第2話 歌合の夜

今は延喜の御代、世に和歌の道いと盛んなりし頃。冬の気配が忍び寄る、霜枯れの月夜のことなり。


『古今集』の撰にも名を連ねる紀友則(きのとものり)が邸に、友なる歌人、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)と壬生忠岑(みぶのただみね)が訪ひ来たり。火桶を囲み、温めし酒を酌み交わすうち、話は自ずから歌の道へと移りゆく。


「近頃、めぼしき歌は詠まれしか」


友則が問へば、やや気難しき面持ちの躬恒、すこしばかり誇らしげに咳を一つして、懐紙を取り出でたり。


「秋の暮れに、心に浮かびしものあり。聴かれよ」


そう言うて、躬恒が詠みたるは、


 暮れゆけば 鹿(しか)の音(ね)細る 遠山に 色なき風や 梢(こずえ)渡るらむ


(日が暮れてゆくと、鹿の鳴き声もか細くなってゆく遠くの山に、きっと蕭然とした色のない風が梢を渡っているのだろう)


景色が目に映るが如き、まことに技巧を凝らしたる一首。友則は「ほう」と感嘆の声を漏らしけり。されど、人情味あふれる忠岑は、首をひねりて言ふ。


「まことに見事なる情景。されど躬恒殿、この歌はあまりに澄みすぎて、人の心のぬくもり、やや遠き心地がするは、我のみか。理(ことわり)にて描きし絵のやうなり」


その言に、躬恒はむっとして、

「歌とは、心に浮かぶ景色を、いかに言葉にて鮮やかに切り取るかにある。いたづらに情に流るるは、野人のすることぞ」


二人の間に、ちと険しき空気が流るるを、友則が笑みてなだめける。

「まあ、待たれよ。躬恒殿の『色なき風』といふ表現、これぞ秋の寂寥を余すことなく捉へたる、妙なる言葉と我は思ふ。されど忠岑殿の言ふ、人の心の温かみも、また歌の命。どちらが優るるといふことにはあるまい」


「ならば」と、今度は忠岑が居住まひを正す。

「情に流るると言はれたれば、まさしく情ばかりの歌を一つ。これは、ある女に成り代わりて詠みたるもの」


   足引きの 山鳥の尾の 露けさよ 昨夜(よべ)の夢路に 君を見しより


(山鳥の長い尾に置く露で濡れているように、私の袖も涙でしっとりと湿っておりますよ。昨夜の夢であなたにお会いしてからというもの)


ありふれたる恋の歌なれど、その切々たる想いが伝はる一首に、今度は躬恒が鼻を鳴らす。

「なるほど、情は深い。されど、言葉に新しきところが見えぬ。『山鳥の尾』とは、使い古されたる枕詞。これでは、古き歌の影を出でぬではないか」


「新しきを追ふばかりが歌にあらず。幾代にもわたりて人の心を打ちし言葉には、それだけの力がある故よ」と忠岑も譲らぬ。


火花散る二人を見て、友則は静かに酒を一口含み、やおら口を開きけり。

「両人の言、どちらも歌の真実。景色か、情か。新しさか、古き言葉の力か。尽きせぬ問いなれど、我も近頃、心に留めし一首あり」


友則は、庭の冬枯れの木々に目をやり、静かに詠み上げる。


久方(ひさかた)の 光の中に 冬枯れの 梢に残る 照り葉一枚(ひとは)


(日の光がさんさんと降り注ぐその中に、冬枯れの木々の梢に、日に照り映える葉がただ一枚だけ残っていることだ)


華やかなる言葉も、激しき情もなし。ただ、静かなる景色を詠みたるその歌に、躬恒も忠岑も、はっと息を呑み、言葉を失ひけり。

技巧を凝らした躬恒の景色でもなく、情に溢るる忠岑の心でもない。その両方が溶け合い、命のきらめきと、やがて来る終はりとを、ただ一枚の葉に映し出してゐる。


しばしの沈黙の後、躬恒がぽつりと言ふ。

「…参った。景色の中に、万物の定めと、なほ消えぬ命の光を見る。これぞ、まことの歌の心か」


忠岑も深くうなづき、

「声高ならず、されど胸に染み入る深さ。我らの歌は、いまだこの境地には遠し…」


三人は、もはや己が歌の優劣を競ふ心を忘れ、互ひの道を認め合ひて、静かに頷きあふ。

夜は更け、火桶の炭火も小さくなりゆく。外では、冷たき冬の雨が、しとしとと世の音を消して、歌人たちの尽きせぬ語らひを包み込むやうに、降り続いてゐた。



(現代語訳)

