幕閣との顔合わせ
春野の病気から一週間が過ぎた頃、江戸のとある立派な大きな屋敷で合議の席が開かれた。老中の意見を元にして、今後どのようなするか? それに付け加え現在のアメリカの動きなどを話す場であった。
玄関で白石と重治郎は草履を脱ぐと、長い廊下を歩き、目的の部屋に向かう。襖は既に開けられており、その大きな室内には一筋縄ではいかない雰囲気の武士達が多く正座をして待機していた。そんな武士達の視線が白石に突き刺さる。
「こんな男は居たか?」
「どこの者だ?」
「何者だ?」
などの囁き声が漏れて白石の耳に入ってくる。
末席に重治郎と白石が座ると大人しく正座をしながら、幕閣のメンバーを待つことにした。
幕閣のメンバーの到着が分かったらしく、部屋では急にどよめきが走った。
廊下を歩く音が聞こえ、暫く経って襖を潜って二人の武士が現れた。
一人は非常に賢い顔をした老武士であった。身長は高くなく、体型は普通と言ったところか。
もう一人の男は少し小太りであったが、こちらは迫力のある顔立ちをしていた。身長は江戸時代では普通なのかもしれない。
重治郎は白石に耳打ちするようにして小声で二人の説明をした。
「お一人は浦賀在勤のお奉行の戸田氏栄様、そしてもう一人の方が林大学頭複斎様と言われます。あの方は昌平坂学問所の塾頭であり、外交文書を専門に扱う家の方なのです」
「そ、そうなんですか」
どうやら背のあまり大きくない老武士の人が林大学頭複斎という人でもう一人の人が戸田氏栄と言うらしい。
まだアメリカ応接掛という専門部署も仮であり。林においてはまだ任命すらもされていない。それなのに既にこの席にいると言うことは幕府は内々に既にその職に就くかもしれない人物を厳選しているのかもしれない。
林と戸田、そして浦賀奉行の支配組頭の黒川が脇に控えるようにして座ると話が始まる。
「現在のアメリカの動きとしてはこちらへ向かう準備をしているものと思われる。オランダ商館長クルティウス殿の話によればだが」
戸田の言葉に他の武士がひどく慌てる。本来であれば幕府との取り決めで一年間の猶予があった筈だが、どうにも話が違ってきているらしい。
オランダ商館長クルティウス。第一回目の黒船騒動の話になるが日本に黒船が来るという情報をバタビアから仕入れ、幕府に教えた人物である。
「静まれ、不確定な情報の中で老中の方々も今まさに議論をしているところである」
ざわついた場を沈めるために戸田が一喝する。その後も老中の動きや、今後の方針などを議論して白熱し、多くの者の意見が場を飛び交う。
「中々に議論がヒートしてるね」
白石の隣に座る旗本が、議論がヒートしていると言った瞬間、白石はその旗本の横顔を見やる。ヒートとか英語を使うとなるとこの男、何者なのだと思う。顔をじろじろ見ていると、その男がにんまりとした笑顔を浮かべて白石に囁くようにして聞いてきた。
「どうかされましたか?」
「いえ、すみません。先ほどヒートと仰ったので江戸では珍しい言葉だと思いまして」
身長も普通であったが、中々に男気がある顔立ちをしている。体は精悍な感じで締まっているという表現の方が正しいか。
「私は漁に出たときに遭難しましてな、それでアメリカ船に助けられ、暫くアメリカに住んでいたんです。珍しい境遇でしょう?」
「ひょっとしてあなた、ジョン万次郎さんですか?」
「Yes I am」
「おおっやっぱりそうでしたか。コンビニに行ったときによくお顔を……」
コンビニに寄ったときにジョン万次郎の宣伝がよくあったことを思い出す。
「こんびに?」
「失礼、兼々からその怒濤の人生のお噂を聞いておりましたもので」
「そ、そうですか。しかしそれは嬉しいですな。それにしてもあなたは英語をおわかりになるのですか?」
「囓った程度ですが」
「それでも、私は嬉しいですな。英語の分かる人と話をすると」
「ははっ」
ジョン万次郎はこの黒船騒動で幕府の為に働くことで旗本格として登用された人物だ。そんな有名人である万次郎と会話をしていると、暫く目を瞑って静観していた林が重治郎に話を振った。
「そういえば、お主の意見書の中に料理による外交というのがあったと、聞き及んでおる」
「はっ!」
主席老中阿部正弘が黒船対応について日本中に広く意見を求めた時期が合った。それが意見書として送られ、才覚ある者は見いだされた。身分を問わず意見を聞く方針であったので果ては遊郭サイドからの意見もあったらしい。
