第2話
休日、ルディは暮らしに必要な物資を買いに中層の市場へ向かっていた。
「通行権の購入に必要な時間がまた増えたな……」
腕の簡易端末を見つめながら呟く。
上層への通行権は膨大な時間が必要で、それはつまり自由の差を意味していた。
買い物袋を両手に、さてそろそろ帰ろうかと関所に向かうと、反対側で揉めている様子が見えた。
騒ぎの中心には、黒い兎耳。
興味をおぼえて野次馬を決め込むと、
「――身分証? そんな面倒なものは持ち歩いていない」
「ならここを通すことはできませんね」
「ふざけるな、私は上層の住民だぞ」
「でしたら証明していただかないと」
「だから――」
その時、男のマントが翻った。彼が銀色に光るスパナを身につけているのが、ルディの目に入った。
「なあ! そいつ神官さんじゃねえか?」
ルディが声をかけると、署員と男が同時にこちらを見た。
「神官ではない、修理師――」
「なんと、これは失礼しました。神殿に確認してまいります」
署員も男のスパナを認めると、態度を翻して事務所へと引き下がる。
ややあって「ヘリウス・グラウディウス様、大変申し訳ございません。どうぞお通りくださいませ」と署員が彼を恭しく通した。
関所を通ってきたヘリウスは、ルディを一瞥して街中へ去ろうとする。
「あ、おい、ちょっと待ってくれよ」
ルディは思わず、引き止めてしまった。
「何か?」
ヘリウスは表情を変えずに振り返った。
特に理由もなく引き止めてしまったルディは、どぎまぎしながら答える。
「あ、その、あの……あ! あんた修理師って言ってたよな! 修理師ってなんだ? 神官とは違うのか?」
さっき耳にした言葉を、とりあえず反復してみせると、意外なことにヘリウスは饒舌に答えた。
「神殿所属ではある点は同じだが、私は他の神官のように人々の標準時計の調整をしているわけではない」
「へえ……?」
首を傾げるルディに、ヘリウスが厳かに告げる。
「私は、大時計の修理と調整を担っている」
聞いたこともない職業だったが、言われてみればそういった役割があってもおかしくはなかった。
「なるほど……って、大時計は信仰対象だろ? 修理とか、そんなこと喋って大丈夫なのかよ」
「別に。大時計が止まれば、この世界も止まる。考えてみればわかること」
ヘリウスはこともなげに言う。
思ったよりもスケールの大きい話に、ルディは目を見張った。
「マジかよ……あんた、世界の要じゃねえか」
「楽しいものではないがね。使命だから、そうするだけだ」
話していると、ヘリウスはルディの手首の端末を指差した。
「……下層民にしては、随分、貯め込んでいるな」
「ああ……見ちゃった? 俺、最上層行きたくてさ」
「それはまた何故」
「姉ちゃんが……“聖女”なんだ」
「ふむ」
ヘリウスが目を細める。
「あんたは知ってるかもしれないが、聖女とは名ばかりの、貴族たちの時間浪費の犠牲者だ」
ルディは怒りに目を伏せながら、語る。
「時間を吸い出され、美しいまま時を止められた展示物。あいつは、まるで氷の彫刻みたいに……」
ヘリウスは冷たく光るルディの瞳をじっと見つめ、ぽつりと言った。
「それを救い出したいのか?」
「そうだけど……」
ルディはため息をつき、うつむいた。
「正直、どうしたらいいかまだわからないんだ」
「いい方法がある」
「へ?」
ルディが顔を上げると、ヘリウスは少し微笑みを浮かべながら、兎耳を下げて言った。
「最上部のエネルギー・コアで、時間の逆流を起こすんだ」
そう言った彼の目には、どこか静かな諦めが宿っていた。
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