君の隣を歩きたい
豚姫
第1話 破滅の日
──どこまでも突き抜けるような青空が広がっていた。
だからだろうか。今日はきっと、いい一日になる。何の理由もなく、そう確信していた。
ゴールデンウィークの初日。
心地よいエンジンの振動に揺られながら、私たちの家族を乗せた車は、旅行先の静岡を目指して高速道路を走っていく。窓の外では、見慣れない景色がすごい速さで流れていった。
後部座席の中央という、少しだけ窮屈な定位置で身体をもぞもぞさせていると、隣に座る姉の
「ゆず、あとで席交換する?」
「ううん、大丈夫。お姉ちゃんの肩があるから」
「えーずるい! ももちゃんも入れて!!」
右隣のお姉ちゃんの肩に頭を預けると、妹の
本当に寂しがりやで甘えん坊さんなんだから。そんな可愛い妹のことを、お姉ちゃんである私は無視できない。
「ももちゃんは私に寄りかかる?」
「うん!!」
「…もう。それじゃあゆずが寄りかかれないじゃない」
お姉ちゃんの、少しだけ咎めるような視線がこちらに注がれる。
う…いいんだもん。私だって、たまにはお姉ちゃんに思いっきり甘えるし。その時は、桃香みたいに「ずるい!」って言って、その腕の中に飛び込むんだ。
…でも、その時、お姉ちゃんは誰の腕の中に飛び込むんだろう。
ぐるぐると頭を悩ませて、そして、ぴこんと閃いた。わかった…! 私が、お姉ちゃんを甘えさせてあげればいいんだ!
だって私もお姉ちゃんなんだもん!
「お姉ちゃんも、私の肩使っていいよ!」
「え、いや私はゆずのお姉ちゃんだし…」
「もーそういうのいいから!」
ぐいっとお姉ちゃんの頭を私の肩に乗せるが、思ったようにいかない。
ああ、そっかお姉ちゃん私より背高いもんね。これ逆に首痛いかもしれないなぁ。これじゃ、お姉ちゃんを甘えさせる作戦失敗だよ…。
「…お姉ちゃん、首痛くない?」
「痛くないわ。…それに、たまにはこういうのも悪くないかも」
「ほ、ほんと?」
ぐっと右肩の重みが増す。私からお姉ちゃんの顔は見えないけど、声がいつもより明るくて私も嬉しくなる。
えへへ、作戦は最高かも!
「ははっ、仲良いなお前たち。まだ結構時間かかるから寝ててもいいぞ」
「ふぁーい」
寝てもいいって言われるとすごい眠くなってきた。ももはもう寝かけてるし、私も寝ようかなぁ。
「もう。ゆずまた夜更かししたでしょ。ほら、お父さんの言うとおり寝ときなさい」
「むぅ…はぁい」
そのとおりなんだけどなんだか叱られたみたいで、不貞腐れた顔で頷く。そんな私の足を、お姉ちゃんが優しくポンポンと叩いてくれる。
幼い子供を寝かしつけてるような、そのリズムに私はすっかり安心してしまった。
だから、私は安心して目をとじた。
そのときだった。
「─っ、なんだあの車っ!?」
お父さんの大きな声にびっくりして目が醒める。隣の綾佳お姉ちゃんは不安そうな顔で前方を見つめていた。
なに、あれ?
一方通行の真っ直ぐしか走っちゃいけない道を、向こう側から走ってくる車がある。ふらふらした軌道なのに、ものすごい勢いでこにらに迫ってきている。
「くそっ、みんなどこかに掴まっ…」
お父さんがなるべく近づかないように、ハンドルを切ったとき、突然こちらを向いた大きな車が突進してきた。
「きゃあああああ!!!」
誰かの声がした。
その瞬間、車は轟音とともに押しつぶされる。ガラス片は飛び散り、身体が勢いよく前に放り出されそうになる。びきりと、身体が痺れるような痛みが全身に走った。
ガタガタと車が横転して、私の体はぶらりと横に浮かされる。3点式のシートベルトがなんとか私の体を支えてくれたが、それももうちぎれそうだった。
薄れる意識の中、視界がじわりと赤く染まっていく。ふっと意識を失いかけた時に、だれかの泣き叫ぶ声が聞こえた。
「うわあああん!!!」
上から聞こえる声。
ああ、ももちゃんだ。生きてたんだ、よかった。誰の声も聞こえないから、みんな死んじゃったかもしれないと思ってた。
怪我しちゃったのかな、はやくここから出して病院に連れて行ってあげないと。
「おねえ、ちゃん、おきて。みんなで…ここから出ないと……」
私の下で目を瞑ったまま動かない綾佳お姉ちゃん。どうしよう、お姉ちゃんもすごく痛くて動けないんだ。じゃあ、お父さんとお母さんは──?
