新情報とオホ声

 ナイトクラブの中は薄暗くありながらも、黄色や紫などのぼんやりとした光に照らされている。

 天上にはシャンデリアよりかは下品だが、ガラス細工の何かが吊り下げられて間接照明で発光していた。

 高級感を感じさせるラグジュアリーな内装……一言で形容するのがこの表現が相応しいだろう。


 楓さんとお兄さんの後に続きながら周囲を見回すと、視界に入った煽情的なドレスのお姉さん……つまりホステスさんたちが僕とエリカちゃんを見て、微笑まし気に笑いながらもこちらに小さく手を振る。

 子供だと思われたのだろうか……まぁこのような店に来るような年齢の大人ではないことは確かなんだが。


「アンゴ……」


「大丈夫……、お兄さんたちが知り合いなら、アウェーじゃないはず。多分……」


 隣を歩くエリカちゃんはどこか不安げだ。

 当然だ、このような環境彼女にとっては不安になってもおかしくない。

 それにましてやここ豊島は九蓮幇の勢力圏、お膝元だもん。


 とはいえ、あの時僕たちに中に入るようになった時のお兄さんと楓さんの反応から敵対的であるとは感じなかった。

 であれば、そこまで酷い目に遭うとは考えにくいのではないか。

 エリカちゃんを安心させるために声を掛けると、お兄さんと楓さんが足を止める。


「それじゃあ、ここに座って。貴方たちのドリンクは高いお酒でもないのだし、私が出すわ。彼氏の友人……それも未成年の坊やとお嬢ちゃんですもの」


「あ、ありがとう……?」


「あ、ありがとうございます。」


 僕たちはラグジュアリーで、艶やかな内装のナイトクラブのテーブル席に通される。

 僕とエリカちゃんはおずおずとお礼を言うと、席に座る。

 おぉ……結構フカフカしたソファだ。


 周りを見れば、ここと同じ感じのテーブルとイスがブースと形容するのが相応しいと感じられるほどに並んでおり、中心のショウスペースのような開けた檀上が見えるように作られていた。

 ナイトクラブって……こういうキャバクラみたいな感じなのか。


 まぁ、イメージ通りではある。

 僕のやっていたエロゲではあそこのショウスペースで、調教済みの退魔捜査官がお披露目されて生き恥お下劣芸をやっていたんだよね……。


「はえ~、こないな所で働いとったんか楓ちゃ~ん。中々雰囲気のええ所やねぇ~、こん中でナンバーワンって、凄いなぁ~」


「ふふっ、そうよ。貴方のお姉さんはすごいんだから。わかってくれたから?」


「楓ちゃんが凄いのは元々重々承知や。ボンキュッボンなその身体とか、床上手なところとかなぁ~♪」


「もぉ~、エッチ❤ 子供たちが見てるんだから、そのへんにしなさい……めっ!」


「いや~、ごめんごめん❤」


 そして楓さんはお兄さんの横に座ると、イチャイチャと乳繰り合っている。

 二人は恋人同士だったのか。

 なんというか、居づらさを感じるな……。

 隣を見れば、エリカちゃんの表情は無味乾燥っといった感じ。

 嫌いな人間が誰かとイチャイチャしてる場面とか、一番興味ないと言ったところだろうか……。


 お兄さんの口ぶり的に、楓さんとは職場とは関係ない場所に出会ったのだろう。

 じゃないとお兄さんもこうして物珍しそうにナイトクラブの内装を見回す理由がない。

 高級ナイトクラブのナンバーワンホステスと恋人……凄いなぁ。


「それで、面接……とやらをやった方が良いのかしら? 雌犬ちゃんと鬼畜クン♪」


「んなっ……!!?」


「あっ、あっーえっーと、それは……」


 あっ、そう言えばそういうことしてたんだった。

 お店の前で僕がガードマンにごねていた内容、それでいて雌犬のように振舞っていたエリカちゃんのリードをしっかりと握る僕を楓さんも見ていただろう。

 やっべ~~~、急にお店に通してもらって油断してた……急に面接の体で来られても頭真っ白なんだけど。


「はぁ、新人クンたちをイジるのは辞めたってや。俺と一緒に招き入れたっちゅ~ことは、大体察しとるやろ? てか、そもそも我楽多としての仕事ってさっきここ座るまでに言うたやん」


