妖精

taiyou-ikiru

第1話

  妖精は身を削って粉を出す。妖精は厭わず身を削る。少なくとも金、だとか優しさ、だとかそういう俗世に揉まれた類ではないだろう。妖精は日一日と脱皮する様に体の表面が剥がれ落ち、清潔と見栄えのために、つまり世間体を気にして削るのだろう。又、妖精の粉には不思議な魔力があった。人間に多大な影響を及ぼすのである。これを触れた人間は心身ともに朗らかに傷が治っていくのである。何とも不思議で艶麗な、絶縁体の色である。しかしこの粉が人間界に届くと言った怪奇現象は些か起こるとは考えにくい。なぜなら妖精と人間界は別々の場所に乖離している。しかし密接に繋がっているものでもある。糸の様な不思議な手繰りで、きっちりと繋がれていて、不思議である。故に完全な乖離とは呼びにくく、偶に妖精が人間界に遊びに行くほど気軽な関係性でもある。事実サファと言う妖精は人間界へと迷い込んだ。家族間のピクニックの間である。はぐれて、故に行き場を見失った。偶々今日は街の角に出没して、嬉々としていたのは少し前のことである。今、鉄格子を掻き分けて、或る家の窓際に座っていた所であった。すると人間の会話が聞こえ、サファは耳を傾けた。

「ねぇリンゼさん。僕さ。今から死ぬのかな。いやだよ。お国のためにさ。ここまで尽くして。どんな仕打ちだって。滑稽話だ。まるで滑稽話だ。やめてくれ。やめてくれ。」

 サファがその声主を探すと、包帯に巻かれて、みすぼらしい恰好に悲しく蹲っている様であった。

「そういう悲しいお話はやめてください。きっとよくなります。あなたは破傷風も結核も罹っていないんですから。ただたくさん食べて、寝て、元気になれば快復傾向に向かえます。お国のことは今はいいじゃないですか。生きていれば一糸の活路は きっと、きっとあります。」

 そう微笑む美人のお姉さんは子守歌の様に言い聞かせ、子供を寝かしつかせるようにぽん、ぽんとお腹の辺りをぽんぽんと一定のリズムで、ぽんぽんと続けました。すると安心したように病弱の男は鼻息が治まるのでした。サファはその様子に興味が湧いていました。なんせ何十年も別世界で暮らしていたので、新世界を扉から垣間見た所以でした。そして男が眠ったと理解した次の瞬間女は迷ったような動作を入れたのち、両手でお腹に重ね合わせて、ぎゅっと弱く押し込みました。サファは確かにその様子を人間も妖精もあまり変わらないのだと楽観的に見ていました。その後女は部屋から静かに出ていきました。妖精はしかしやはりと言うべきか、男に対して興味を抱いていました。中々類を見ない形態に面白がって近づきました。

「ねぇお兄さん。大丈夫?どこか痛いの?」

「ん、ああ。痛いよ。そりゃあ。、、、これは幻聴かい?恐らくこの家のものじゃないと思うのだが」

「そりゃあ私は妖精だもの。」

 すると驚いたように口を塞ぎ、静かになりました。サファはふとこの男が可哀そうだと思いました。一時のユーモアもなくゆとりもない。この荒涼な図体は戦争の破片なのでしょう。そう思うと、どこかやるせなく、虚しい気持ちに苛まれるのでした。だったら妖精の粉で助けてあげよう。そう直感的にサファは思いました。そうして自分の皮膚を削り、その腐った銅色を手に詰めて、飛び回り、ぱらぱらとゆったり全身へ撒きました。粉は男の体へ付着し、沈殿しました。そうするとサファは満足し、取り敢えずまた鉄格子に座り、男を目視していました。そうしていると段々妖精界へと戻る単純な術を思い出し、いかに自分の忘れん坊気質なのかを責め、ならはぐれても人間界に旅行の気分で居てもいいんじゃないか。そう思うと途端に心が軽くなり、野宿場を探しに出かけたのでした。

 次の日の朝は快晴でした。サファは今日も鉄格子の冷たさに怯えながら合間に座って会話を聞き取るのでした。

「いやね。リンゼさん。昨日ね。僕の夢かしれないけれども、妖精がやってきてね。僕になにかを振りまいたんだ。途端に温度が一致して、僕の心身をいやにも癒したんだ。いや、あれは夢じゃなかったかもしれない。いや、すごいね。妖精と言うものは。本当に感謝しかないよ。」

