第11話:近(ちか)くにいても、心(こころ)は遠(とお)く

Kawaii Cafe(カワイイカフェ)はいつもより静(しず)かだった。

雨(あめ)が続(つづ)き、ジェー・プロイは「売上(うりあげ)が落(お)ちた」とぼやいていたが、店内(てんない)の空気(くうき)を変(か)えたのは天気(てんき)ではなかった。

それは──カナとティーの間(あいだ)に流(なが)れる、目(め)に見(み)えない“距離(きょり)”。

 

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🎬 カナの側(がわ):広(ひろ)がる新(あたら)しい世界(せかい)

 

雨(あめ)の日(ひ)の出来事(できごと)の後(あと)、カナはピムの誘(さそ)いを受(う)け、スクンビットのスタジオで初(はつ)のファッション撮影(さつえい)を行(おこな)った。

それをティーには話(はな)していなかったが、SNSに載(の)った写真(しゃしん)で、ジェー・プロイとモクは気(き)づいた。

 

やがて、カナはタイにある日本(にほん)のオンラインマガジンの表紙(ひょうし)に登場(とうじょう)し、インタビュー番組(ばんぐみ)にも呼(よ)ばれるようになった。

彼女(かのじょ)は店(みせ)に来(く)る回数(かいすう)が減(へ)り、来(き)ても静(しず)かにラテアートの練習(れんしゅう)をして、すぐに帰(かえ)る日(ひ)が増(ふ)えた。

 

「カナさん、明日(あした)も練習(れんしゅう)に来(き)ますか?」モクが尋(たず)ねる。

「ごめんなさい… 明日(あした)はまた別(べつ)の広告撮影(こうこくさつえい)があります」

 

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📚 勉強(べんきょう)の側(がわ):卒業(そつぎょう)目前(もくぜん)の忙(いそが)しさ

 

同時(どうじ)に、カナは大学(だいがく)4年生(ねんせい)の最後(さいご)の学期(がっき)を迎(むか)えていた。

卒業論文(そつぎょうろんぶん)の提出(ていしゅつ)も迫(せま)り、彼女(かのじょ)は夜(よる)、図書館(としょかん)や静(しず)かなカフェで勉強(べんきょう)していた。

ティーは彼女(かのじょ)の忙(いそが)しさを理解(りかい)していた。

邪魔(じゃま)したくなかった。でも心(こころ)の奥(おく)では──

彼女(かのじょ)の世界(せかい)から、少(すこ)しずつ遠(とお)ざかっていく気(き)がしていた。

 

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🧥 セイヤ・メタ:追(お)えば、逃(に)げる光(ひかり)

 

メタはカフェに現(あらわ)れる回数(かいすう)が増(ふ)えた。

ジェー・プロイやモクへの贈(おく)り物(もの)を口実(こうじつ)にして、実際(じっさい)はカナに会(あ)いに来(き)ていた。

 

「カナちゃん、明日(あした)は撮影(さつえい)あるの? 送(おく)っていこうか?」

「大丈夫(だいじょうぶ)です。自分(じぶん)で行(い)ったほうが気楽(きらく)ですから」

「疲(つか)れてるなら、僕(ぼく)のオフィスで勉強(べんきょう)してもいいよ。トンローに静(しず)かな部屋(へや)があるんだ」

 

カナはいつものように、丁寧(ていねい)に微笑(ほほえ)みながらも、やんわりと断(ことわ)った。

彼女(かのじょ)は決(けっ)して冷(つめ)たくない。でも誰(だれ)に対(たい)しても、必要(ひつよう)以上(いじょう)に心(こころ)を開(ひら)くことはなかった。

 

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📦 ティー:どこか遠(とお)くなっていく君(きみ)

 

ある日(ひ)、ティーはアソークの高級(こうきゅう)コンドミニアムにコーヒーを配達(はいたつ)していた。

そこで偶然(ぐうぜん)、撮影(さつえい)チームの車(くるま)から降(お)りてくるカナの姿(すがた)を見(み)かける。

 

ノースリーブのトップス、ロングスカート、濃(こ)いメイク。

彼女(かのじょ)はいつもと違(ちが)う。

ティーは声(こえ)をかけなかった。

ただ、遠(とお)くから見(み)ているしかなかった。

 

その日の夕方(ゆうがた)、カフェに戻(もど)ったティーは、いつもより静(しず)かだった。

モクが尋(たず)ねる。

 

「カナちゃん…見(み)たの?」

ティーはうなずく。

「でも… 僕(ぼく)が知(し)ってるカナじゃなかった」

 

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📷 その夜(よる) カナの部屋(へや)にて

 

カナは撮影(さつえい)から帰(かえ)ってきた後(あと)、ベッドに座(すわ)って論文(ろんぶん)を開(ひら)いたが、目(め)が文字(もじ)を追(お)えなかった。

 