「そうね、でも……ふっ、ふふふっ♪ だって、見ていて面白かったんですもの」


「えー性格しとるわ~。でもまっ、驚かされたちゅー話なら、俺もおんなじや。ホンマ、なんであんなことしとったん? 一番不思議なのはおっぱいちゃんがああいうことに乗っとったことやな」


 ジンさんと呼ばれたお兄さんは、エリカちゃんに尋ねる。

 するとエリカちゃんはすげない態度でジンさんの質問に答えた。


「……別に、ただ後輩に必死に頼まれたから先輩として一肌脱いだだけよ。……それに、そもそもアンタにアタシのことを詮索される謂れがないわ」


「お~、相変わらずのつっけんどん。ってことはおっぱいちゃんは年の近い男の下からの押しに弱いっちゅーことなんかな? またひとつ仲間のことが知れたわ~」


「ねぇ、なんでコイツ生きてるのかしら……?」


 エリカちゃんは本当に不思議といった表情で僕に尋ねてくる。

 そ、そんなこと聞かれても困る……。


 とはいえ、なんとなくエリカちゃんが嫌いだと言っていた理由が分かった気がする。

 なんというか呼び名とか絡み方と言い、エリカちゃん的には嫌なイジられ方ではあるだろう。

 まぁ、悪意は感じないけど……距離感を間違えてるって奴か。


 ジンさんは結構モテそうだし、こういう気安い感じで女の子に接してきたんだろうな。

 ただ、エリカちゃんは今日もそうだし、日頃公園で男にそういう性的にズケズケと言われてきた分、そういう絡み方はそんな人たちを想起させられて嫌なのかもしれない。


「ま、まぁまぁ……エリカちゃんは僕の頼みを聞いてくれただけなので。やっぱり、あの場だと従業員として潜入するっていう方法以外なくて……」


「いやいや、にしてもアレは流石におかしいやろ。あれ、俺がおかしいんか……?」


「はい、二人ともジュース。ここ、ワイン風のぶどうジュースしかないんだけど、大丈夫? 契約ワイナリーが作ってるから、味は保証できるんだけど」


「あっ、はい……大丈夫です」


「アタシも特に問題ないわ」


 ボーイさんが運んできたワイングラスに入った紫色のジュース。

 それを楓さんは小首を傾げて尋ねながら、僕らの前に置く。

 さらっと亜麻色の髪が流れる……それにしたって綺麗な人だ。

 ナンバーワンっていうのも頷ける。


 グラスを口に近づける。

 ……アルコールの匂いはしない、本当にぶどうジュース。

 グラスに口づけて、ぶどうジュースを口に含む。


 ……うん、おいしい。

 芳醇なぶどうの香りに、濃い味わいを感じる。

 流石契約ワインセラーが出してるだけある……なんて。

 なんかソムリエみたいなこと考えちゃってるな……ただのぶどうジュースなのに。

 ちょっと恥ずかしい。


「……うおっ!?」


「……なによ?」


「あ、ううん、なんでもない」


 隣を見たら、エリカちゃんのグラスが既に空になっていた。

 割と楓さんへの返事冷めてたけど、一気に飲んだんだ……好きだったんだね。

 こういうところ、年相応って感じして微笑ましくなるよね。

 まぁ、エリカちゃん……緊張してるんだろうな。


「ふふっ、お気に召したようでなによりだわ」


 楓さんはエリカちゃんの飲みっぷりを見ていたようで、口元を手で押さえて上品に笑っている。

 そして手を合わせると、僕とエリカちゃんを見る。


「それで、そろそろ本題に入らせてもらおうかしら。もうすぐお店も本格的に稼働し始めるし、私はその前に迅クンとホテルに行っとかないと面倒なことなるもの。……それに、あなたたちもそちらの方が良いでしょう?」


