第7話目 〜一つ目の墓荒らし猿〜

 

 街の喧騒から遠く離れた闇の奥。

 

 風が吹き荒れ、草木が獣の様に唸っていた。

 月が地上を照らしてもなお黒く沈む道。

 人影どころか、気配すらない。


 そこに一軒の古びた寺院があった。

 『満福寺』と掲げられた扁額は煤け、夜風に軋んで揺れている。

 裏手の墓石がかすかに鳴り、冷たい風が通り抜けた。


 庫裏では、年老いた住職が布団に身を沈めている。

 虫の声と風の音だけが、静かな夜を満たしていた。


 だが──

 静寂は唐突に破られた。


"ガッシャーン!!"


「なな、何じゃ、何の音じゃ!? 」


 鼓膜を殴るような衝撃音。

 次いで、金属が転がるような騒音が続いた。


"ガシャアン! ガシャアン! "

"ガラガラガラガラッ! "


「裏手の方から…? 墓地に何かおるのかのぉ?」


 住職は震える手で布団を払いのけ、ふらつく足で玄関へと向かう。

 戸を開け、冷たい夜風に震えながら墓地に向かう。



 満福寺の裏手。

 死者が眠る場所に、月光が薄く降り注いでいる。


 光を反射している墓石は手入れの行き届いた列をなし、静寂に沈んでいた。

 だが、視線の奥に広がる光景に、住職は息を呑む。


「な、何じゃ、これは……」


 墓石は倒れ、供え物は地に散乱し、土が掘り返されている。

 そこかしこに転がる石の破片。荒れ地と化した墓地。


 一歩踏み出した瞬間、鼻をつく悪臭が喉を突いた。


「うぷっ…こ、この匂い、糞か!? 」


 腐敗と泥が混じり合ったような激臭。

 吐き気を押さえながらも、音のする方へ歩を進める。


 やがて、耳障りな笑い声が風に乗って届いた。


 「キャッホッ! キャッホッ! 」

 「ホッホッ、ハッハッハッ! 」


 甲高く、どこか人間の笑いに似た声。

 それが複数重なり、夜気を震わせている。


「猿…? この辺りに猿など……」


 闇の奥で、ぼんやりと影が動いた。

 くすんだ黄色の体毛、長い尾。

 猿たちが墓石に腰掛け、手を叩き合っている。


 だが、その笑いは喜びではなかった。

 どこか祭りの儀式のような、狂った調子だった。


 彼らは墓石から飛び降りると、次々と墓を薙ぎ倒した。

 素手で土を掘り返し、破片を打ち砕き、黒茶色い何かを掴んでは投げつけ合う。

 黒ずんだ塊が空を飛び、べちゃりと音を立てて落ちる。

 

 打ち砕かれる墓石、穢される墓地、徹底的に荒らされた眠りの場。


「こ、このエテ公がぁ…! 神聖な場を穢しおってぇ…!」


 死者に対する最大の侮辱。

 いかに相手が獣とはいえ、眠りを守る者としてこんな蛮行が許すわけにはいかない。

 

 住職は落ちてる箒を手に取って住職は大きく息を吸い込んだ。


「こりぁあ、猿どもぉ!! さっさと山に帰らんかぁあ!!! 」

 

