第4話 みそかさま

一昨年、父が他界した。

79歳で、本人も納得した最期だったと思う。


父の生家は九州の片田舎にある寺で、海と山に挟まれたとても小さな集落にある。

母も同じ村の人間であり、私は小さい頃、数年ごとの里帰りで田舎に連れて行ってもらえて、とても楽しく過ごした。

田舎に帰ると私たち家族(両親、姉と私の4人)は、母の実家に泊まることが多かった。

父の実家である寺は、父の兄が継いでいたが、兄弟仲が悪いわけではないのに父は寺には泊まりたがらなかった。

後に母親に聞くと、単に「(父の)居心地が悪かった」のだそうだ。


父の田舎はかなり離れているので、しばらく遺骨は自宅に置いておくことにした。

私の住む地域では全骨収骨ではないので、骨壺はすごくコンパクトで小さい。

仕事が忙しくない時期にでも、ゆっくり田舎に行き、父の実家の寺にある納骨堂に納めることにしようと思っていた。


父は田舎が大好きで、若い頃はよく自分の子供の頃の話をしてくれた。

川や海、山で遊んだこと、兄とタコを取ったとか、カラスを育てていたとか、失敗談や面白

話を目を輝かせながら活き活きとしゃべっていたのを今も思い出す。

不思議だったのは、その話のどこにも「友達」を思わせる登場人物が一人も出てこなかったことだ。


父の子供の頃の話に「友達」を感じさせるエピソードがないわけではなかったが、具体的に「○○というやつがさ」とか「あの時、△△がこうやって」とかいう言い回しは一度も聞いたことがなかった。


両親とも同郷で、しかも母は父とはひとつ下なだけだったので、母は父の小さい頃のことをよく知っていた。

小さな村では、「寺の息子」というだけで “有名”になるのは普通の事なのである。


母から聞いたところ、父には仲の良い数人の友達がいたらしい。

父を中心として“いつもの悪ガキ”たちは、決まって一緒に行動しており、いろんないたずらをしたり、海や川や山を駆け回って遊び尽くしていたらしい。


父が子供の頃の友達について、何故、意識的に話を避けているのかわからなかったが、

私が中学生くらいの時に、こんなことがあった。


家には子供の頃から、近所に住む母の弟(叔父さん)がよく来ていた。

叔父さんといっても、僕ら姉弟は少し年の離れたお兄ちゃんといった感じでよく遊んでもらっていた。

ある正月、その叔父さんも家に来て一緒に過ごしていた時、

叔父が父に「義兄さん、サトルさんとこの弟さん結婚したみたいだよ」と話し出した。

すると父は怪訝な顔で「え?誰?」と答えた。

「義兄さん、サトルさんだよ、サトルさん。義兄さんとよく遊んでたじゃない。」

叔父がそう話しても、父は首をひねるだけで一向に思い出す気配がなかった。

叔父は「義兄さん忘れたの?中学生の時に脚を悪くして車椅子に乗ってたサトルさんだよ。」とまで言い、それを聞いた母も「ああ、△△くん結婚したんだ。お兄さんの世話をよくやっていたもんね、良かったわ。」と話に入ってきた。

叔父は母が思い出したので、話の続きは母にして、父のリアクションは気にしなくなっていた。


近くでそのやり取りを見ていた私は、父がいつまでたっても思い出した感じじゃないことを不思議に思った。


自分が遊んだことは、とても細かく覚えていて、田舎のことは記憶も鮮明だったのに何で友達のことは思い出さないんだろう。

その時の父の様子がちょっと不思議だった私は、叔父が帰った後、母にその友達のことを聞いてみた。

すると、母からは意外な話が聞けた。


<母から聞いた話>


父のいたずら仲間は、小学生の頃から村では有名だった。

その仲間は父を入れて全部で5人。

母が言うには、学校の女の子たちは、彼らを毛嫌いしていたようだ。

小学生の男子女子の関係とはいつも変わらないものである。


ただ、彼らは、他人をいじめるとか、人の家に悪さをするとかはしておらず、

単に勉強嫌いで、学校から帰ると夕方遅くまで遊び惚けている、というレベルのものだった。

学校をさぼっていたわけでもないので、全然「いたずら」という感じでもないのだが、まじめな田舎の人間にはそう映ったのだろう。


とにかく、田舎の人間からは遊び惚けて見られていた“悪ガキたち5人”の状況は、

ある時から、一気に変わってしまった。


彼らが中学生最後の年、そのいたずら仲間に幸運なことと不幸なことが立て続けに起こった。


一人の子は、自宅の土地が国道建設にかかり、家にまとまったお金が入ることになったが、翌週、海に軽石(その地域では火山灰で出来た大小の軽石が波打ち際に流れ着く)を拾いに行った母親が、高波にさらわれて行方知れずになった。