「……アンタ、またサボる気だったわけ?」


「いやいや~ほら、おっぱいちゃん、ギャルちゃんに加えて新人クンも加わったんやで? ほな、俺はもうちょっとゆるく構えてええかな~って! 最近彼女サービス出来てへんかったわけやし?」


「まぁ、確かに彼女サービスってのは大事かもですね……僕にはわからないですけど」


 ジト目でジンさんを睨みつけるエリカちゃん。

 ジンさんはそんな彼女の視線を受けて、あせあせと身振り手振りを交えて言い訳をしていた。

 僕としてはジンさんには恩があるので、それとなくジンさんのフォローもしておく。


 非モテにありがちな彼女持ちの言説は肩を持っておくことで、自分が嫉妬に塗れた可哀想な生き物ではないという自認を養うやり方だ。

 ちなみに、彼女が出来たことは二次元を除けばないので本当に分からない。

 けどまぁ、仕事でも私事で有休を取るみたいな人も居るらしいから、理屈は通っているんじゃない?


「まっ、私は5人目の彼女なんだけどね。甘えたくなった時だけ訪ねて来て、罪な男だわ。……そんな男に会えて喜んでる私は、バカな女なんだけど」


「は?」


「ちょ、ちょいちょい! 新人クンまで怖い顔せんといてやぁ~」


 5人目……5人!?

 1・2・3・4……5人の女性と関係を持ってるってこと!?

 しかもそんな状況を目の前の楓さんは受け入れてる……は? はぁ!?

 こんなっ……こんなことが許されてええのんか!?


 おまっ……おまっっ……やっっべ、あまりの苛立ちに言葉が出ない。

 つーかそれで彼女サービスとかしてたらほぼほぼ1週間なんも出来ねぇじゃねぇかよ!

 寝言は寝て言ってくれよ、マジでよ~~~!


「驚いたわ……まさか言動だけじゃなく、行動まで下劣だったのね。ねっ、アンゴ。コイツ最悪でしょ」


「これは許されることではないよ、マジで。ちなみにこれは嫉みです、モテない男の嫉妬と言えば良いじゃないですか!」


「な、なんでノーガードでキレてくるんや……。ほら、俺のことよりも仕事のこと聞くんやろ! ほらほら、米倉スズについて聞こうや!」


 ……まぁ、言いたいことはあるけれど。

 それでも確かに楓さんにも時間がないみたいだし、そちらを優先した方が良いのは確かだ。


「この女の子です、名前は米倉スズ。この子の婚約者が僕らの依頼人なんですよ。行方不明で……最後の目撃情報としては豊島の中国人街でドレスを着ている似た人物を見たという依頼人の知人からの情報だけ」


「それで前にアタシがで豊島で聞き込みをして、このナイトクラブで働いているって情報を元顧客から聞いたの。どう、何か知らない……?」


「この写真の子……ええ、知ってるわ。なにせ、1か月前までここで働いていた子だもの」


「……やっぱり!」


 楓さんに米倉スズの顔写真を手渡すと、しばらく見つめた後に楓さんは答える。

 ……どうやらビンゴだったらしい。


「1年ほど前からお金が要るからってホステスとして働いていたわね。接客態度も良好で、頑張り屋さんな可愛らしい子だったわ。 ウチとしてもお客さんもそこそこついてきてて、結構期待の新人として見てたんだけどね……」


「何かあったんですか……?」


「大体ひと月ほど前に何も言わずに無断欠勤してから今に至るまでそれっきりよ……まぁ、みんな辞めたくなるような気持ちもわかるって納得していたんだけど。まさか、行方不明だったなんて……」