 怒声が墓地に反響する。

 風が止み、虫の声ひとつすら聞こえなくなった。

 猿たちの動きがピタリと止まる。


「ここにお主らの餌はないんじゃ! 分かったら──」


 その瞬間、猿たちは一斉に振り返った。

 そして、その顔を住職に見せつける。


 ──"異形"そのものの顔を。


「ヒッ……! 一つ目……!?」


 全ての猿の顔。

 そこにあったのは、ぎょろりと睨むたった一つの巨大な瞳だった。


 上半分を覆うほどの瞼。

 皿のようにまん丸な目が、光を宿して住職を射抜く。


 背骨に氷を詰められたように身体の内側が冷たくなる。

 さっきまでの怒りなど消え失せ、逃げたいという本能だけが残った。


「ギャアッ!! ギャーギャーッ!! 」

「ギャオッギャオッ!! 」


 一つ目の猿たちが一斉に威嚇する。

 桐のように鋭い牙を剥き出しにして、金切り声を上げる。


 その声は目の前だけではない。

 背後、左右、暗闇の奥からも、皿のような目が次々と光り出す。


 十、二十、三十──

 いや、百を超える瞳が住職に狙いをつけていた。


 住職の全身が凍りつく。

 震える足が動かない。


 完全な無防備。

 そして、闇の群れはそれを見逃さない。


「ギャオオオオオオオオオッ!!!」


 一匹の号令とともに、闇が動いた。

 次の瞬間、叫び声が上がるよりも早く、瞳たちが一斉に飛びかかった。

 

 それが、住職の最後の記憶だった──




 


 ──翌日。


「ひっでぇなこりゃ… 今月で3件目だぜ」


 朝日が差し込む墓地で、一人の刑事が手帳に走り書きしながらつぶやいた。

 周囲には十数人の警官が散り、倒れた墓石を持ち上げ、飛び散った破片を拾い集めている。

 鼻をつく悪臭に、誰もが顔をしかめた。


「糞みたいなのもあるし、野生動物のせいだと思うが…」

「でも、前回は霊園で、今回は寺でしたよね? 墓場ばかり狙う野生動物なんているんですか? 」

「……だよなぁ」


 風が吹き抜け、砂埃がふわりと舞う。

 鑑識官たちは無言で地面を掘り返し、抜けた毛やこびりついた汚れを丁寧に採取している。


 しかし、その表情にはどこか戸惑いが混じっていた。


「…鑑識、期待できそうですか? 」

「匂い的に同じ動物の仕業だと思いますが、問題は…」

「"何の動物から分からない"…か。鑑識回しても正体不明な動物って何だよ…! 」


 刑事は大きく息を吐き、髪をかきむしる。

 現場に残るのは、腐臭と土の匂い、そしてどうにも言葉にできない "違和感" だった。


「そう言えば、被害者は何か言ってなかったんですか?」

「被害者……ああ、入院中の住職さんか。まぁ、確かに言ってたけどよ…」

 

 刑事の声には、苦笑とも溜息ともつかぬ色が滲んでいる。

 

「何でも"一つ目の猿に襲われた"、ってさ」

「ひ、一つ目……? それ、ただの見間違えじゃ? 」


「かなりの高齢だし怪我も酷かったからな。色々と混乱しちまったんだろ」


 そう言って、刑事はまた手帳に視線を落とす。

 すでに住職の言葉など、頭の端にすら残っていないようだった。


 そして、それは彼だけではない。

 住職の話を聞いた誰もが、鼻で笑い、頭を振った。


 "一つ目の猿に襲われた"などという戯言を信じる者などいない。

 いたとしても現実と夢の区別もつかぬ子供くらいのものだろう。

 少なくとも、大人たちは皆そう思っている。


 ──枝の上。

 朝の光を反射して、黒い瞳が静かに現場を見下ろしていた。


「カァッ!」


 ダミ声が響き、一羽のカラスが翼を広げる。

 警官たちの頭上をかすめ、誰にも気づかれぬまま山の方へ飛び立った。


 ──大人たちはみんな信じない。

 "怪異"など、この世に存在しないと。


 けれど、あのカラスだけは知っている。

 住職を襲った夜の闇を。

 あの異形の瞳を。

 そして、闇の中でそれを狩る者の存在を。


 カラスは風を切りながら飛ぶ。

 ビルを越え、電線の隙間を抜けて──


 その翼が向かう先。

 『妖怪退治の化け物』が住まう場所だった。



 〜第7話目、完。第8話目に続く〜

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怪異無限物語 〜現代妖怪退治録〜 趣味人・暇人のS @Shuu-Himajin-0221

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