたら、到底移動が間に合うはずがない。

 ⸺まさか。

 少女は嫌な予感を感じつつも、呼吸を整えて銃を構え直した。

 そして一息にまた角を2つ曲がった。これで少女は柱を一周して元の面に戻ってきたことになる。

 しかし少女を迎えたのは、またしても廃屋特有の埃っぽい空気であった。

 少女は息を呑んだ。

 ⸺ここまで避けられるのは偶然じゃない。


 しかしわずかに逡巡したのち、少女はすぐに策を計じた。


 右手の拳銃を地面に向けながら、左手でウエストポーチの中からスタングレネードを取り出す。

 そして右手の人差し指に力を込めると同時に、左手だけで器用に手榴弾のピンを抜いた。

 あたりに拳銃弾の着弾音が響き、ピンを抜いた音はかき消された。

 3。

 少女はゆっくりとかがみ、グレネードを慎重にその場に置いた。

 2。

 銃を両手で構え直し、息を吸った。

 1。

 少女は右足で地面を蹴って走り出し、目の前の角を曲がった。

 0。いくらノンリーサルとはいえ、そう静かではない破裂音が不気味な静寂をつんざいた。

 少女は2個目の角に差し掛かった。

 ⸺恐らくこの先に居る。


 はたして、少女のその読みは当たった。

 そこには、その瞳に怯えの色を浮かべた、手入れのされていないロングのブロンズ髪をした小汚い迷彩服の少女が右手で耳を押さえてひどく困惑している姿があった。

 それでも長髪の少女もなんとか短髪の少女を認識し、トレカフの薄汚れた銃身を向けた。

 しかしその時にはすでに、短髪の少女のワルサー/ppkの銃口が長髪の少女を捉え切っていた。

 黒光りする華奢な銃身から軽い破裂音が2回響き、長髪の少女はその場に倒れ込んだ。

 長髪の少女も、ノンリーサルの弾頭に仕組まれた麻酔が回りきる前に、薄れゆく意識の中で引き金をかろうじて左手の人差し指で一度引いたが、打ち出さされた元であるその銃身とは違って光沢のある弾丸は、短髪の少女の残像を引き裂いただけであった。



 ようやく肩の力を抜いて一息ついていた短髪の少女の向こうから、2人の傭兵がやってくる。

「アルファ2よりアルファ1、アルファ3と共にそちらに接近している。負傷したか?」

 少女が気だるげに左耳に手をかけた。

「こちらアルファ1。最後の一人を無力化。負傷はしてない」

「了解」


 応答から間も無く、先ほどの2人が少女と合流した。

「逃げ回ってたのはこいつか・・・だが珍しいな、この手の連中で女の子というのは」

「ええ、髪もロングだけど手入れはされてない様子だし、だいぶ訳アリの子みたいね。まあ、私たちが言えたことじゃないけど」

 女と男が話している側で、少女はおもむろにリストバンドをウエストポーチから取り出した。


「なに?この子連れて帰る気?」

 女が非難じみた口調で問いかけるも、少女は意に介さなかった。

「どうせ傭兵マーセ、それも多分非正規なんだからいいでしょ。私いまバディいなかったしちょうどいいから」

「はあ?別にアンタなら誰か手練れ寄越して貰えばいいじゃない。こんなアマチュアみたいなのじゃなくて」

「・・・確かにアマチュアっぽい洗練されてない動きだったけど、それでも〝私と〟多少は駆け引きができた。それだけで理由は十分。あとは私の勝手でしょ」

 女がため息まじりに男の方に目を遣ると、男も同じように呆れ返った表情をしていたが、やがて諦めたように口を開いた。

「どうせこいつは言っても聞かねえ。非正規の傭兵マーセの一人くらいで満足するんならもうそれでいいんじゃねえか?」

「はぁ・・・それもそうね」

 二人が心底面倒くさそうに会話をしている側で、少女は眠っている少女の顔を

覗き込んでいた。

 顔や首周りにはいくつも殴られた跡のようなアザがあったが、少女は

「キレイな顔してる・・・」

 と慈しむように言葉を発した。

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ティーン・マーセ 結崎怜士 @Reishi_Yuisaki

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