 しっかりと、このナイトクラブでホステスとして働いていた……か。

 婚約者の糸寄ジョナサンは知らない、そしてお金が必要……やっぱり彼女自身に何かしらの事情があるってパターンかな。

 にしても1か月前から無断欠勤か……。

 それに楓さんの最後の一言も引っかかる。


「辞めたくなる~ってどういうことや? なんか心当たりがあったん?」


「ええ。一人、厄介な客に粘着されてたみたいなの……『美しすぎる、食べちゃいたい』とか言ってね。ボディタッチも激しいし、執拗に連絡先を聞いたりとしつこかったから。あの子……割と素直なのは良いけど、ちょっとここで働くには純粋すぎるきらいがあったから、苦になって辞めても仕方ないなって私達ホステスの間では話してたわ。もともと若い子だとそういう癖のあるお客さんに当たって無断で居なくなるのは、この業界だとないわけでもないから」


「それは最悪ね……。それにしても、しつこい客……引っかかるわ」


 身に染みて分かると言った様子でエリカちゃんが訳知り顔で頷く。

 まぁ日頃から公園でのフリーハグで問題客と向き合ってそうだしな、エリカちゃん。

 にしても、辞めるのも致し方ない……か。

 そう思わせる客ってどんな客なんだろうか。


「その客ってどんな人なんですか……?」


「そうね、名前はトマス・レクターって言ったかしら。父親が貿易会社を経営していて金はあるから~というのが口癖の放蕩坊やね。歳は20代前半くらいで、金髪をオールバッグにした金色の品のない時計にサスペンダーが特徴よ」


「なんやパーソナリティ聞いただけでも気に食わんなぁ~、鼻につくわ」


「人のこと言えないでしょ……」


「は、ははは……」


 楓さんの言葉を聞いて、うげぇと眉を顰めるジンさん。

 そんな彼を見て、僕の隣でエリカちゃんがぼそりと毒を吐く。

 反応に困るよ……。


 父親は貿易会社社長か……。

 このナイトクラブに通って、米倉スズに粘着できるくらいなので金回りは良いのだろう。

 たとえそれが本人ではなく、父親の金だったとしても羨ましい限りだ。


「そういえば、あの子……スズちゃんが無断欠勤してから1度も来てなかったような……どうだったかしら?」


「来ていないとしたら、大分怪しいわねソイツ」


「その父親が経営している貿易会社ってどこか聞いてたりします?」


「ごめんなさい、それは知らないわ……そういう痛い子って珍しくないから。そこまで深入りしないのよ私達……それにスズちゃんが担当していた子だったもの。名刺とかも彼渡してなかった覚えがあるし……」


 ……まぁ、たかだか放蕩息子に渡す事の出来る名刺なんてないだろう。

 話を聞く限り、限りなくそのトマス・レクターが米倉スズに関わっていることは想像に難くない。

 とはいえ、情報はそこまでで止まってしまっている。


「私から話せるのはこのくらいかしら。多分、他の子も同じくらいの情報しかないと思うけど……そうね、何かしら耳に入ったら連絡するわ。……良い、迅クン?」


「別にかまへんよ、連絡先交換くらい。俺はそこまで束縛が強い方やあらへんからな」


「5人と付き合ってるんだから、束縛なんか出来るわけないものね」


「うぐぅっ!? ……まぁそういうことやな、おっぱいちゃん!」


 したり顔のジンさんをチクリと刺すエリカちゃん。

 まぁでも、確かに自分は良くて相手はダメってなるとちょっと……ダサいよね。

 今回はただの仕事に関連した連絡先交換なんだし。


「それじゃあ、携帯貸して……はい。これが私の番号。情報が入ったら電話を掛けるか、メッセージを飛ばすから」


「あ、はい。協力ありがとうございます」


 見れば電話帳に楓さんの名前。

 亜麻色の髪に整った容貌、赤いナイトドレスは胸元が大きく開いている。

 別に下心もないし、ビジネスな理由での連絡先交換ではあるが……よもや僕の人生でこんな高級クラブのホステスさんと個人的に連絡先を交換することになるなんてなぁ。


「ほんで、俺とも連絡先交換や。そもそも自己紹介も思えばしとらんかったしな。俺はファン 迅一ジンイー、まっ色々よろしゅうな新人クン。……これで彼氏公認の連絡先交換や!」


