第7話『赤プリ』って?

台所シリーズ第3部 「台所がせかいをかえる」妙蓮寺 

 第7話 『赤プリ』って?

 

『赤プリ』って?


実家のリビングの扉を開けた。

そこに、父の介護用ベッドはもうなかった。

一瞬、父がまだ現役だった頃の時間に戻ったような気がした。

あの頃、父がいつも座っていた場所は──いま、仏壇に変わっている。



1 響香の語りで綴る父の九死に一生の物語


父の人生は、まるでドラマの主人公のようだった。

あれこそがまさに、「九死に一生を得た」と言える出来事だった。


その場所は、霞が関近くの病院。

日本の政治の中心地――そんな都会の真ん中で、父の命は綱渡りのように救われた。


省庁や政府機関がひしめき合うこの場所は、政治家や官僚が日々奔走する、忙しくも重要な地だ。


北海道の自宅でテレビを見ていると、国会議事堂の映像に重ねて、母の語る“信頼する赤プリ近くの病院”のお医者様の顔が、自然と浮かんでくる。

赤プリ――かつて赤坂にあった赤坂プリンスホテルのこと。今はもうないそのホテルの名前を、母はいまだにあたりまえのように使っているらしい。

――私はその先生に一度も会ったことがないのに。


テレビでもよく取り上げられるこのエリアに、なぜ父は、自宅近くの病院ではなく、ここを選んだのか。



それは父なりの利にかなった理由があったからだ。

自宅近くの病院だと、会社を丸一日休まなければならない。

だが、仕事の中心地である赤プリの近くなら、隙間時間を使って診察ができる。


やがて、母もその病院に通うようになった。


父が通い始めたのは、アメリカの9.11の映像が世に衝撃を与える2年前のことだったと思う。


後から聞いた話をつなげると、父の心臓の導火線が切れたのが、まさにあの病院だったというのが、一生を救う奇跡だった。


その頃の父は、世界地図のどこで導火線が切れてもおかしくないような、風が吹けば飛ぶような会社を興し、世界中を飛び回っていた。

中東にはもう行かなくなったけれど、ソ連、中国、アメリカ、ヨーロッパ、カナダ――どこへでも。

ソ連は、いつしかロシアになっていた。

父はそんな変化の中でも食生活を省みることなく、糖尿病も心臓病も抱えていた。

いつしか、ニトロも手放せなくなっていた。

だから、導火線が切れた場所がどこであってもおかしくないのに、たまたま母を隣にしたあの赤プリ近くの病院だったことが、まず最初の幸運だった。


もちろん、あの病院で手術はできなかったが、あり得る限りの最速で救急車に搬送され、手術可能な病院に移されて緊急手術を受けられた。


最新の医療と救急システムを駆使して、父の命はつながった。

もしあと数分遅れていたら、命は尽きていただろう。


本当に、綱渡りのような人生だった。


2

父が引退した後も、あの病院に通うことは自然なことだったし、父が行けなくなった後も、そして亡くなった後も。


私が「そろそろ近くの病院にしたら?」と言っても、母にとっては無用なおせっかいだった。


母は今も、バスに乗り、電車に乗り、エスカレーターを乗り継ぎ、駅に設置されたエレベターを駆使した秘密の通路を抜けて、往復3時間の道のりを通い続けている。


そして、あの赤プリの花壇を見るのだ。


「赤プリ」は、一時は多くの著名人が訪れる高級ホテルで、東京のランドマークのような存在だった。

今では建物はなくなって、新しい施設に生まれ変わっているけれど、その名前だけは今も、関東で暮らす人たちには変わらず馴染み深いままだ。


母は赤プリに向かう満員電車の中で、若い人たちが疲れて寝たふりをしているのを見ている。

80歳を過ぎても背筋を伸ばして立つ母は、座りたげな「あつかましいおばさん」くらいに見られているのだろう。わざと薬の入った袋を見えるようにして立つという。


そんな母からの、唐突な近況報告の電話を受け取ったのは、いとこのひろにいちゃんだった。

心配になって、北海道に住む私に電話をくれた。


「きょうかちゃん……これ、ちょっと怖い話なんだけどさ。認知症って、ある日突然来ること、あるんだよ。」

受話器の向こうで、ひろにいちゃんの声は真剣だった。



そしてこの一月、私は二度目の帰省で、母と哲郎と三人で父の墓参りをした。


その帰り道、ショッピングモールのフードコートに寄った。


母に「10年前にここに来た時と比べてどう?」と聞くと、


「この2階はなかった。若い人が多くなったわ。フードコートもあったかもしれないけど、こんなに広くはなかった。老舗のお店ばかりね。

こんなに豊かじゃなかったし、花壇もきれいになった。赤プリの花壇もね。」と答えた。


長年の電話のやりとりの中で、霞が関という地名が出るたびに、私は父や母の体の検査結果ばかり気にしていて、その時に見ている花壇の話なんて、あまり聞いた覚えがなかった。

ガーデニングは共通の趣味なのに。


「赤プリって?」と私が訊ねると、母は少しあきれたように言った。

「いやね、赤坂プリンスよ」



母は、赤坂プリンスの花壇の季節の移ろいを、四半世紀にわたって見続けてきたのだ。


そのフードコートも北海道にはない新しいスタイルで、私のいったことない店名ばかりだった。

フードコートとは思えない絶妙な、たしかな味だった。

百はあるたくさんのメニューのなかから、的確にコスパのいいランチを選んだのも母だった。


ひろにいちゃんの言った「電話じゃわからない」という言葉の意味が、じんわりと胸に染みてきた。

ひろにいちゃんに、感謝だ。


だからこそ、電話で話すのはここまでにしておこう――響香はそう思った。


「赤プリって?」と訊ねたのは、北海道から帰ってきた娘だった。


なんだかもう、本当に、どっちが認知症なのかわからない。

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