一文無しの白石とスパイスそして加納屋の相談と柿大福とドーナツ

 少年の出来事から半月ほど経った十一月中旬。そろそろ江戸の町も冬支度をしなければならない季節が来ていた。


 今日は木乃葉抜きで一人で日本橋の散策を行っていた白石。日本橋界隈のとある一角に来たとき懐かしい香りを嗅いだ気がした。


「これは……」


 白石は誘われるように、その香りを放つ、くじら屋の前へ歩を進めていた。古風な木製のその建物の前に立つと白石は店の扉を開けた。


 扉を開けると店員のいらっしゃいませーという大きく生きのいい声が鳴り響いた。金がない白石は気圧されそうになったしまう。


 しかし白石はそこでどうしても知りたいことがあったので店員に聞いた。


「すみません。この香りは香辛料でしょうか?」

「あーこれね。ちょっと実験も兼ねて仕入れたわけ。ところでお客さん中に入って注文しないの?」


 明らかに南蛮渡来の香辛料の香りであったので白石は心が躍ったが、しかしその反面店員の目線は突き刺さるような物だった。


「すみません。香りに興味があったもので」

「じゃあ注文しないわけ?」

「はい」


 その瞬間。店員の表情はふざけんな的な表情になった。白石にとってこの魅惑のスパイスは江戸にあったことは嬉しいが、こうした態度には心が折れそうだった。

 というか文無しで足を踏み入れることが間違っていることは白石は重々承知していた。


「冷やかしなわけね」

「いえ、そういうわけじゃないんです。とても懐かしい香りだったので」

「でも注文はしないんでしょう」

「すみません……」


 そこで台所に居た親方らしき人物が小声でこんなことを言った。


「徳一屋さんの料理を研究しないといけないのに」


 研究と聞いた瞬間、白石は図々しいと思いながらこう言った。


「スパイスの使い方は分かってらっしゃいますか?」


「研究中だ」

「恐縮ですが、美味しくなるようにお教えしましょうか」

「結構だ。お前さん何者だい。どこの店に勤めているんだい?」

「えっと……」

「何者かも言えない。どこの店に勤めているのかもいえない。そんな不審人物に教わることはなにもない」


 にべもない断られ方であった。そこになにかを挟む余地もなかった。久しぶりに天竺のスパイスの香りを嗅いで白石は気分的に高揚していたのかもしれない。


「服装は立派だが、まずは注文ぐらい出来るようになってから話を振ってくれ。こういう話はお互いの信頼関係を築いてなんぼのものだろ。わかったらさっさとこの店から出て行ってくれ」


「は、はい。すみませんでした」


 これ以上この店に居ると、本当に叱られそうになってきたのを白石は分かったので謝って店の外へ出る。


 白石は手を強く握りしめ、歯を力強くかんだ。この江戸の町において、自分はなんともまあ無力なんだと。


 地球にいたころのナンバーワンシェフなどどこ吹く風のものなのか。白石はあまりの悔しさに泣きそうになった。


「ちくしょう……ちくしょう……」


 木乃葉が居ればなんとかなったかもしれない。ただ一人で散策するのも勉強だと思った白石の意思を尊重し、木乃葉は白石に一人で散策に行かせたわけだ。


 結果は散々たるものになったが。


 家に帰ってからの白石はこのことを悟られないために日頃の白石のように見せかけて、とても勉強になって楽しかったと嘘を吐いた。


 このことが辛くてしかたがなかった。そろそろ自分の身の振り方も考えなければならない時期に来たのかと白石は思っているが、重治郎は白石に、


「白石殿、もう暫く文無しには耐えて下され。仲間内に白石殿の料理のことを言うとことさら受けが良いのです。どこかでいいことが起きるはずなので小僧から出発するなど早まらないように」