「気にしてないみたいなこと言っといて、結局気にしてるじゃない。ちっさ……」


「は、ははっ、よろしくお願いします」


 隣から聞こえてくるエリカちゃんの小声の悪態を気にしないようにしつつも、お礼を言う。

 まぁ、僕個人は彼に嫌な目に遭わされてはいないからな……。


「居酒屋で助けたのと今日の一連の流れで貸し2やで? どっかで返してくれや……あ、そや。あともいっこ。楓ちゃん、メモ用紙あるぅ?」


「ええ、当然あるわ。どうぞ」


「あんがとさん」


 指を二本立てて揶揄うように笑ってたジンさんは、思い立ったかのように楓さんから手渡されたメモ用紙にペンを走らせる。

 そして僕にちぎって渡す。


「セセラが手配した仕事仲間……最後の一人の電話番号や。もしかしたら、何か既に有用な情報持っとるかもしれんやろ? それにさっさと顔合わせしといた方が話も早いやろ」


「確か……ジンさんがギャルちゃんって呼んでた人、ですかね?」


「そーそ。まっ、明るい子やし、話しやすいんちゃう? ……あ、もしかしたら新人クンは苦手かもしれへんけど、それはまぁ俺は知らんっちゅーことで」


 メモ用紙には電話番号らしき数字の羅列。

 そしてその電話番号に添えるように、パルミラ・ラドヴィッチの文字が書かれていた。

 北欧系の名前だ……。




 ◇




 日の落ちた豊島はどこか独特な雰囲気を醸し出している。

 観光客がうろつくであろう屋台街やホテルの暖かな光とは対照的に、メインストリートを少し外れるだけで周りの住居から住人の目線が向けられる。

 この街では中国系のコミュニティ……言うなれば同胞たちの結束が強い分、それ以外の人々への警戒度は高い。

 こういうところ、マフィアのお膝元って感じがするよね。


 とはいえ、こういうある種の管理社会的な側面があるからこそ豊島の治安は他の地域と比べると良いんだろうけど。


 あの後店の外に出ると、ジンさんと楓さんは僕らに声援を送って、そのままホテル街の方へと歩いて行った

 そもそもジンさんから言わせると、こちらが先約だからだとか。

 エリカちゃんに詰められて、明日から色々仕事に取り掛かるって言っていたから心配はしてないけど……。


 いや、やっぱり心配だな。

 割と、ジンさん……ああして話しただけでもちょっとだらしのないところがある人だってわかったし。

 ……いや、でもこうしている間にセックスしていると考えるとちょっとエリカちゃんの気持ちもわかるかも。

 まっ、僕の場合はモテない男の嫉妬なんだけどねっ!!


「はぁ……色々思うところあるけど、離れられて清々したわね。それで、どうする? もうすぐ夜だし、ご飯でも……くしゅん!!」


「大丈夫? まぁ……なんか冷えて来たよね」


 陽が落ちたことで辺りの気温は下がってる。

 そんな状況で着ている服は露出度の高いスパンコールドレスのみ。

 そら身体冷えるわ……。


 それにしても……。


「あの、さ……そろそろ首輪も外したら?」


 エリカちゃんの首には黒々とした首輪がまだ残ってる。

 さっき店の中に入っている途中に、リードが邪魔で歩きにくいからとリードだけ外していたが、そろそろ首輪も外していいんじゃないかと思う。

 付けてる理由はないし……それに周りの目も気になるっていうか。


「えっ!? こ、これはその……く、首に何か巻いていると温かい、から? 今は別に外さなくても……いいわ」


「いや、それ首輪でしょ? 防寒機能そんなにないはずだけど……寒くてそれ巻きっぱにしたいくらいなら、それこそどっかで羽織るものでも買った方が良いんじゃないの?」


 ただの革のベルトだ……これを付けて少しでも防寒をって言うのはちょっと無理があると思う。

 なんだか肌もちょっと赤くなってるし、やっぱり何かは羽織れる物を買った方が良いんじゃ……。

 いや、でもなぁ……。


 エリカちゃんはもちろんお金を持ってないだろう。

 そして僕はこの後、僕とエリカちゃんの分の交通費が掛かってしまう。

 そこからシンジュクから自分の家に移動するのにもお金がかかるわけでしょ?

