​第十六話 新王の遊戯、神異の布告

 ​影の英雄がティンダロスの猟犬を抑え込む、絶対的な静寂。


 それは、力と力の拮抗ではなかった。王が定めた「静まれ」という新たな法則に、世界の理に背く宇宙的恐怖が、ただ「在ること」を許されていないだけの、一方的な支配だった。


 ​猟犬は、その異質な存在の本能で、理解した。目の前の「王」は、この領域における、神そのものであると。グ、と音を立てて、猟犬は自らその身を引いた。ババ・ヤーガの怒りの絶叫を無視し、閉じていく【混沌の門】の裂け目へと、自ら後退していく。二度と、この領域を侵すまいと誓うかのように。


 ​門が完全に閉じ、ババ・ヤーガの姿が消え去ると、影の英雄は再び主の影の中へと溶けていった。


 ぬらりひょんは、その一連の流れを、もはや読み切れない盤面を前にした棋士のように、静かに見つめていた。そして、ゆっくりと、深く、新たな王へと頭を垂れた。それは、敗北と、そして、自らが望んだ以上の「王」の誕生に対する、畏敬の念の表れだった。


 ​戦いは、終わった。


 そして、王となった桜子は、その黄金の瞳で、集う全ての妖怪たちを見渡した。


​「聞きましたね。あれが、旧き時代の成れの果てです」


 その声は、静かだったが、全ての者の魂に届いた。


「片や、滅びを恐れ、支配という名の秩序に逃げる。片や、変化を恐れ、無に還るだけの混沌に溺れる。どちらも、自らの『物語』を未来へと紡ぐことを、諦めた者たちの道」


 ​王は、その手で、自らを包む光の文字に触れた。


「我ら妖怪とは、物語そのもの。人の『畏れ』を糧とするのは、寄生虫の在り方。古き栄光に固執するのは、亡霊の在り方。どちらも、王の道ではない」


「ならば、どうすれば……?」


 どこかの妖怪が、思わずといった様子で呟いた。


 ​王は、その問いに、満足げに微笑んだ。


「決まっているでしょう。新たな『物語』を、自らの手で、創るのです」


​「もはや、人間からの畏れは必要ない。我々が、我々の価値を、我々自身で証明する、新たな遊戯を始めましょう」


 ​王は、その布告を、高らかに宣言した。


​「これより、『百鬼闘諍』の終焉と、新たなる闘争——【神異大戦しんいたいせん】の開幕を、ここに布告します!」


 ​その言葉に、妖怪たちがどよめく。


「新たなる闘争……?」「神異大戦……だと?」


​「今度の戦いは、日本だの世界だの、矮小な括りでは行いません」


 王が両腕を広げると、彼女の背後に、修復された月とは別に、無数の、全く異なる法則で動く「世界」への扉——ゲートが、空間を裂いて現れ始めた。


​「参加者は、全ての『異』なる者たち」


「——この地に生きる、【古の妖怪】たち」


「——都市の闇に生まれ、噂を糧とする、【現代妖怪】たち」


「——そして、この闘争の熱気に惹かれて、今まさにこの次元を覗き見ている、【異界の神々】よ!」


 ​王の呼びかけに応じ、いくつかのゲートから、新たな挑戦者たちが姿を現し始めた。


 エジプトの神官のような頭部を持つ、荘厳な神。


 北欧の凍てつく風を纏った、歴戦の狂戦士。


 電子ノイズと共に、人の形を辛うじて保つ、都市伝説の怪人。


 その誰もが、かつての『百鬼闘諍』の参加者たちとは、比較にならぬほどの、異質な気配を放っていた。


​「戦いの形式も、一対一の決闘などという、生ぬるいものではありません。時に、軍と軍がぶつかり、時に、知恵比べの謀略戦となり、時に、世界の理を賭けた大戦争となるでしょう」


 ​玉藻前が、その瞳を野心にぎらつかせる。大天狗は、その言葉に、武士としての新たな挑戦を見出し、拳を固めた。


 ​「そして、その全てを勝ち抜き、最後に玉座に立つ者には、究極の褒美を与えます」


 ​王は、言い切った。


​「勝者は、自らの『物語』を、この世界の新たな『法則』として、一つ、刻む権利を得る」


​「例えば、『剣の誇り』が、物理法則をも超越する絶対の理となる。あるいは、『闇の恐怖』が、光さえも蝕む、実体を持った力となる。勝者は、この世界を構成する、神の一柱となるのです」


 それは、もはや「願いを叶える」などというレベルではない。まさしく、世界の創造主となる権利だった。


 ​酒呑童子はただ一人、その壮大な遊戯を、冷めた目で見つめていた。


(……世界の法則だぁ? 知ったことか)


 彼の望みは、ただ一つ。


(俺の望みは、世界の王なんかじゃねぇ。ただ、お前を……桜子を、取り戻すことだ)


 そのためならば、神だろうと、世界の法則だろうと、この拳で、何度でも打ち砕いてやる。鬼の王は、静かに、新たな決意を固めた。


​「さあ、役者は揃いました」


 ​王となった桜子が、その黄金の瞳を愉悦に細める。


「お前たちの『物語』を、私に示しなさい」


「この私を、新たな神話の礎として超えていく、次代の伝説を、見せてみなさい!」 


 ​彼女が手を振り下ろすのを合図に、天に開いた無数のゲートから、神々が、悪魔が、怪異が、英雄が、この新たな聖域にして、無限の戦場へと、雪崩を込んて降臨し始めた。


 ​旧時代の妖怪たちの生存闘争は、終わった。


 そして今、全ての神話と伝説を巻き込み、世界の理を書き換える、本当の戦いが幕を開ける。

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