重治郎の意見書に目をつけたのが松平忠優(ただます)「後の忠固」』信濃上田に5.3万石の封地を持つ大名であり老中である。忠優は開国派として有名で、ことあるごとに御三家であり攘夷論を唱える徳川斉昭と意見をぶつけているらしい。ちなみに徳川斉昭の息子がかの有名な徳川慶喜こと一橋慶喜である。
「お主が作るのか?」
「研究はしていました」
「それでそのような外交に役立つ料理は作れるようになったのか」
「恐れながら申し上げますと、私が料理を研究している折に、この世の常識を遙かに凌駕した料理人を見つけることができました」
「して、その料理人は今ここにいるのか?」
「はっ!」
林の質問に重治郎がそう答えると、白石を紹介する。正直白石は心臓が止まりそうなりそうなほどに緊張とプレッシャーで押しつぶされそうになる。
「こちらがその料理人、白石弦になります。和のみならず西洋、アジア圏の料理を作れる凄腕でございます」
「ほうー、では白石とやらに聞きたいが、お主はどのようにして外交に料理を生かす気なのだ」
深く頭を下げていた白石は頭を上げると少し黙る。暫く白石が喋らないので、林はどうかしたのかという表情になる。
白石が直ぐに答えないのは戦略だ。サイレントフォーカスといい、不自然な沈黙などわざと間を作って相手の関心をこちらに向かせることだ。
屋敷の中にいる武士達がややざわめきだしたところで白石ははっきりとした口調で物を述べ始める。
「国の中身は料理によってよく現れます。相手を迎えるとき、または相手と交渉をするときなど、なお顕著にその性質が出るのが料理だと思っています」
「うむ」
「また、接待などをする場でおいしい料理を出すことによって相手に嬉しいという心理を与えることもできますし、相手によっては意外な料理を出すことで、その人物の持つイメージつまり人物像を変えることも可能かと思います」
「ふむ」
「これが人ではなく国ならばどうでしょうか? 相手が自分の思い描いていた国と違う感じで受け取ることもあるかもしれません」
「……ふむ」
「私は相手をもてなすと同時に強固に幕府の意見を伝えるための料理を作りたいと思います。外交における料理は華のようなものだと思いますので」
目を瞑って聞いていた林だが、そこで静かな口調で白石に聞く。その瞳を見て白石はゾッとした、完全に自分を試しているそんな人間の持つ冷徹な瞳だったからだ。
「その為には国法を破り、西洋の料理も時として作らねばならないというわけなのだな?」
「は、はっ!」
そこで戸田が白石に向かってもの凄く嫌な顔をしながら言い放つ。
「しかし、国法を犯してまで果たして外国の食事に変える必要性があるのか? 儂は反対だ。日本は日本らしく行くべきなのだ。認めん認めんぞ」
「し、しかし時代は既にその流れに来ているのだと私は思いますが。料理による国の現し方を見直す機会がきたのではと」
「鎖国は国法、向こうの言い分を聞いてやる必要などない。それともお前は徳川幕府の鎖国の国法を変えようというのか?」
「い、いえ、決してそのようなことはありません」
戸田の言葉に白石はうろたえる。恐らくこの人は国法を守る方の人間で、自分のような考え方の人間は嫌いなのかもしれないと。
そんな白石と戸田の会話に林が冷静沈着に入ってくる。
「まあまあ、戸田殿。しかしお主の話を聞いていると、理屈で物を喋っているようにも聞こえなくもない」
「そ、そんなことはございません」
そこで林は一度目を瞑った後に目を開き覇気のある声音でこう言った。
「例えば料理で幕府の意見を伝えると言ったが、そんなことが可能かも分からぬし、それがペルリに通じるとも言えないであろう」
「はっ、はっ! 確かにそうでございますが、やはり先ほども申し上げたとおり、もし他国に行って料理を食べたときに自分の情報と違う料理が出てきたときにはその国のことを調べる、若しくは外交上で警戒し、譲歩することもあるかと思います」
白石は懸命に林に食らいつく。林はもう一度目を瞑り、腕を組むとこう言った。
「とは言った物の私たちはお主の料理を食べたことがない。よって言動とその実力の実態がまるで分からない。それならば、私たちが納得する料理を作ってみせよ。まずはお主の料理の腕と機転を見なければ議論にもならない。違うか?」
「は、はっ! 仰るとおりでございます」
そこで林は少し考えた後に白石にこう言った。
「私たちに出せる料理を作れる金はあるのか?」
「い、いえ、そ、その……」
「私が出しますので」
林の突然の質問に白石は無一文であることを思い出し、内心焦りながら言葉を出そうとするが、そこは重治郎がきっぱりと自分が出すと言い切った。