 加えて、衣類はそこそこ高い……それこそ顔札くらいは必要だ。

 そして夕食代のことも考えると……そこまでの出費は、僕も避けたいところではあった。


「い、良いの! このくらいの寒さ……アタシ、慣れてるもの! 風が吹いてないだけマシよ!」


 そりゃいつも寒空の下、寝てるだろうからね……。

 胸を張ってしたり顔で高らかに言うエリカちゃん。

 ダメだ……見てるだけで世知辛くて涙が出そうだ。


 とりあえず衣類のことは別としても、何か即席で身体を温められる物はないか……?

 周りを見回せば、自動販売機が淡く光を放っている。


 見てみれば、ちゃんと温かい飲み物もある。

 コーヒー……は飲めないかもだから、コーンポタージュで良いか。

 クズ銭を入れて、自動販売機の光に集まった羽虫を刺激しない程度にボタンを押して、コーンポタージュを買う。

 僕はコーヒーを飲みたいので、そっちで。


「はい、とりあえずこれで身体、温めようよ」


「あ……アンゴ、その……ありがとう」


 僕から缶を受け取ると、エリカちゃんはおずおずとした様子でプルタップを開けて飲み始める。

 両手で持ってる様がリスみたいで、可愛らしかった。

 一口飲んでフーっと息を吐いたのを確認したら、僕もコーヒーに口を付ける。


 ぼんやりとした苦みを感じながらも、ホッと一息吐く。


 ……僕が考えた作戦、見当違いにも程があったな。

 ナイトクラブに入ってみて、実際に感じたのは僕がリアリティ側だと信じていたいかがわしいことしているナイトクラブ像が所謂フィクションの脚色が多分につけられたものであるということ。


 そりゃ、いかがわしいことはしてるだろうが……少なくとも調教師なんかは必要としてない雰囲気だった。

 それなのにあんなガバガバな作戦やって……あの強面のガードマンも下手すれば実力行使で追い出すなんてことをやる人たちだったし。


 それに、楓さんとジンさんが来てくれなかったから情報なんて追い返されて終わりだったはずだ。

 そんなガバガバな作戦に隣の幼い少女を付き合わせてしまった。

 今更ながら……申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「エリカちゃん、ごめん……あんな作戦に付き合わせちゃって。楓さんやジンさんが来なかったら、今ごろ何の情報も手に入らなくて途方に暮れてたと思う。それに、あんな格好させちゃったし……」


「……そうねっ! 雌犬のフリしてずっと前は見えないし、な……なんか、いっぱい怒鳴られるし♡ む……胸とか叩かれたりするしっ♡ 結局、聞いてた話とお店の中ちょっと違ってたしで散々よ!」


「そう、だね……本当、ごめん」


 ……エリカちゃんの、言うとおりだ。

 そもそも新人なのに、なにを出張ってるんだろう僕は。

 ほんと、合わせる顔がないっていうか……。


「でも、アタシとアンタ二人で意見出し合ってそうするって決めたことではあるでしょ?」


「え……?」


 申し訳なさから伏せてた顔を上げる。

 横のエリカちゃんを見ると、笑みを浮かべていた。


「アンタの提案をアタシは考えた上で了承した。要は二人で考えてやったことでしょ? それが上手くいかなかったのなら、それはアンタだけじゃなくて、アタシにも落ち度があったってだけ。そうでしょ?」


「いや、でも……」


「そもそも、あの時のアタシたちが取れる行動なんてそうはなかったわ。それこそ、アンタの提案してくれた作戦くらい。お金もないアタシたちが最大限出来ることをやった……アタシはそう思ってる」


