第5話 自分の機嫌を自分で取れるのが大人というものである。

 転機が訪れるのは約四百五十年前の事。


 大陸のはるか南、ルアント山脈の麓に住まう少数民族ヤアル族の一団がセルベニア王国を訪れ"ザ・ウォール"調査の許可を願い出た。


 すでにそれについて興味を失っていた王室は軽くあしらうつもりだったのか、調査結果の報告義務だけを申し付けてあっさりと許可を与えた。

 どうせ何も分かりはしない--。

 そうタカをくくっていたのかも知れない。


 かくしてヤアル族による調査が始まった。この時セルベニア王国より監督役として派遣された王室付き文官の記録によれば、ヤアル族の一団は脇目も振らず"門"へと向かい、調査というよりは何か儀式めいた作業を始めたのだという。


 『全身を覆うフード付きのローブを纏った祭司と思しき数名のヤアル族が、煌くように光を反射する粉を振りまきながら門の前で円陣を組み、聞き覚えのない言葉をまるで呪文のように唱和していた』と記されている。


 やがてその身なりから身分の高さが伺える一人が一際大きな声で呪文を唱えながら門に触れた。

 その刹那、大地は鳴動し"壁"全体にも異変が起きた。地響きを轟かせ土煙を上げながら、まるで時間を早送りにしたように壁が"風化"し始めたのだ。


 土煙がようやく晴れると門は開け放たれ中には広大な廃墟が広がり、その彼方に天高く聳える巨大な塔がその存在を誇示していたと言う。

 かくして門は開き、現在"帰り路の塔"と我々が呼ぶ、未知なる土地の開拓史が幕をあけるのである。


 著:ヨアヒム・チューダー『"帰り路の塔"開拓史にまつわる諸々』より抜粋





 つくづく運に見放されたもんだ。

 そう心中でボヤきながらヨアヒムはむくれっ面の少女と対面していた。


 銀色の綺麗な髪、それよりもやや深い色をした。狼のような大きな耳。

 同じ色の大きな尻尾を華奢な体の向こうで不機嫌に揺らすこの少女が、どうやらヨアヒムの妹弟子にあたるらしい。


 ヨアヒムの記念すべき兄弟子デビューの瞬間は、件の妹弟子に青白く燐光を放つ不思議な巨狼をけしかけられて逃げ惑うという酷く情けない形で終わってしまった。


 その音色を聴いた物の五感を狂わせる"幻惑"の魔法のかかった魔法具マギア。獣用に調整されたそれをヨアヒムは“獣除けの鈴”と呼んでいた。


 それは探索の際の備えに道具袋に忍ばせてある物だったが、巨狼から逃げ回る最中、それが転がり落ちたのは本当に偶然だった。

 そうでなければ、今頃はもっと酷い目にあっていたかもしれない。


 ヨアヒムの"獣除けの鈴"は師であるグラハムが制作した物を真似て作ったレプリカだ。

 グラハム作のホンモノであれば、その音色を聞いた獣を少しの間なら意のままに操れる程の優れものだ。

 レプリカ、と言うよりは劣化コピー品のヨアヒムのそれにそこまでの力はない。

 音色を聞いた獣が少しの間混乱し目標を見失うだけだ。それでも難を避けるには十分なので探索に出る時は、腰ベルトに繋いだ幾つもある道具袋の一つに忍ばせていた。


 逃げ回る最中背後から飛びかかられ、背負った荷袋や外套をボロボロにされた挙句、地面を転げ回ったときに道具袋からたまたま転げ落ちたのが例の鈴だったのだ。

 音色を聞いた巨狼は酔っ払ったようにフラフラとした足取りで妹弟子の元に帰りなんとか事なきを得た。


 --迫り来る巨狼に対して冷静に腰袋から"獣慣らしの鈴"を取り出し難なく対処した。


 --とかだったら、兄弟子の威厳も示せたのだろうが。実際にはそんな経緯だからひどく情けない有様でなんともバツが悪かった。

 ヨアヒムは己の凡庸さを呪いながらテーブルの向かいから膨れっ面でこちらを睨んでいる妹弟子に、なんと声をかけたものかと頭を抱える。


「そろそろ口効いてくれないかな?」


 そう控えめに切り出してみる。対する妹弟子はフイッと無言のままそっぽを向いただけだった。

 お互いに第一印象は最悪なのだ、最初から上手くいくはずが無い。

 前向きに問題点を見極め解消していくしか無いのだ。


 ヨアヒムが知る限りの情報を整理するならば、妹弟子は師匠への悪口と巨狼のエンバと言ったか、彼(彼女?)に例の鈴を使った事にひどくご立腹のようだ。


 出来れば兄弟子として、せめて対等な立場から関係を構築したかったが、現状はそれを許しそうに無い。

 ともかく下手に出てでも会話を成立させなければ話が進まない。


 --落ち着け、相手はどう見ても十歳前後の子供だ。先に謝って関係修復のきっかけを作ってやるのが大人の余裕ってもんだ。


 ヨアヒムはなんとか自分の気持ちを立て直す。

 釈然としない気持ちが無いでは無い。が、無理やり自分に言い聞かせると、わざとらしくゴホンと咳払いをし姿勢を正して話しかける。


「さっきの事は俺も悪かった。師匠への悪口を言うつもりは無かったんだ。強いて言うなら自分の置かれてる状況に悪態をつきたかっただけで、なんと言うかまぁ八つ当たりだ。それで気分を悪くしたのなら謝るよ、この通り」


