第5話 忘れられた約束

「急流に呑まれて足がつかなくなった時、あなたは掴んでいた花を放り投げて、私にこう言いました。『私を忘れないで』と。 でも――あなたは再びその花に固執し、私を忘れてしまったのです」


 その言葉に、僕は愕然とした。


 本当に――僕はセレナとの記憶を、忘れていたのだろうか?

 胸に残っていたのは、彼女の“美しさ”を描きとめたいという使命だけだった。


 けれど今、その“使命”が何を意味していたのか、ようやく理解し始めていた。


「セレナ……僕は、君を忘れたかったわけじゃない。

 ただ、君の美しさを、永遠にこの世に残したかっただけなんだ」


 セレナは悲しげに微笑んだ。


「エリオス……あなたの愛は、自分自身に向けられたものでした。

 私は、あなたの最後の願いを、忘れたことはありません」


 僕の愛は、彼女ではなく――僕自身に向けられていた。


 セレナにそう告げられ、僕は涙を流しながら目を覚ました。


 ルークも、同じことを言っていた。

 僕はいつも自分ばかりを見ていて、家族にも、誰かを本当に愛したことなどなかったのだと。


 もしかすると、セレナとは前世で出会っていたのかもしれない。


 僕は彼女に恋をして、彼女の瞳のような花を摘もうとした。

 だが足を滑らせ、川に呑まれたその瞬間――願ってしまった。


『私を忘れないで』と。


 ずっと想っていて。

 誰のものにもならないで。

 私だけのあなたでいて――と。

 命をかけて、愛する人に“呪い”をかけた。


 ああ、セレナ。

 僕のミューズ。心から愛した人。


 けれど僕は、君の幸せを願うことができなかった。

 ただ、僕のために、そこにいてほしかったのだ。


 過去も、今も、これからも。

 君が泣いても。君が不幸でも。


 どうか――僕を、忘れないでほしい。

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