「エリカちゃん……」


「次は、もっとうまくやりましょ? アタシとアンタで。 次は先輩としてアタシが良い案出してやるんだからっ!」


「……うん、そうだね。ありがとう」


 力強くそう言うと、エリカちゃんは胸を張る。

 なんていうか、これまで先輩風を吹かすえりかちゃんを見ていたが、今の彼女は一番頼もしかった。

 なにせ、今僕はその姿に励まされてるのだから。

 やっぱり、エリカちゃんも頼もしい先輩なんだなって。


 その言葉に報いたい。

 それこそ、こんな子を今日も寒空の下寝かせるのは間違ってるだろう。


 とはいえ、今の僕にはホテル代なんてあげられない。

 それこそ、豊島に来てるのに屋台飯の出費すら躊躇うくらいなんだから。

 ならば、僕に出来ることなど一つしかない。


「それで、そのご飯……なんだけど、あのこんなこと言った手前言いづらいんだけど……」


「ご飯代出して欲しいってことでしょ? ただ交通費のこととか考えると屋台飯でお金を使うのは正直避けたいんだよね……」


 屋台飯は屋台によってマチマチだ。

 昼ならば住んでる人向けに安く出してる店が多いとはいえ、今の時間は夕食を探しにホテルから出た観光客向けの価格のお店だってたくさんある。


 それに、あまり遅くに地下鉄を使いたくない。

 いくら豊島が治安が良いとはいえ、地下鉄はそれ以外の地域も経由してる。

 時間が遅くなればなるほど車内の治安は悪化するだろう。


「そ、そうよね……それじゃあ、どうしよ――」


「だから僕がご飯を振舞ってあげよう。ペペロンチーノなら安くうまく作れる自信があるんだ」


「へっ!? ご飯振舞うって……えっっ!? それって……」


「うん、僕の家に来れば良いじゃん。ベッドもそっちが好きに使っていい、今日は色々教えてもらってお世話になったからね」


 うんうん、これなら交通費とちょこっと食材をコンビニで買い足すだけで済む。

 それに目の前の少女が寒空の下、眠るというシチュエーションは避けられるはずだ。

 別にベッドじゃなくても良い。

 これでも土日はゲームをする為に夜更かしして、カーペットの上で寝るなんてことは割とやっていることだ。


 それに、ペペロンチーノ……オイルパスタ系はマジで自信があるんだ。

 こだわりはオリーブオイルでニンニクを炒めながら、キャベツと蛸にベーコン。

 そしていい具合のタイミングで醤油とバターを入れて、ゆで汁を入れて乳化させる。

 材料自体も冷蔵庫で小分けにして冷凍保存も聞く、一人暮らしの生活の知恵飯だな。


「……いきなりどういうつもり?」


 彼女は警戒した様子で自分の身体を抱いて縮こまる。

 向けられるジト目。

 ……そっか、考えてみればそうだ。


 こんな露出度の高い恰好をして、これまでも性的なセクハラを受けてきたんだ。

 それが男……それも僕のような男に家に来るように誘われているんだ。

 そんな反応をされるのも、無理はないだろう。

 僕は純粋に良かれと思って、なんとかしたくて言ってるんだけど……。

 いや、そんなのエリカちゃんには知ったこっちゃないか。


「いや、僕はそういうつもりじゃなくて……僕の方もお金がいっぱい持ってるってわけでもないから。ほら、エリカちゃん寒空の下寝るのは慣れてるって言ったじゃない? ご飯を買うお金だって――」


「……それって、アタシに同情したってこと? 憐れんだって……可哀想だって思ったってことかしら?」


 ……言ってしまえばそうだ。

 けれど、そんな言葉を今の彼女に言えるはずがない。


 彼女は視線を伏せる。

 そして、顔を上げたかと思えば僕に睨むかのように視線を向けた。

 いや、これは睨んでるわけじゃない……どちらかと言えば涙目の子供が意地を張ってるような表情だ。


 ……やっぱり、現状に思うところはあるのだろう。

 それこそ令嬢から、今や路上生活者。

 露出度の高い服着て、身体触らせてお金を稼いでいるのだってみじめで本当はやりたくないって言ってたじゃないか。


 僕だって、徒に彼女の内に残ったプライドを傷つけたいわけじゃない。

 怒らせたいわけじゃないんだ。

 どうすれば良い……正直、自信はない。

 けども、僕の外聞とかそういうのを全部取っ払えば性欲でも同情でもないって納得してもらえるはずだ。


「……違うよ、僕が今こうしてキミを誘ってるのは自分のためなんだ?」


「……自分の、ため?」


「うん……あー、う~ん。……恥ずかしいけど、はっきり言わせてもらうね。僕は……そのっ、寂しいんだよ! 誰かと一緒にご飯を食べたいのっ!!」


「……へ?」


 僕の言葉を聞いて、目を丸くするエリカちゃん。

 今だっっっ!!!!


「今日お昼ご飯を食べた時、分かったんだ! 誰かと食べることの楽しさを! トウキョウで一人暮らししてて、ずっと一人で食べるご飯に寂しさを覚えていたんだ! 僕はキミと……他人と食卓を囲める。そしてエリカちゃんは寝食を得られる……どうかな!?」


「そ、それはこちらとしても助かるけど……」


「だよね!? どう?」


「……わかった、お邪魔するわ。にしても、年上のあなたから寂しいって言われるなんてね。ふ~~~ん? 結構可愛いところあるじゃない」


 エリカちゃんはニマニマと笑う。

 うーん、なんともメスガキみ溢れる。

 でもさっきみたいに凹んでるよりも、今の方が良い。


「それじゃ、善は急げよっ! どこかの寂しんぼの為に急いで地下鉄へと向かいましょ?」


「あ、ちょっと待って!」


「……むぅ、なによ。ま、まさかその気にさせといて今更やっぱなしって言うつもりじゃないわよね……!?」


「いや、そういうことじゃないよ。」


「ううん、そういうことじゃないよ。ただ、一応明日向かうかもだし挨拶もしときたいから一回電話しときたいんだよね。」


「……勝手にすれば? 別に後悔するのはアンタなんだし」


「は、はは……後悔とかはしたくないんだけど。それじゃあ掛けるね」


 パルミラさんの携帯に電話を掛ける。

 するとすぐに数コールでつながる。


「はい、もしもし……」


『ぉっ、 フーッ❤ フーッ❤ 誰……?❤』


 電話越しの声はどこか息が荒い。

 運動でもしてるんだろうか?


「あの、僕セセラさんから手配されました新人でーー」


『あっ❤ ちょ、今電話ちゅ……お゛っ❤ ヤッッべ❤ これヤッベ❤ ヤベ❤ ヤベ❤ ヤベッッッ❤❤ あ゛ーヤバいこれ❤ あ、あじだ、あじだ話ぞ、ぉぉおおおおお❤❤❤ あー、イグ❤ イグイグイグイグ❤❤❤ イッーーーー』


 電話が切れた。

 え……え??


「どうだった? どうせ、下品なノリしてるんでしょ?」


「あぁ……いや、まぁ。……なんか手を離せないみたいだったから、明日話すことになったよ」


「ふーん、あんなすぐ電話切れたのに? まぁ、いいわ……そ、それより急ぎましょうよ。あ、アンタの……家に」


 下品なノリどころか、オホ声が聞こえたんだが。

 アレ確実に電話先でおっぱじめてたよね?

 ……うおおお、明日話すって考えるとすっごい気まずい。


 改めて言うと恥ずかしいのか顔を赤くするエリカちゃん。

 可愛らしいが……今はさっきの電話のことで、いっぱいいっぱいだ。

 既に明日のことが思いやられるが、……まぁ、今はどうしようもない。


 出来れば、ギャルはギャルでもオタクに優しいギャルが来ること祈ってよう。

 そういうギャルキャラは大抵遊んでるように見えて身持ちが固いので、今の時点で大分望み薄だけど。


 そんなことを考えつつも、エリカちゃんと共に地下鉄へと向かうのだった。

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