しかしそこで林は顎に手を当ててなにかを考える様子を見せた後にこう述べた。
「いや、金は私たちが出そう。意見を求めたのは幕府である。意見を求めた幕府側が払うのが筋である。でどうかな戸田殿」
「儂はそれで構いません」
理路整然とした林の意見に戸田は腕を組みながら何回か頷いた後に同調した。林は白石の方を見やると先を続けた。
「話は決まった。その金で素材を集め私たちが納得する料理を出してみるがよい。話はそこからだ」
「は、はっ!」
落ち着いているだけに戸田より白石は林が怖かった。白石は深く頭を下げると納得できる料理を必ず作って参りますと約束するように言った。
「して、このような大事な場で時間を割かせ、国法を犯す恐れがある話をしている故、もし失敗すればそれ相応の代償も払ってもらおうかとも思うが、戸田殿、それでいかがか」
「それで文句はございませぬ」
「では三日後の今の時間に悔いのない料理を出すが良い」
「は、は、は、はい」
怖い。怖くて仕方がない。それ相応の代償とはなんなのだと白石は考える。そんな怯えの最中、脳裏に木乃葉の泣いている姿と春野の風邪で苦しんでいる姿が浮かんだ。
なにを怖じ気づく必要がある。俺は、あの時やると決めたんじゃなかったのか! 恐れるな、恐れず百パーセントの自分を出せばいい。必ず成功する筈だと白石は自分の心を鼓舞する。
その後も暫く熱い議論が続き、話が纏まらないので一旦解散となった。思った以上に皆黒船にナーバスになっているのがひしひしと伝わった一日であった。
重治郎と白石が江戸の町を散策するようにしながら帰路に着いていると、重治郎は歩きながら顎に手を当てておかしいなと先ほどから口癖のように呟き始めていた。
「どうかされたのですか、重治郎さん」
「いえ、どうもおかしいなと思いましてね」
「どういうことでしょう?」
そこで重治郎は歩を止め、日本橋の上から江戸城を見つめるとこんな言葉を漏らした。雪が今日は晴れ、ゆっくりとした川の流れの音と景色が見ることができた。
「林様は理路整然としており、非常に落ち着いて物事を冷静に見る方と噂を聞いたことがあります。ところが今日の林様はなにかが違っていました。理路整然としながらも、なにかこう違和感といいますか? それに戸田様もあまりに大人げなく感じましてな。あんな方である噂がこの耳に入ったことがなかったので」
「……」
どうにもおかしいと重治郎は言うと、白石に向かって向き直って真剣な表情を向ける。
「なにかあるのかもしれません。私たちには分からないなにかが。白石殿、あなたのお命や身は我らが死ぬ気で、いやこの一命を懸けて全力で守りますので、あなたは後悔なき料理を作って頂けないか。その先にきっとなにかがあるような気がして仕方がないのです」
正直、あれだけの言葉で脅されれば白石が逃げてもおかしくはないと重治郎は思っていた。この場から逃げてもなんの損もなく、むしろ作る方が身に迫る危険性があるのだ。
「心配して下さってありがとうございます。重治郎さん。大丈夫です。私は私の信念で料理を作ろうと思っておりますので。決して逃げることはございません。私はあの時に死んでいてもおかしくない身でしたし」
そこで白石は少し間を置いてから笑顔を浮かべると重治郎に向かってこう言った。
「私は重治郎さんや青木家の人に涙を流して欲しくはないので、懸命に生き延びてみますよ」
「……なんかとんでもない方向へ白石殿を引っ張ってしまって正直かたじけないと思っている自分もいますが、それでもなんとしても幕閣の方を唸らせる料理を作って欲しいと思う自分が居ます。そんな人間の欲が私は憎く感じる」
重治郎は本当に悲しそうな表情をして歯がみをしている。そんな重治郎の肩に手を置くと白石は慰めるようにして言った。これでは立場が逆ではないかと重治郎は思った。
「それほど国のことを重治郎さんは考えていらっしゃるということでしょう。俺はむしろ尊敬しますよ」
「そう言って頂けるとありがたい……」
国のことを、そして今後のこの日本、そして江戸の人間のことを真摯に考えているのだなと白石は思うと、なんとしても料理は成功させなければならないと身命を賭して誓う。
(それにしても、外交で意味のあるものとして使え、徳川幕府の威厳というかその名を表す料理か……派手な料理が良いか、それとも質素でもいいから料理自体になんらかの意味がある料理にすることにするか。悩ましいな)
そう思うと白石は川の流れを見ながらレシピを構築していくのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます