第2話 頼れる大人


 私が目を覚ましたあと、先生や看護師さんたちは慌ただしく私の周りを動き回っていた。


 主治医の鈴風先生は、意識がなかった間に緊急手術をしたこと、しばらくはこの部屋から出られないことを、静かな声で教えてくれた。


 現実味のない話にただ頷いた。


(なんか、体が痛くなってきた…)


 意識がはっきりしてくるにつれて、体のあちこちが鈍く痛み始める。それなのに、下半身には痛みが全くない。それどころか、感覚すらない。

 痛くないのはいいことのはずなのに、得体の知れない恐怖が足元から這い上がってくる。


「体痛い? ちょっと待っててね」


(先生はエスパーか何かなの…?)


 私が何も言わずとも、それに気づいた先生が、点滴に何かを注射してくれた。


「少し眠くなる薬だからね」


 その言葉通り、急速に意識が遠のいていく。

 最後に見たのは、心配そうに私を覗き込む先生の顔だった。

 



◇◆◇◆


 それからPICU小児集中治療室で過ごした日々は、あっという間のようで、永遠のように長かった。


 薬のせいか意識はいつもぼんやりとしていて、覚えているのは、たくさんの大人たちが代わる代わるやってきては、私の体に触れていったことだけ。

 

 ご飯も、お風呂も、トイレも、全部自分ではできない。ベッドから起き上がることすら許されない。

 日に日に、自分が自分じゃない何かになっていくような感覚に、精神が少しずつ削られていくのがわかった。



「うぇ…っ、げほっ、ごほっ…!」


 夜中にうなされては吐いた。

 あのときのお父さんのぐしゃぐしゃになった姿が、フラッシュバックして頭から離れてくれない。

 お母さんの顔も赤かった、お姉ちゃんは起きなかった、ももちゃんは泣き叫んでいた。


 みんな死んだのかな。


「っは、はぁっ、はっ…」

柚華ゆずかちゃん落ち着いて、大丈夫だからね。ゆっくり深呼吸しようか」


 口に広がる酸っぱい味と、自分の情けなさに涙が滲む。モニターの電子音だけが鳴り響くこの部屋で、私は迷惑をかけることしかできない。

 ごめんなさい、ごめんなさい…。





◇ ◇



 そんな地獄のような日々に、光が差したのはあの日からちょうど1週間ほどたった頃だった。


「ゆずちゃーん! 会いたかったよー!」


 目の前で、ウーパールーパーみたいに人懐こい笑顔を向けているのは、理学療法士りがくりょうほうし宮崎秋みやざき あき先生。「アッキー」っていう愛称がぴったりの、太陽みたいな人だ。

 ブラウンの髪を高い位置でお団子に緩くまとめている先生は、ギャルっぽさが滲み出ているけど、本人に指摘しても「え"っ、いやぁ…ないない!」と、絶対に認めてくれない。


「アッキーうるさい。柚華ゆずかちゃんは私に会いたかったんだもんね」

「えー嘘だぁ」


 もう1人は、作業療法士さぎょうりょうほうし森雫もり しずく先生。

 長く艶やかな黒髪をクリップで留めた、泣きぼくろの似合う大人な雰囲気の先生だ。


 どうやら女の子に人気らしく、アッキー先生が「ずるーい! 私も人気になりたーい!」って羨ましげに嘆いていた。

 私が思わず「アッキー先生のことも皆んな大好きですよ」って口にしたら、その日から私の方が大好きアピールをされるようになってしまって、毎日ちょっと恥ずかしい。


 この2人、見た目だけなら正反対で、森先生が厳しそうに見えるんだけど、これが意外とそうでもなくて、2人は緩さが不思議と噛み合っていて仲良しらしい。

 

 この2人の存在が、地獄だと思っていた私の日々に、少しずつ彩りを取り戻してくれていた。


「あ、そうだ。これあげたかったんだ」

「お! ウーパールーパーじゃん!」


 森先生がポケットから取り出したのは、ウーパールーパーのキーホルダーだった。この前、私が「ウーパールーパーかわいいよね」と何気なく言ったのを覚えててくれたのだろうか。

 もしそうなら…じんわりと胸の奥があたたかくなる。


(この、ニコニコした顔……)


 キーホルダーを見つめていると、数ヶ月前の記憶が蘇る。あの時も、お父さんと一緒にウーパールーパーの動画を見て、二人で可愛いねって笑い合ったんだっけ。

 「今度、家族みんなでペットショップに見に行こうか」──そう約束した、大好きだったお父さんの笑顔。あの約束は、もう叶わないのかな。

 

 嬉しいのに、なぜか涙が出そうになる。


「……ありがとう、森先生」


 ハッとして、慌てて下手くそな笑顔を作る。

 泣いたら森先生に勘違いされちゃう。必死に涙を堪えた。


「ウーパールーパーかわいいよね」


 森先生が、私の気持ちを察したように優しい声で言った。


「うん。ニコニコしてる顔がかわいい」

「…えへへ」

「アッキーのことじゃないからね」


 アッキー先生が照れ笑いを浮かべると、森先生がすかさず突っ込む。  

 以前、アッキー先生の笑顔がウーパールーパーに似てると言ったのを、二人はまだ覚えているらしい。

 

 二人が言い合っているのを見ていると、張り詰めていた心がフッと軽くなる。優しい二人の笑顔が、じわじわと私をあたためてくれた。


「…先生たちと話してると、楽しい。だから…ありがとう。えっと…このキーホルダー大切にするね」


 恥ずかしいけど、ちゃんと言葉にした。

 伝えたいことは、伝えることができるうちに伝えないといけないから。


 顔を上げると、先生たちが顔を手で覆って何かをぶつぶつ呟いていた。


(私変なこと言っちゃったのかな…?)







 

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