今は延喜帝の御代、世の中に和歌の道がたいそう盛んだった頃のことです。冬の気配が忍び寄る、霜が降りて草木が枯れた月夜のことでした。


『古今和歌集』の選者にも名を連ねる歌人、紀友則(きのとものり)の屋敷に、友人の歌人である凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)と壬生忠岑(みぶのただみね)が訪ねてきました。火鉢を囲み、温めたお酒を酌み交わしているうちに、話は自然と和歌の道へと移っていきました。


「近頃、何か目を見張るような歌は詠めましたかな」


友則が尋ねると、少し気難しそうな顔つきの躬恒が、ちょっとだけ誇らしげに咳を一つして、懐から紙を取り出しました。


「秋の暮れに、心に浮かんだ歌があります。お聴きください」


そう言って、躬恒が詠んだのは、


【躬恒の歌】


暮れゆけば 鹿(しか)の音(ね)細る 遠山に 色なき風や 梢(こずえ)渡るらむ


(歌の意味)

日が暮れていくと、鹿の鳴き声もか細くなっていく遠くの山に、きっと蕭然とした(もの寂しい)色のない風が梢を渡っているのだろう。


まるで景色が目に映るかのような、実に技巧を凝らした一首です。友則は「ほう」と感嘆の声を漏らしました。しかし、人情味あふれる忠岑は、首をひねって言いました。


「実にみごとな情景描写です。しかし躬恒殿、この歌はあまりに澄みすぎていて、人の心のぬくもりが、少し遠い感じがするのは、私だけでしょうか。まるで理屈で描いた絵のようです」


その言葉に、躬恒はむっとして、

「歌というものは、心に浮かんだ景色を、いかに言葉で鮮やかに切り取るかにあるのです。いたずらに感情に流されるのは、洗練されていない者のすることですよ」


二人の間に、少し険しい空気が流れたのを、友則が笑ってなだめました。

「まあ、お待ちください。躬恒殿の『色なき風』という表現は、これこそ秋の寂しさを余すところなく捉えた、素晴らしい言葉だと私は思います。しかし忠岑殿がおっしゃる、人の心の温かみも、また歌の命です。どちらが優れているということではないでしょう」


「それならば」と、今度は忠岑が姿勢を正します。

「感情に流されると言われましたので、まさしく感情ばかりの歌を一つ。これは、ある女性の気持ちになって詠んだものです」


【忠岑の歌】


足引きの 山鳥の尾の 露けさよ 昨夜(よべ)の夢路に 君を見しより


(歌の意味)

山鳥の長い尾が露で濡れているように、私の袖も涙でしっとりと湿っておりますよ。昨夜の夢であなたにお会いしてからというもの。


ありふれた恋の歌ですが、その切々とした想いが伝わる一首に、今度は躬恒が鼻を鳴らしました。

「なるほど、感情は深い。しかし、言葉に新しいところがありませんな。『山鳥の尾』というのは、使い古された枕詞です。これでは、昔の歌の真似事から抜け出せていないではありませんか」


「新しさを追い求めるだけが歌ではありません。何代にもわたって人の心を打ってきた言葉には、それだけの力があるからですよ」と忠岑も譲りません。


火花を散らす二人を見て、友則は静かに酒を一口飲み、おもむろに口を開きました。

「お二人の言葉は、どちらも歌の真実を突いています。景色か、感情か。新しさか、古い言葉の力か。尽きることのない問いですが、私も近頃、心に留まった一首があります」


友則は、庭の冬枯れの木々に目をやり、静かに詠み上げました。


【友則の歌】


久方(ひさかた)の 光の中に 冬枯れの 梢に残る 照り葉一枚(ひとは)


(歌の意味)

日の光がさんさんと降り注ぐその中に、冬枯れの木々の梢に、日に照り映える葉がただ一枚だけ残っていることだ。


華やかな言葉も、激しい感情もありません。ただ、静かな景色を詠んだその歌に、躬恒も忠岑も、はっと息を呑み、言葉を失ってしまいました。

技巧を凝らした躬恒の景色の歌でもなく、感情にあふれた忠岑の心の歌でもない。その両方が溶け合い、命のきらめきと、やがて来る終わりとを、ただ一枚の葉に映し出しているのです。


しばらくの沈黙の後、躬恒がぽつりと言いました。

「……参りました。景色の中に、万物の定めと、それでもなお消えない命の光が見える。これこそが、本当の歌の心なのかもしれませんな」


忠岑も深くうなずき、

「声高に主張するわけではないのに、胸に染み入る深さがある。我々の歌は、まだこの境地には程遠い……」


三人は、もはや自分の歌の優劣を競う気持ちを忘れ、お互いの道を認め合って、静かにうなずき合いました。

夜は更け、火鉢の炭火も小さくなっていきます。外では、冷たい冬の雨が、しとしとと世の中の音を消して、歌人たちの尽きることのない語らいを包み込むかのように、降り続いていました。

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