第5話 つれていく、つれていく

これは今から30年以上前の話。


伯父は長野県にある寺の住職だった。

私は高校2年の頃から大学卒業まで、ほぼ毎月、伯父の寺に泊りがけで遊びに行っていた。

伯父の寺に行けば、法要の手伝いでこずかいをもらったりできたし、伯父の孫たちと遊んだりすることが出来て、兄弟のいない私にとってはとても楽しい小旅行だったのである。


伯父の寺はかなり古く、開山は源平合戦の直後だという。

寺を開いたのは源平合戦にも登場した武士で、直系の子孫である伯父は、高齢と思えないくらいがっしりとした体格だった。


そうやってちょくちょく遊びに行っていると寺に出入りしている檀家さんや出入りの業者さんとも顔見知りになって「あ、名古屋の若さん来てたかい」と楽しく話すようになった。


出入りの業者さんの中にOさんという庭師のおじさんがいた。


本堂に隣接する自宅部分の庭はかなり広く、色んな植木や庭石、岩くらいに大きな石がいくつもあったので、結構な頻度で庭師の方が来て手入れをしていたのだ。


この庭師のOさんは、アフロみたいなパーマが特徴の50代後半の男性。

痩せて日焼けをしており前歯は抜けて話が少し聞きづらかったが、

いつもニコニコしており、伯父のことを「住職、住職」ととても慕っている感じだった。


Oさんはいつも朝から来ていて、仕事のあいまに伯父と伯母とお茶を飲んでは色んな話をしていた。

伯母のことも「かあちゃん、かあちゃん」と呼んでいたし、私がいるときもとても穏やかで名古屋の話を聞きたがったりした。


ある日の晩、私が「Oさんは楽しい人ですね。ああいう人は好きだな。」というと、伯父は少し笑いながら、「Oはね、若い時、侠客だったんだよ。今は大人しくしているけど、日本刀で一人か二人、ケガさせたか命を奪うことになった、と本人から聞いたことがあるよ。」と教えてくれた。

伯父は続けて、「Oは、早くに親を亡くしてね、知り合ってからは、私のことは親父のように、家内のことは母親のように慕っているんだ。」と自分の子供のことを話すように嬉しそうに語った。

伯母もにこやかに「あの子は純粋なのよね。とっても素直なのよ。」と話してくれた。

話を聞いても私はOさんがそんな乱暴なことをしていたとは想像がつかなかったし、今の彼が本当の姿なんだなと思っていたので怖さを感じることは無かった。


そんな話を聞いてからしばらく経ち、また伯父の寺に遊びに行ったときのこと。

その日は寺の境内に大きなトラックが停まっていた。

どうやら新しい「庭石」を搬入するところだったらしい。

庭ではOさんと初めて見る若い男性が二人ほど作業していた。私が寺に着いたときはもうすでに庭石は庭の端の方に置かれていた。

庭石と言ってもそれはかなり大きく、岩と言っても良いくらいの大きさだった。

高さは私の背丈ほど(私の身長は177cm)もあり、横幅はそれより少し長い感じで、どっしりとしていながらも妙に丸みのあるものだった。


Oさんは、縁側に座って庭を眺めている伯父に「住職、これ良いだろ。こんな石はなかなか無いんだよ。○○川から持って来たんだ。」と得意げに話していた。


伯父はOさんに「こんな大きな石はうちでも初めてだね。高いでしょ、いくらかね?」とOさんに値段を聞いたが、Oさんは「いやいや、これは住職に頼まれたわけじゃないし俺の気持ちだからお金はいらないよ。」と言って自慢げに腕を組んで笑って答えた。

Oさんは、私から見てもちょっと満足気な様子だった。


作業も終わり、Oさんは連れてきていた若い二人を呼び、伯父、伯母、私と一緒に庭の見える客間でお茶をすることになった。

Oさんが連れてきていたのは今日だけ頼んだお手伝いの男性と、数日前に知り合いから引き受けたという庭師見習いのKさんだった。

お手伝いの人は30代くらいのマッチョな方で、もう一人のKさんはまだ20代になったばかりといった、ちょっと地元のヤンキーっぽい若者だった。Kさんの見た目は、かなり派手な金髪で、無口だったが終始「かったるいなぁ」という態度で、私が感じた印象はあまり良くなかった。

20分ほどお茶を飲んで休憩すると、Oさんは「住職、かあちゃん、俺はこれで」といって道具を片付けて帰っていった。


Oさんを見送った伯父は、急に真顔になり、伯母に「おい、衣(ころも:法衣のこと)持ってきてくれや」と言った。

私が不思議そうにしているのを見て伯父はこういった。

「さっきOがあの岩を、○○川から持ってきたと言ったろう。あそこはな、昔から上流で鉄砲水や土砂崩れがおきているところで、下流の村も度々被害に会ってきた川なんだ。」

「川の氾濫は怖くてな、流されて溺れるだけじゃなく、大きな岩が流れてきた日にゃ、何人もそれに押し潰されたりして・・・何回も葬式をあげたことがあるが、ほとけさんはそりゃあ見るも無残なもんだったよ。大昔には村がまるまる無くなったってこともある。そんなところから小石ひとつ持ってきちゃだめなんだが、Oは知らなかったんだろうな・・・今度、ちゃんと教えとかなきゃいかん。」と厳しい表情で言った。