一人の子は、全国書道コンクールで内閣総理大臣賞を獲ったが、受賞式の帰り道に交通事故に会い、利き腕がぐちゃぐちゃになり、結局、切断することになってしまった。


一人の子は、県の陸上競技で代表に選ばれたが、翌月、帰宅中に落石に会いケガをして、両脚に麻痺が残り歩けなくなってしまった。


一人の子は、父親が村で初めての食堂を海沿いの高台の上に開業したが、開業して数日のある朝、高台の食堂が、併設していた自宅と共に全焼した。家人5人の生存はついに確認できなかったが、不思議なことに焼け跡からは誰の遺体もみつからなかった。そのため村では「夜逃げじゃないか」と噂が立った。


特に何もなかったのは、父だけだった。


そして、母親がいなくなった子は東北の親戚に引き取られ、利き腕を切断した子は大病院のある都会に引っ越していったので、いたずら仲間で村に残ったのは、市内の高校へと進学した父と、脚を悪くして車椅子生活になった子の二人だけだったという。


偶然にしては出来過ぎた、異様に不幸が続く話だなと感じたが、母は作り話をしない人だし、別の機会に叔父にも聞いたが内容は同じだった。


話を聞いたその時の私は「そんなに嫌なことが仲間に続いたら、話したくないよな」と、父が話したがらないことに納得した。


しかし、それが後に全く違うということが、父の遺品整理をしているときに分かった。


父の遺品は多くなかった。


趣味で描いていた水彩画のスケッチブックや、生前よく読んでいた時代物の小説(〇平犯科帳と〇客商売が特に好きだった)、戦争ものの日本映画DVD・・・

その中に古びた手帳が1冊まぎれていた。

手帳は文庫本サイズで表紙もない。全体的にちょっと黄ばんでいた。

手帳を開くと、中には一枚の色褪せたモノクロ写真が挟んであった。

写真には、父の面影がある子供を中心に、5人の子供たちが写っていた。


子供たちはみな上半身裸で、陽に焼けた感じで黒光りしており、半ズボンで片手に釣り竿やバケツを持っていた。

みんな、くしゃくしゃの笑顔で写っている。

とても幸せそうな写真だった。

私は直観的に「あの5人だ」と思った。

やはり父は「友達」を忘れていなかったのだと、私は思った。


しかし、写真が挟まれたページに書かれた言葉を見て、思考が一瞬停止した。


写真が挟まっていたページには、殴り書きのように大きく


「だれだ?」


と書かれていたのだ。


写真が挟まっていたのは手帳の半分くらいのところ。

「前の方には何が書いてあるんだろう・・・」

私は自然と、その答えがこの手帳に書いてあるように思えて、最初から読むことにした。


その手帳は、やはり、父の日記だった。


最初のページを見ると、子供っぽい字で簡単な出来事が書かれていた。

●月〇日

今日は、あいつらとタコとりに行った。岩場で、サトル(以下、名前はすべて仮名)が足にタコがくっついて泣きわめくもんだから、みんなで笑った。兄きはタコとりがヘタだ。


と、これだけ。パラパラめくると、


●月▲日

ユズルんちのじいちゃんはいつもこわいが、今日はみんなに柿をくれた。こんどは芋を焼いてくれるって約束してくれた。


こんなふうに、日記というには結構あっさりした感じのエピソードが続いていた。

いかにも勉強してない子供の日記だなぁという感じで、ちょっとおかしかったが、

その日記も最初の10ページもいかないくらいで終わっていた。

そりゃ気まぐれで書き始めたんだろうから続かないよな、と思いながら数ページめくると、

今度はしっかりとした筆圧で、さっきまでと違うちょっと大人びた字で書かれたページが出てきた。


どうやら学年が上がってから再度書き始めたのだろう。


再開された最初のページには、少し変わったことが書かれていた。


〇月□日

裏山の みそかさま の話をみんなにしたら、明日、やってみようということになった。

みんなひとつだけ望みを考えてくること。俺はどうしようか。

夜中だから、こっそりいかないとだめだな。早く寝とくか。


みそかさま のやり方を書き写しておく。細かいことは覚えられんし、本はじいちゃんの部屋に返さないとバレたら親父にせっかんされる。


みそかさまのやり方


壱、 毎月の三十日月(みそかづき)の日の深夜に行う。新月はダメで、細い三日月の日でないといけない。

弐、 裏山の鳥居の前にある池に鳥居を写して、逆さになった鳥居を掴むように利き手と反対の手を伸ばし、「みそかさま みそかのつきに ねがいたてまつる さかしまのやしろのあるじはいずこや <ここは何が書いてあるかわからん!> ねがいにつりあう こるばん はすかま」と言って、自分の願い事を誰にも聞こえないように〇回つぶやく。(※実際に何か起こるといけないので回数は伏せてます。)