 と、謎の引き留めをされていることを思い出す。加納屋にしても重治郎にしても誰一人自分に働けとは言わないのだ。


 加納屋も遠回しにもう少し待てばいいことがあるかもしれない。などと、言葉を含ませることがある。白石はこうした状態で宙ぶらりんの状態であるので、なおのこと辛かった。


 待っていればいいことがあるのか? と白石の心に若干の猜疑心が生まれるが、それは仕方のないことなのかもしれない。


 そんな出来事があった翌日。白石と木乃葉は再度町へ繰り出していた。それは加納屋からの頼みであった。


 以前にお茶を飲んだ茶屋の娘のことであった。加納屋はこの娘の両親と仲がよかったらしく、娘を頼むと言われていたらしい。


 どうやら売り上げの減り方が止まらないらしくなんとか改善点がないかという相談であった。自分が困っていても他人が困っているのを放っておけない白石はこの相談を受けた。


 白石と木乃葉が茶屋に着くと、出された茶と団子を食べる。娘と近づくと、木乃葉とはまた違った良い化粧の香りがした。こちらは色気があると言った方がいいのか。


「この前も食べてもらってなんですが、どうですか?」


 白石はよく味わって食べると、普通に美味しいと思った。木乃葉もよく吟味して咀嚼した後に、

「別にどこにもおかしいところはないと思いますが。いえむしろ美味しいです」

 と、首を傾げながらそう言った。隣に座る加納屋は顎髭を触りながらこう言った。


「むしろ旨くなっている。やはり原因はあれか」

「あれ?」


 白石の言葉に加納屋は何回か顎を掻くと思い出すように言った。


「この椅子の赤のように器量の良い親であった。この雪乃も器量のよい子ではあるんだよ。ただ大人の風格というかそういうのが違った。色っぽいというか艶やかと言うか」

「ふむ……」


 白石はそこで考える。雪乃もとてもチャーミングな感じがしてとても可愛い。しかし背は小さい方だし童顔で強いて言えば人形のような顔立ちだ。スタイルも抜群に良くはなく普通な子だ。

 喋りからは大人っぽい感じがするが、まだまだ子供と言えば子供なのかもしれない。江戸の時代の人間観については白石は全く知らないが。


「しかしそうなると難しくなるかもしれませんね。失礼ながら雪乃さんにはその武器がないですから」


 女性の心など何のそのという言い方に木乃葉は白石に不機嫌な表情を向けた。嫌みで言ったわけではない、白石は仲間から料理にあるデリカシーが女性にも向けられればいいねと言われた人なのだ。


「白石様。それは女性の方には言ってはいけません」

「いや、木乃葉さん、雪乃さんはもの凄くチャーミングで可愛いんです。ただ色気はない」

「ちゃーみんぐ?」


 木乃葉の返しに白石は忘れてくださいと言ったが、雪乃は可愛いという白石の言葉に照れてしまった。


「可愛いなんてそんな。旦那は色男ですよ」


 性格もとてもいい子だ。なんとか助けてやりたいと白石は思うとこう言った。


「ならば店を流行らすにはお菓子で勝負するしかない」

「でもそのお菓子が売れないんじゃないのか」


 加納屋の言葉に白石は少し考えると言葉を返す。


「俺が新商品を考えます。そしてお菓子でお客さんを取り戻す。それでどうでしょうか?」

「旦那は料理がお得意だとか」

「いやー雪乃。白石さんの料理はもう狂ってる感じだぞ」


 白石はそこで照れ笑いを浮かべると明日レシピを書いて持ってくることを約束して今日のところはお暇することにした。


 その次の朝、白石は木乃葉、そして春野と共に台所へ立っていた。火吹き竹で竈の火をおこすと鍋の中へ小豆を煮て、煮終わり、こし終わった漉し餡を白玉粉、砂糖、水で作った求肥で包み込む。上に十時に切り込みを入れて三角形に切った柿を加える。

 それを見た木乃葉と春野は感嘆の息を吐いた。

 