そうして、伯父は衣に着替えると、庭石の前で読経を始めた。


この一件のあと、私は大学受験も重なって、伯父の寺にはしばらく遊びに行けなかった。

大学に無事合格し、また伯父の寺へ遊びに行くようになったのは1年以上経ってからのことだった。


久しぶりに会った伯父は少し元気がない様子だった。原因はその日の夜にわかった。

伯父は夕飯のあと、お茶を飲みながら庭師のOさんの話をしてくれた。

「実はOは、あの庭石を持ってきた日、帰り道で交通事故を起こして亡くなってなぁ・・・」

ビックリする私を尻目に、伯父は淡々と話し続けた。

「Oはあの日、大きなトラックで来てたろ? Oは、帰る途中で先ずお手伝いの人を降ろして、それからK君を家まで送って行ったそうだ。」

「ここら辺は田んぼばかりで見通しだって良いのに、トラックは何故か道路から外れて田んぼに突っ込んだ。結局Oはハンドルとシートに首を挟まれて田んぼの中で窒息死したらしい。一緒に乗っていたK君は救急隊に助けられたんだが、下半身が挟まって、今じゃ右足が動かないようになってしまったらしい。」

「明日はちょうどOの1周忌なんだよ。」

伯父は話し終えるととても寂しそうな顔をした。伯母も思い出してつらそうな表情だった。

Oさんの1周忌法要は翌日の日曜日の午後から行われる予定だったが、私はどこか居心地が悪い気がして法要が始まる前に帰ることにした。伯父と伯母も「そうした方が良い」と言ってくれたので、「また来ます」と言ってその日は名古屋へ帰った。


それから数日が経ったある日、伯父から「来られるならすぐに来てほしい」と電話があった。

電話では詳しく話せないとのことだったので、私はその週の週末に伯父の元へ向かうことにした。


週末、寺に着いてすぐ伯父に何かあったのか尋ねたが、落ち着いてから話すよと言われたので実際に話を聞いたのは夜になってからだった。


夜になって伯父と伯母から聞いた話は二つ。


「K君が亡くなった」ということと、

「Oさんが来た」ということだった。


最初、私はよく理解できなかった。

どう説明したらよいのか・・・伯父から聞いた話は以下のようである。


まず、K君が亡くなったことについて。

伯父がK君のお父さんから話を聞いていた。


K君はやはり、もともと地元でやんちゃをしていた子だったらしい。

K君の父親は就職もしないK君の将来を案じて昔からの知り合いだったOさんに

庭師の見習いとして仕事を覚えさせることをお願いした。

K君はしぶしぶ、Oさんの元で働きだしたが、熱心に仕事をしようということも無く、

Oさんには度々怒られていたらしい。


あの交通事故にあった日、K君は右足首を粉砕骨折して、そのあと、うまく歩けなくなっていたようだ。リハビリも面倒がってあまり真剣にやっていなかったという。


そして、K君は事故の後、奇行が目立つようになった。

部屋で夜中に叫び声をあげたり、二階の自室から飛び出して階段を転げ落ちたりすることが何度かあったという。

そういったこともあって、K君の自宅の階段には新しく“手すり”が取り付けられた。


K君の死因は、階段からの転落によるものだった。


K君はOさんの1周忌の晩、深夜に半狂乱になって叫び声をあげて部屋から飛び出した。

叫び声とドタドタと階段を転げ落ちるような音を聞いたK君のお父さんが慌てて見に行くと、K君は階段の下で首が曲がった状態で倒れていた。

お父さんはK君が息をしていなかったのですぐに救急車を呼んだが、K君はそのまま息を吹き返すことはなかった。

搬送された病院では、解剖はしなかったが、希望するなら死後のCTを自費で行ってくれるということだったのでお願いしたところ、K君は首の骨が折れていたわけではなく、首自体グニャっと折れ曲がって、気管を塞いでしまい結果的に窒息死した、ということだった。

医師は、「首に強い力が加わったのに骨が折れず、気道が塞がっただけなんて、とても珍しいことだ」と困惑していたらしい。


K君の事故に関してお父さんが不審に思ったのは、深夜に声を上げて部屋を飛び出すことは今までもたまにあったが、階段に手すりを付けてからは転げ落ちることはなくなっていた。それなのに何故、今回は手すりをつかまなかったんだろう、ということだった。