スマホを取(と)り、Kawaii Cafeでティーと一緒(いっしょ)に撮(と)った写真(しゃしん)を見(み)る。

ミルクの泡(あわ)が頬(ほお)について笑(わら)い合(あ)った、あの日(ひ)の一枚(いちまい)。

 

そこへ通知(つうち)が入(はい)る。

 

「日本(にほん)のメディアに載(の)ったよ! ダイミョウ王家(おうけ)の姫(ひめ)が、タイでモデルに!? 有名(ゆうめい)になってきたね!」

 

その文字(もじ)を見(み)つめたカナは、表情(ひょうじょう)を曇(くも)らせる。

そしてつぶやいた。

 

「…もし王室(おうしつ)に知ら(し)れたら… どう思(おも)うのかな」

 

スマホを静(しず)かに置(お)き、目(め)を閉(と)じる。

ほほに、一粒(ひとつぶ)の涙(なみだ)が落(お)ちた。

 

「どうか…明日(あした)は、“好(す)き”と“あるべき姿(すがた)”を選(えら)ばなくていい日(ひ)でありますように…」

 

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📆 一ヶ月後(いっかげつご) 言(い)えなかった想(おも)い

 

カフェのドアベルが鳴(な)る。

試験(しけん)も終(お)わり、カナが店(みせ)に現(あらわ)れた。微笑(ほほえ)んでいるが、どこか切(せつ)ない目(め)をしていた。

 

「試験(しけん)、終(お)わったのかい? うちの姫(ひめ)さま」

 

ジェー・プロイの声(こえ)に、カナは小(ちい)さくうなずき、静(しず)かに口(くち)を開(ひら)いた。

 

「ジェー・プロイさん… 話(はな)したいことがあります」

 

「どうしたの?」

 

「実(じつ)は…家族(かぞく)から連絡(れんらく)が来(き)て、急(きゅう)に国(くに)に戻(もど)らなければならなくなりました」

 

モクが驚(おどろ)いて、手(て)を取(と)る。

「また会(あ)えるよね?」

 

「うん、絶対(ぜったい)に。また会(あ)おうね。モクは、私(わたし)にとって初(はじ)めての友達(ともだち)なんです」

 

ジェー・プロイは、静(しず)かにピンク色(いろ)の封筒(ふうとう)を差(さ)し出(だ)す。

 

「これはラテ無料券(むりょうけん)… 一生(いっしょう)分(ぶん)よ。戻(もど)ってきたら使(つか)ってね」

 

 

── そして、別(わか)れの夕方(ゆうがた)

 

カナはチュラ大(だい)の校舎前(こうしゃまえ)を歩(ある)き、散(ち)った花(はな)の下(した)でティーと再会(さいかい)する。

 

「試験(しけん)終(お)わったんだね?」

「はい…」

 

「忙(いそが)しいの終(お)わって、嬉(うれ)しい…でも、少(すこ)し寂(さび)しいかも」

 

「どうしてですか?」

「だって…まだ伝(つた)えてないこと、たくさんあるから」

 

カナは静(しず)かに言(い)った。

「私(わたし)… 帰国(きこく)が早(はや)まったんです」

 

ティーは驚(おどろ)いた顔(かお)を見(み)せたが、理由(りゆう)は聞(き)かず、ただ静(しず)かに言(い)った。

 

「そうなんだ… 急(きゅう)なんだね」

 

「はい… すみません」

 

しばしの沈黙(ちんもく)のあと、ティーが言(い)う。

「空港(くうこう)まで送(おく)ろうか?」

 

「いいえ、大丈夫(だいじょうぶ)です。お忙(いそが)しいでしょうし… ご迷惑(めいわく)かけたくありません」

 

「そっか… じゃあ、気(き)をつけてね」

 

本当(ほんとう)は、言(い)いたいことが山(やま)ほどあった。

でも、ティーが言(い)えたのはそれだけ。

 

「ありがとう… ティーさんは、本当(ほんとう)に優(やさ)しい人(ひと)です」

 

「君(きみ)と過(す)ごせて、幸(しあわ)せだった」

 

 

── その翌日(よくじつ)、文学部(ぶんがくぶ)の屋上(おくじょう)

 

メタがカナを待(ま)っていた。

カナが近(ちか)づくと、静(しず)かに微笑(ほほえ)みながら言(い)う。

 

「また…会(あ)えるかな?」

 

「メタさん、ありがとう。でも私は…国(くに)に帰(かえ)って、自分(じぶん)の道(みち)を歩(あゆ)まなきゃいけません」

 

メタは少(すこ)し黙(だま)ってから、うなずいた。

「分(わ)かった。ありがとう、素直(すなお)に話(はな)してくれて」

 

カナは最後(さいご)に軽(かる)く頭(あたま)を下(さ)げて言(い)った。

 

「出会(であ)えてよかったです、メタさん」

 

「…忘(わす)れないでね」

 

つづく

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