第七話
「いつまで礼をしている。さっさと起きろ。そなたの仕事の話をする」
儀礼通りの作法に則った春狼を、俊麗はばっさりと否定する。
似合わないことをしてみせたにもかかわらず、あまりの態度に春狼の顔はぴきりと固まる。相手が皇族でなければ怒鳴り散らしていたにちがいない。
「まずはその取り繕った態度をやめろ」
俊麗は心底いやそうな顔をして言った。
「というと?」
春狼は再び敷布へ座り直しながら問う。
「そなたは教育係に対して、乱雑な口調だと聞いた。我と李の前では、素の態度で構わない。上辺だけ繕われるのは気持ちが悪い」
「……分かった」
春狼は俊麗の中にある、他人を信用できないという根深い疑心を感じながら、余計な言葉は紡がずに肯定だけを返した。
淡々と話は移り、燈子宮内の麗華殿の造りについて言及される。建物の地図が文机に広げられた。
「覚えろ」
菫花庁に比べて複雑な経路図を指して、俊麗は問答無用に言った。春狼が地図に目を滑らせている間にも俊麗の説明は続く。
敷地の広さの割に、生活している者は限られている。主人である俊麗はもちろんのこと、滞在が許されているのは、筆頭従者の李。そして新たに、菫の春狼が加えられる。
外部の宦官が食事を用意し、掃除をするための決まった時間以外、殿舎内はほぼ三人だけであると言う。宦官が麗華殿にやってくる時間帯以外は、基本的に殿舎を自由に闊歩していい。その代わりに、呼びだしの鐘を鳴らしたらすぐに来い、と言い放たれる。
春狼が頷いたのを確認してから、俊麗は寝台の奥から木箱を取りだした。入っていたのは鋼よりも透き通った色の食器類だった。
「これは……?」
「銀は特定の毒物に反応する。この瓶の中に毒が入っている。事前に反応の変化を確認しておけ」
春狼は初めて銀を見た。銀は貴重な金属とされる。菫花部で行われる毒味の訓練でも、銀食器が使用されたことはなかった。
「我と李、そしてそなたの食事すべてを確認しろ。我の立ち合いの元で検査をし、安全なものを食すように」
通常の菫と同じ毒味の役。菫を道具として非情に扱う反面、唯一の従者とも言える李の毒味をも指示されたことに、春狼は若干の戸惑いを感じる。
――今の時点で使える人材がいなくなるのを危惧してか? それとも、それ以外にも意味があるのか?
疑問を抱えながらも、春狼の中に墓穴を掘りたくないという思いが勝ち、またしても喉奥に飲みこむことにした。
「今までの検査は誰が?」
俊麗は今まで一人も菫を指名していない。指定の毒見役がいないのだ。幼い頃は後宮で母親である妃から派遣された毒味役がいただろう。それもおそらく芳妃の亡くなる一年前までだ。
検査用の器具を机に並べながら、俊麗はさらりと答える。
「宦官を無作為に選出して行っていた。毒を取りいれて苦しみ悶えた者もいたし、中には自分の用意した毒で死んでいく者もいた」
人の死を、冷淡なほどあっさりと連ねる。見方を変えると、それだけ俊麗自身に幾度も毒殺の危険があったということだ。
俊麗は検査器具の使用方法を教えていく。春狼は難なくそれらを頭に入れていった。
すべての器具の説明を終えて、俊麗は「箱に戻せ」と言い捨てる。取りだす作業を見ていた春狼は、迷うことなく指定の場所に返した。それを当たり前だというように、俊麗は次の指示を出す。
「我は今まで通り、外では口がきけない振りをする。そなたはそれに振り回されている演技をしろ」
「分かった」
即座に了承をする春狼に対して、俊麗は初めて目つきを変えた。
「なんだ?」
体のうちまで観察するような、鋭くも、ささやかな好奇心が浮かんだ顔をする。すぐにその色はなくなり、無関心な冷えた表情に変わる。
「いや、意外に思っただけだ。菫花部での態度をうかがうに、もっと反抗してくるかと思っていた」
わざと逆撫でるかのような台詞に、春狼は腹立たしくなった。非難するのは簡単だ。吐き捨てて終わらせてしまいたいが、理性を働かせて耐える。
「さすがに皇子様には気を遣う。それぐらいの知性はあるさ」
「ふん」
春狼の我慢虚しく、俊麗は一気に関心がなくなった返事をする。
春狼は早くも彼との契約を打ち切ってしまいたかった。しかし、自由という対価があるため、愛想のいい笑顔を貼りつけ続けた。
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