伯父のもうひとつの話は、「Oさんが来た」ということである。

この話については伯母も、伯父と共に経験していた。


伯父の話では、「Oさんが来た」のは2回。

1回目は、Oさんが亡くなった日の夜。

2回目は、K君が亡くなった日の夜である。


1回目の出来事は伯父も伯母も同時に体験していた。


その日、伯父と伯母はお風呂を済ませ、台所のテーブルでお茶を飲んでいた。

もう寝ようかとTVを切ったと同時に、玄関から「住職~、住職~」と男性の呼ぶ声がしたので、二人で顔を見合わせ、伯母が「あれあれ、(玄関を)締め忘れてましたかねぇ、こんな時間に誰ですかね」と言い、「はいな、はいな~」と大きく返事しながら出て行ったが、玄関は閉まったままで、誰もいなかった。


声は二人で確かにはっきり聞いたので不思議に思ったが、寺をやっているとたまにそういうことを経験するため、あまり気にはしなかったという。

ただ、床にはいる時、ふと思い返すと「住職~、住職~」という言い方と声がOさんそっくりだったのが二人を嫌な気持ちにさせた。


その翌朝、檀家さんからOさんの事故の知らせを聞いたので、伯父たちは亡くなったOさんが、「自分たちに最期の挨拶に来たんだねぇ」と寂しい気持ちながら、妙に納得した。


2回目は伯父だけが体験したこと。

これはもっとしっかりとOさんとわかるものだった。

それはOさんの1周忌の夜、Kさんが亡くなった日の夜のこと。


Oさんの1周忌を執り行ったその夜、伯母は疲れがあったのか、先に床に就いた。

伯父はOさんを思いながら書斎で書き物をしていた。

最初は気付かなかったが、なにやら玄関から「住職~、住職~」という声が聞こえた気がした。

書斎と玄関はかなり離れていて、玄関の人の声が届くことなどないのだが、その時伯父は特に不思議に思わなかったらしい。

慌てるでもなく、玄関に向かった伯父は、Oさんが玄関に立っているのを見た。

Oさんは最後に見た時と同じ作業着姿で少し下を向いてぼーっと立ち尽くしており、伯父の方を見てはいなかった。

伯父は怖いと感じることもなく、Oさんに近付いていった。

Oさんは伯父が近付くと、独り言でもつぶやくようにゆっくりと話し始めた。


「住職・・・俺は・・・持ってきちゃいけないものを持ってきたぁ・・・

俺が連れていかれるのは・・・仕方なかったよ・・・

あいつはぁ・・・若いから連れて行かせないようにたのんだ・・・でも、あいつはやっちゃいかんことをしたんだとよ・・・だから・・・今度は腕一本で勘弁してもらえるようにたのんだよ・・・」


Oさんがそう言ったのを聞いたところで伯父は記憶が途切れた。

気が付いたら朝になっており、伯父は書斎の机に突っ伏して眠っていた。

当然、Oさんのことは夢だと思ったが、その後、K君が亡くなったのを知って、

あれは本当にあったんだな、と確信したという。


伯父は一通り話すと私にしみじみと、「Oは、あいつなりに若いK君を護ろうと思ったんだな、自分の若い頃を重ねていたのかもしれない。」と言った。

「私に会いに来た時も、腕がどうのと言っていたが、ケジメをつければ彼らに許してもらえると思ったんだろう。でもそれが結局K君を救うことにはならなかった。」

「K君のお父さんに聞いて全部つながったよ・・・K君は、Oに腕を持っていかれたから階段から落ちる時、手すりを掴めなかったんだろう・・・」


伯父は、突然、普段見せないような険しい顔になり、

「あの石には近付くなよ・・・」とだけ言った。


すべては、「庭のあの石」が引き起こしたことだった。

伯父の読経も何の効力も無かったのか・・・


翌日の朝、私が乗るタクシーを伯母と二人で待っているとき、伯母が少し声を落として話し始めた。


「○○ちゃん(私の名前)、K君のこと、伯父ちゃんにも話してないことがあるのよ。」

「あの石が来た日、お茶をする前にあの子、石におしっこかけてたの。庭の角だからわからないと思ったのかしら、ムシャクシャしてたのかしらね?」

「良くないことだから、注意しようと思って近付いていったら・・・」

伯母は少しだまってから、また話し出した。

「見間違いだと思ったんだけど・・・あの石の下から青白いペラペラしたものがフワフワ~って何枚も伸びてきて、K君に絡まったの。K君は何も気付いていないようだったけど、私には何人もの“平べったいヒト”のように見えたわ・・・」

「とても怖くて怖くて・・・すぐに住職がお経を上げてくれたから、すごく安心してたのに・・・」


私は短く「そうですか」としか言えなかった。伯母はそれ以上は何も言わなかった。

誰かに話すことで、少しは胸のつかえが取れるのを期待したのかもしれない。


あれからかなり経って、伯父も伯母も亡くなり、今、その寺は私のいとこ(伯父の息子さん)の代になっているが、たまに泊まりに行くと例の石を少し離れたところから無意識に眺めていることがある。

でも、決して近付こうとは思わない。


近くで見たわけではないので、気のせいかもしれないが、

その石の置かれた地面だけは、いつもぐっしょりと、濡れたように湿っているのである。

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