さらばピジョンスター
大電流磁
さらばピジョンスター
「先生、私、鳩の筋肉に惚れ込みまして……なんとか、あの大胸筋を手に入れたい!」
東都大学スポーツ工学部教授、バイオミミクリー研究室の扉を押し開けて現れたのは、全身がみっちりと鍛えられた筋肉を有する異様な男だった。分厚い胸板は、Tシャツがはち切れんばかりに盛り上がり、まさに肉の塊。
その表情は曇りのひとつもなくテカテカと輝き、明るい笑顔を周囲に放っていた。
その存在感に、細面の鳥居教授は研究資料から顔を上げ、目をぱちくりとさせた。
「君は?」
「はい!私は、プロレスのリングで戦っております、鳩山サブローと申します」
「土産物菓子だか昔の政治家みたいな名前だね」
鳥居は、その突飛な自己紹介にも眉一つ動かさず、むしろ興味深げにサブローの異常に発達した大胸筋を観察していた。研究者特有の、対象への純粋な好奇心がその視線にはあった。
「はい!鳩サブレーにはシンパシーを持って、日々バリバリ食しております。」
「鳩、何故鳩を?」鳥居の視線はサブローの胸から離れなかった。
「『鳩胸』って言葉があるじゃないですか、何故『鷹胸』でも『鷲胸』でもなく鳩なんだろう、そんな疑問から始まりました。鳩が追われたときの離脱反応速度、それを見て尋常ではないと。あの力を私が手に入れることはできまいか」
「うむ、良いところに気づいたね。鳩の胸筋は、体重の四割を占める。こんな鳥は他にいない。だが人間がその領域までいけるかどうか、それは単なる筋肉増強とは違う次元の話になる。我々の研究は、生体の最適な構造を工学的に模倣し、機能性を引き出すこと。まさに君の着眼点と合致する。」
鳥居はそう言うと、傍らのデスクから奇妙な黒い箱を取り出した。
「まあちょっと、私が趣味で作った道具がある。これを装着してみるかね。」
それは、従来のEMS(神経筋電気刺激療法)の常識を覆す、小型化されたデバイスが組み込まれた特殊なゲルシートだった。パルス幅10μsecのパルスを周波数50Hzで発振させるという、まさに次世代の筋肉刺激装置。
鳩山の大胸筋を見て、鳥居はその出力を、一般人の5倍に設定した。
そして、鳩山の大胸筋全体を覆うように、薄膜のゲルシートが準備された。
見た目は透明だが、微細な回路が肉眼では見えないほど複雑に張り巡らされている。
「これを装着して生活したまえ、電源はUSBのモバイルバッテリーで構わない。ただし、予期せぬ変化が起きても、全ては君の責任だ。
何しろこれは、『鳩胸育成装置(プロトタイプ)』だからね」
「ありがとうございます!」鳩山は震える声で答えた。
しばらくして、格闘技界に、謎のマスクマンが登場する。
その名も「ピジョンスター」
彼は新人にも関わらず、古参の強豪を次々と破る。
「鳩野郎!」様々な強敵との戦いが組まれた。
ピジョンスターの動きはその巨体に似合わず、攻撃の殆どを身軽に素早くかわす。
よしんばヒットしたとて、鍛え抜かれた鳩胸の大胸筋は、どんな相手の攻撃も受け止めた。
さらにその大胸筋を駆使して放たれるボディプレスは一撃で相手の戦闘力を奪った。
俺が奴を食ってやるよ!
満を持してチャンピオンのマスクマン、アイアンホークが吠える。
アイアンホークはピジョンスターの身長を遥かに超えた体躯を有する超ヘビー級のファイターだった。
カアン!
ゴングが鳴り、ホークがピジョンスターと組み合う
ホークとピジョンの手がガッチリと合わさり、力比べだ。
互いの筋肉がフルフルと震える。
体格に勝るホークであるが、ピジョンの強大な筋力に押し込まれる。
たまらずホークがピジョンに、頭突きをくらわせた。
ピジョンは体を離す。
ホークが己が指につけた金属の爪でピジョンの大胸筋に赤い三本の筋をつけた。
反則だ!しかしレフェリーはこれを無視した。
興行主はホークに勝たせる算段だ。
ホークは爪についた血をペロリと舐め、ピジョンに迫る。
ピジョンはホークの爪による襲撃をかわしつつ、致命的なダメージを回避し続けていた。
しかし手足に多くの傷が深く加えられ、流血で徐々にその体力は削られていった。
コーナーに追い詰められた血まみれのピジョンに、ホークの両手が迫る。
その時、ピジョンは上空に飛んだ。
ピジョンは両腕に翼を生やし、羽ばたき、ホークの届かぬ上空にいた。
呆然とピジョンを見上げる、観客とホークとレフェリー。
ピジョンは上空でニヤリと笑い、ホークと目を合わせた。
ホークも来いよと笑い返す。
ピジョンスターは羽ばたきをやめ、上空からホークに対し、超高度からのボディプレスを敢行する。
「受け切ってやる!」
ホークの咆哮がアリーナに響き渡る。
しかしその強烈な大胸筋によるフライング・ボディプレスは、ホークをマットに叩きつけるどころか、その衝撃でリングのキャンバスを引き裂き、床下の空間へとホークを叩き落としてしまった。
カンカンカン!
ゴングが鳴る。
呆然とリングに空いた大穴を見下ろす観客とレフェリー。
大穴から羽ばたき空中を優雅に旋回するピジョンスター。
「飛行なんて反則負けだ! 早く降りてこい!」
レフェリーが叫ぶが、ピジョンスターはまるで聞こえていないかのように、アリーナの照明に群がる虫を追いかけ始め、ついにはアリーナの巨大な換気扇の隙間から外へ飛び出してしまった。
彼の血染めのマスクは、リングに空いた穴の脇に落ちていた。
試合の結果は、ピジョンスターの反則負けであった。
その夜から、都市の上空には、夜景を背に羽ばたく巨大な影が、たまに「ポッポー!」と鳴きながら飛ぶのが見かけられたという。
その後、鳩山サブロー…いや、「ピジョンスター」の姿を見た者は、誰もいない。
さらばピジョンスター 大電流磁 @Daidenryuji
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