 サファは口角をあげ、反対に目を細めて、緊張と嬉しさがどこか心に浸っていました。

「そうですか。よかったですね。」

 きっとどこか男の意地で嘯いているのであろうと、少し心もとない温度感で返しました。

「いやね、嘘じゃないんだ。この顔の包帯ももう取れる。」

 そう言うと顔の包帯を徐に取り、その端麗な顔を露わにしました。お姉さんは驚いた風でその傷一つない顔をまるで奇跡だ!と叫ばんほどに顔を表していました。

 そして口をわなわなと震わせ、言いました。

「ああ、ほんと?本当に、本当に良かった。あなたがよくなってくれてほんとうによかった。」そう言うと幾分か男の膝の上で泣いた後、「伝えてきます。」と少々早い足取りで、扉の奥へと移動しました。そして男は大声で「分かった。僕はもうちょっと寝ているから。」と叫ぶと直ぐに、(恐らくこの驚異的な快復に睡眠が関与していると考えたのでしょう)毛布を取り、目を閉じました。

 そしてサファは今日も自分の皮膚を削り、ばら撒いて男の顔を見ると、眠る目がどこか心地よさそうでそっとしておいたのでした。

 そのまた翌日。若干の雨模様にビーズが交じるような朝時でした。あんなに健康体だった妖精の図体はまるで小鹿の様に弱って不気味と普通を揺蕩うような見た目へと変気していったのです。サファはそれに気づいていませんでした。恋はそういうものなのかも知れません。そうして今日も心無い風に吹かれながら鉄格子を上手く避け、レンガの上に着地してまたもや会話を聞きました。

「ユクルナさん体調はどうですか?」

「いやね、日々改善して、ほんとに元気になってるよ。」

 ベットの上に二人して横並びに笑いあって、サファはずるい空間だと心で一瞥しました。

「私、戦争が始まる前からあなたのことが好きだったのです。ええ、心の内でずっと愛しておりました。」

「、、、はい。」なんと言ったらいいのか分からないもの仕草で淡さを胸に抱いているかのような所作でした。

「だから、私この戦争が終戦するまでに、答えを聞きたいのです。それが私の唯一の願いなのです」

「僕は看病してくれるあなたが好きでした。旧友の仲だとか。そういうものを加味せずに君の仕草もこころも全てが好きでした。貴方さえよければ僕と、、今すぐには難しいかもしれないですけれど、もし平和に世界が催せたら結婚してくれませんか?」

 お姉さんは今にも泣きだしそうな感涙を浮かべてゆっくり、ゆっくりと「はい。」と震えて言いました。

 その悠久の時に思えた時間を終えた理由はまさにキスでした。サファがわっと驚く余韻もない中二人は共に唇を奪い合い、恍惚の表情で見合うのです。ベットに二人して倒れて靡いた髪を靡かせて、微笑と激動を滝に流しました。その後に会話を挟み踵を返してぎくしゃくとままならない様子でお姉さんはこの部屋を後にしました。その後、どこか心ここにないようで、ベットに倒れたまま寝てしまいました。サファはその一部始終に、それにどこか衝撃を受けている自身を朧げに映っている様子をどこか彼方に写しながら、そうして苦悶の表で空から自分の粉を投げて、逃げるように帰りました。


 翌日は顔を出すことがやはり億劫になりました。もうあの空間に居たくない。けれども見に行きたいという相反する感情が対立しあって、心が鬩ぎあって、戦場の余韻はたぶんここでしょう。そうサファは思うとさらに苦しくなり、しかし、男の前に顔を出すという自己主張の気持ちは一つもありませんでした。理由は二つあります。一つはもし見つかって通報でもされたら自分の命が危ないからです。二つ目に淡い期待と純真の恋心が内にあったからです。恋心を些か隠して、命の危険を威勢に貼り、必死に騙し騙しこんにちまで人間界にいました。しかし、本心はそうではありません。もし、拒否でもされてみたら。認知されていない空想の人物像にどこまでなにかを描けるのだろう。そういう不安が心の奥にへばりついてあったからでした。

 この二つの要因から話掛けるという勇気が中々生まれないのです。

 そしてその頃にはこれはどこか愛だと気付いていました。しかしもう妖精はぼろぼろと腰と胸が砕け落ち、もやしの細さに比較できるほど、応えきっていました。


 ふと突然(別に会わなくてもいいんじゃないか。何れここで暮らすなどと言う暴挙は確実に起こらない。無意味で、空想の空物語だ。もし話し掛けたとしても、決して振り向く、又心を埋めてくれるどこかなにか変なマジックなどあり得ないでしょう)そう思うとやけに寂しくなり、

 そうして妖精は妖精界へと帰るのでした。




 というなんとも悲しい物語でした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

妖精 taiyou-ikiru @nihonnzinnnodareka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る