 餡と皮の甘ったるくてよい香り、それに最高の見栄え。これを見て腹を空かさない方がどうかしていた。


「綺麗です、白石さま」

「本当です。日頃から見ている大福が柿で洗練されてなんとも言えないです……」


 驚く二人に白石は微笑みを浮かべると、人差し指を顔の前で左右に振ると、こう言った。


「料理はちょっとしたアクセントで変わるんです。こういうお菓子を作る人にはセンスが必要かもしれない。俺が考えた訳じゃないですけど」

「あくせんと……せんす?」

「あくせんと……せんす、もう白石様ったら偶に謎の外来語をお喋りになるんだから。もう私たちにも分かる言葉でしゃべってください。うふっ」

「申し訳ないです。つい癖で言ってしまうみたいですね」


 白石は一つの大福を包丁で綺麗に切ると、木乃葉の口へ持って行く。


「どうぞ」

「はう……」


 見下ろす形になり、白石の指も舐めとらん形になる。白石は微笑みを浮かべ紳士よろしくな姿勢をとった。


「私には大人な世界です……」

「という春野さんも、ほい」


 白石は木乃葉が指から柿大福を食べる終わるのを見やると春野の口にも持って行った。


「はう……」


 もぐもぐと白石の指からかすめ取るように柿大福を食べていく。その顔は未知の物を食べた人間の表情と甘くとろけそうな表情が交わっていた。


「柿が大福とこんな合うなんて奇跡体験です……柿の自然を感じさせる甘みと風味が餡のコク深さの甘さと出会うとき、それは……」

「奇跡を生みますです本当です……もぐもぐ……」

「儂にもほら」


 玄関から入ってきた加納屋。さすがに加納屋にあーんは洒落になっていないので大人しく大福を渡すことにした。加納屋は冗談の通じないお方だというと柿大福を食べる。


「おおっ……柿のなんともいえない渋みのある甘さと、大福の味が絡み合ってまるで歌舞伎のようだ」


「……歌舞伎……うふふっ」


 さすがの白石も笑うしかなかった。まさか料理を歌舞伎で表現するとは思わなかったからだ。


「後はこれですね。先ほど外で揚げていたドーナツです」

「白石様、どーなつとは」

「そうですね。揚げ菓子と言った方がいいでしょうか?」


 本来ならベーキングパウダーやバターを使いたいがそれはない。砂糖と小麦粉と玉子とで作ったものだ。ちなみの江戸は火事にはうるさいので屋内で揚げてはいない。七輪を外に持って行って川の近くで揚げている。


「一応歯の弱い方にも食べやすいように緩めに作ってあります。ふんわりというわけには行かないでしょうが」


 茶色のドーナツは球状の形をしている、少しキラリと光るのは油と砂糖でコーティングしてあるからだ。


「それではどうぞ味見をと言いたいところなのですが」


 白石はそういうと両手でドーナツを一つずつ掴むと木乃葉と春野の口へ持って行く。二人はそれを咥えて食べる。身長差があるので白石はかがむ形になる。


 二人はドーナツを口へ含み、咀嚼をするとうっとりとした顔になった。


「はう……甘くて、柔らかな味で美味しい……」

「こ、これがどーなつ……もぐもぐ」


 それを見た加納屋は口を開いたが、白石は加納屋の手にドーナツを乗せると自分で食べてくださいと言った。


 捨て台詞と言わんばかりに加納屋はドーナツを頬張りながらこう言った。


「白石さん、あんた少しは年寄りを労りなさい。というかなかなかのご趣味も持ってらっしゃる。女子にあんなことやこんなことを」


「そんなことはしていません!」


 ドーナツを食べて放心状態になっている木乃葉と春野を指さし、加納屋はにっと意地の悪い笑みを浮かべて言った。


「この表情でもそう仰いますか」

「……はい。うふふ」


 自分の料理でそこまで喜んでもらえて嬉しかったので白石は微笑みを浮かべて、ついその口から笑みが出てしまった。


 白石はそこでふと思い出す。この江戸に来てから一つ不思議なことがある。それは自分は江戸の文字を読めるということだ。普通は然るべき場所で訓練しないと読めないと思うのだが、白石はなぜか読めた。


 この世で生きやすくするために授かった超常的ななにかなのか。白石はそう思うと顎に手を置くのであった。

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