「おとうさ」
運転席の方にいるはずのお父さんに声をかけようとして、喉が引き攣った。
お父さんの身体が変な方向に曲がって、血まみれだったからだ。ぐしゃぐしゃで、人の形を保っていないお父さん。
あんなに優しかったお父さんからの返事はもう返ってこなかった。
「お母さんっ! おきて、おとうさんがっ、おとうさんがっ…!」
パニックになった私は助手席に声をかけた。隣で泣き叫ぶももの声が私をさらに焦らせる。
お母さんならなんとかしてくれるかもしれないと、喉が張り裂けそうなほど必死に声をあげた。
「お母さんっ!おかあさっ、おきてっ!いやっ、いやだっ…はっ、はっ、ひゅっ…!」
やだ、なんで。
お母さんもお父さんも返事してくれない。お姉ちゃんは目を瞑ったままだし、ももはまだ泣き叫んでいる。
ああ、頭がクラクラする。あれ、私もこんなに血が出てたんだ。
ダメだ、もう何も考えられない。考えたくない。
モヤがかかったように全ての感覚が遠ざかっていく。ももの声も聞こえなくなってきた、全身の痛みもどこか遠くへ感じる。
真っ暗になってく意識に私は身を委ねた。もう、どうしようもない。全てを諦めた私は投げやりに目をとじた。
◇ ◇ ◇
ピッ、ピッ、という単調な機械の音で意識がゆっくりと浮上する。視界にぼんやりと映る白い天井と、消毒液のツンとした匂いが、ここが病院なのだと教えてくれた。
(…そうだ、事故…)
途切れ途切れの映像みたいに、あの瞬間の記憶が蘇る。目から涙が静かにこぼれ落ちた。
「…柚華ちゃん? 気がついたんだ。よかった」
すぐそばから優しい声がした。
見ると、看護師さんが私の顔を心配そうに覗き込んでいる。頬を伝う生ぬるい涙を、温かい布でそっと拭ってくれた。
「大丈夫、大丈夫だよ。怖かったね。ここは病院だから、もう安全だからね」
安心させるような看護師さんの声を聞きながらも、私の頭は家族のことでいっぱいだった。みんな無事なの?桃香は?聞きたいことはたくさんあった。しかし、カラカラの喉からは声が出ない。
「先生、今呼んでくるからね。その前に、少しだけ頑張れるかな。私の手、ぎゅって握ってみて」
言われた通り、目の前に差し出された手を握る。腕には点滴が繋がれ、右手には包帯が巻かれていたけれど、ちゃんと力が入った。
「上手だね。…じゃあ、今度は足の指を少しだけ動かせる?」
その言葉に、私は頷いて足先に意識を集中させる。
動かそう、と思う。
でも、毛布の先にあるはずの私の足は、まるで自分のものではないみたいに、何の感覚もない。力を込めようとしても、脳からの命令が届いていないかのように、ピクリともしなかった。
(…なんで?)
どうしよう、というパニックが体を支配する直前、ガラガラと戸が開いた。
白衣を着たお医者さんだった。お医者さんは、私のベッドサイドにあるモニターの数字を静かに確認してから、私の顔を覗き込んだ。
「
その優しい声に、私の目からはまた涙が溢れる。先生の優しい声と慈愛に満ちた表情が、お母さんによく似ていたから。
「ここは
先生の言葉はほとんど頭に入ってこなかったけど、私は小さく頷いた。
先生たちはお母さんたちがどうなったのか知っているんだろう。
でも、私に何も言わなかった。
それが何を意味しているのか、怖くて私に聞くことはできない。ただ、涙を流すしかなかった。
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