 ヨアヒムは両手を膝の上に置いて頭を下げる。

 ちらっと妹弟子を伺うと、相変わらずそっぽを向いたままだが片耳がピクピクとこちらを向いている。完全に無視されているわけでは無いらしい。ここは畳み掛けるしか無い。


「鈴を使ったのもいきなり襲われたからで、少し目を回しただけで実害は無かったろ? もう何ともないはずだ」


 とエンバという名らしい巨狼をチラリと見やる。

 巨狼は視線が合うや否やわざとらしく顔をそむけ、ヨアヒムの話に興味がないとでもいうように燐光を散らして宙にかき消えた。

 折れそうになる心をなんとか建て直してヨアヒムは言葉をつづける。


「大事な話があってわざわざ来たんだ。冷静にきちんと話し合おう……」


 ヨアヒムがそう言い終わる前に、妹弟子はそっぽを向いたまま口を開き、ヨアヒムの言葉を遮った。


「リーシャは知らない人とお話ししないの。ししょーがそうしなさいって言ったから絶対なの」


 ーーそこからなのか……。


 ヨアヒムは思わずがっくりと肩を落とす。務めてにこやかに作っていた表情が引き攣るのを感じた。


 --いやいや、前向きに考えろ。


 ヨアヒムは挫けそうになる心に鞭打って、大きく深呼吸してから姿勢を正した。

 『知らない人とは話さない』それはつまり、身元が明らかな相手となら話してやっても良いという意思表示とも受け取れる。

 また一つ咳払いを前置きに、ヨアヒムは話しかけ始めた。


「わかった。じゃぁ改めて自己紹介からやり直そう」


 務めて落ち着いて、柔らかい語調を心がけ、ゆっくりと話す。


「俺はヨアヒム、ヨアヒム・チューダー。君と同じ"巨匠マエストロ″グラハム・エィンズロックを師に頂く八番目の子弟で、君の兄弟子という事になる。君は俺を知らないかもしれないが、俺は君を知ってる。これに書いてあったからね」


 ヨアヒムはキシュードから受け取った自分宛の書簡を、傍に置いた荷袋のポケットから取り出すと妹弟子に差し出す。

 そう、ヨアヒムは彼女の事を情報としては知っていた。と言っても知ったのはわずか二日前だが。


"巨匠マエストロ″グラハムの養い子にして九番目の弟子。フォルマ族のリーシャ・エィンズロック。

 それが彼女だ。


 年の頃については触れられていなかったので自分より若いだろうとは予想していたが、十を数えるかどうかという少女だったのは想定の外だった。


「師匠から俺宛の書簡だ。これが証拠になると良いんだけど。あ、字は読めるよね?」


 いつの間にやら真っ直ぐヨアヒムの目を見て話を聞いていたリーシャは、意外にもあっさりと差し出した書簡を手に取った。


「あ、ししょーの字だ……」


 書簡を開き文面を見た瞬間、わずかにリーシャの表情がほころんだような気がした。

 字が読めるか? という問いはどうやら蛇足だったようだ。

 リーシャは小さな手で器用にスクロールをするすると開きながら読み進んでいく。


「そこにも書いてあるけど、師匠の留守中新しい弟子の面倒を見るように"言いつけ"られて来たんだ。」


 ヨアヒムは"言いつけ"というフレーズをやや強調して話した。自分がここに来たのは師匠の意思であると言外に含めるためだ。

 読むのに集中しているのか時折耳をピクリと動かすだけだったリーシャだが、書簡を一気に読み終えると小さく息をつく。


「ヨアヒム・チューダー……ヨアヒム、どこかで……」


 ヨアヒムは目の前の妹弟子の小さな口が自分の名が何度も繰り返すのを聞いた。

 だが、呼ばれたのでは無いと言うのは雰囲気ですぐにわかる。

 リーシャは小声でなにか呟きながら小首を傾げ、何か思い出そうと記憶の糸を手繰っているようにみえた。

 そんなリーシャの様子を、ヨアヒムは結果を急がず待つ事にした。


 しばしの沈黙の後、あっ! っと声を上げたリーシャは、何か思い出したように奥の書斎に駆け出す。途中振り返って確認される。


「あなたがヨアヒム・チューダー?」


 そう名乗ったばかりなのにこの質問だ。ヨアヒムは質問の真意を計りかねた。だが黙って頷く事で返事とした。


「まってて」


 そう言い残すとリーシャは席を立ち書斎に入っていった。

 奥の書斎から何やら探し物をしているらしき物音が聞こえてくる。

 高い位置の書物を取るための梯子を架け替える音や踏み台を動かす音。

 やがて「あった!」とリーシャの声が聞こえると声の主が書斎から顔を出す。


 彼女の腕の中には書籍と言うには粗末な、どちらかといえば紐で端を束ねてかろうじて書籍の体を成していると言った様相の紙の束が抱えられていた。

 ヨアヒムはその紙の束が何であるかすぐに思い当たる。

 ……というよりも見覚えのあるものだった。

 どちらかといえば忘れたい物と言ったほうが良いかもしれない。


「これ! これを書いた人でしょ? 著:ヨアヒム・チューダーって書いてる!」


「えっと……うん、まぁ……そうだね」


 何故か興奮気味で、目を輝かせたリーシャがすぐそばまで来てヨアヒムを見上げる。

 その視線から逃げるように、ヨアヒムは明後日の方向を向き頬を掻きながら歯切れの悪い肯定をした。

 横目に見るとリーシャの抱えた紙束の粗末な表紙には『"帰り路の塔"開拓史にまつわる諸々 著:ヨアヒム・チューダー』とある。


 それはヨアヒムが五年ほど前に書いた論文の草案だった。

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