参、 家に帰りつくまでに体のどこかに傷が出来ていたら願いが叶う。


 この日の日記はここで終わっていた。


子供時分によくやる、まじないみたいなものが父の時代にもあったんだなぁ、と思いながら読み進んだ。

ちなみに私の曽祖父、父の言う「じいちゃん」は当時としては珍しく、頻繁に海外に一人で旅行に行く人間だったらしい。※母から聞いた。


〇月△日(日付からは二日後に書かれた模様)

昨夜はうまくいったのか。学校でみんなにしるしが付いているか確認したら、みんなどこかに小さな傷があった。俺は右肘の内側。こんなん、ふつうの傷じゃないのか。

ともかく、ほんとかどうかはすぐわかる。


〇月×日(さらに数日後)

今日学校でみんなの願い事を教え合った。

ユズルは大金持ち。母ちゃんに楽させたいって言ってた。あいつは母ちゃん大好きだからな。

ノリヒロは書道家になりたいらしい。習字のすごいやつのことか、よくわからん。

サトルは陸上選手になるための県大会出場か、東京でやる世界大会かなんかに出るんだと。

キュウヤは定食屋か。あいつは「レストラントだ!」とかいってムキになってたけど、洋食食えるなら行ってやるか。あいつんとこは家族が仲良い。

俺も一応書いとくか。願いが叶うかどうかは何十年後とかにならんとわからんし。

俺は長生きすることをお願いした。あいつらが一番大事だ。長生きして、あいつらの葬式は全部俺が出すんだ。それまで死ねねえ。


私は読んでいて、自分の記憶と何か嫌な一致がするなと感じながら、

一呼吸おいて、またページをめくった。


△月□日

ほんとだった。ユズルの家が国道になるから、国からすごい金が入るんだと。

ユズルはうれし泣きしてた。母ちゃんが売るために毎日やってる軽石取りも、もうやらなくていいんだって。父ちゃん死んでから苦労してたもんな。よかった。

みそかさま やってから一か月で願いが叶った。

次はだれだろう。

サトルの県大会(たぶん陸上の事)は明日だったぞ。


△月〇日

やった。サトルも叶った。今日はクラスで胴上げした。サトルおめでとう。


△月×日

ノリヒロが習字で総理大臣賞取った。すごいな、みそかさま どんどん叶ってる。

授賞式は来月なんだと。先生も大喜びだった。


私はページをめくり、手を止めた。

手帳が数ページ破られていることに気が付いたからだ。

丁寧にページを外したのではなく、力任せにビリビリと破り捨てた感じだ。

「どうしたんだろう?」

不思議に思い、次に文字が書かれているページまでめくった。

そこには、日付もなく、激しく震えた文字で、いくつかの個所は間違えてグチャグチャと塗りつぶして書き直しながら数ページにわたって書きなぐられていた。


※句読点は読みやすいように付けてあります。手帳には言葉のみでほとんど漢字も使われていませんでした。

(日付不明)

ひどいことになった。

どうなってる?どうしたらいい?

一か月経っただけでみんなめちゃくちゃになってる。


覚えてることだけ書き残さなきゃいけない。

俺は時々あいつらのことを忘れているらしい。


思い返せば、ユズルの母ちゃんが波にさらわれたのが最初だ。

あれは先月だ。ただ運が悪かったな、と思っていたのに・・・


サトルは落石の下敷きになって、今は街の大病院に入院してる。


すぐ次の日は、ノリヒロだった。あいつはトラック(おそらく軽トラックか?)に引きずられてサトルと同じ病院に入院した。

運んだタケおじさんの話じゃ、左腕をひっかけられて、右腕が道路の上を何十メートルも引きずられたって。右腕はだめだろうって言ってた。

ユズルはまだ学校に出てこない。

キュウヤと俺は、絶対におかしい!って話し合った。

キュウヤの願いはまだ叶ってない。

願いの取り消しが出来るのか、じいちゃんに聞いてみたいけど、まだ帰ってこない。


(日付不明:おそらくまた数日後)

親父に殴られた。親父に じいちゃんの本に書いてあった みそかさま のことを聞いたら、「じいちゃんのマネはするなと言ったろ!」と言って殴られた。

今夜、兄貴と親父と俺とキュウヤで裏の鳥居に行くことになった。


今、親父はじいちゃんの本を持って部屋に入ったっきりだ。


(日付不明:おそらく翌日)

昨夜は帰ってきてから、親父と兄貴が部屋に入ったまま出てこなかった。

俺とキュウヤは裏山から降りた時に親父に怖い顔で「大丈夫だ」とだけ言われた。

夕方、学校から帰ると、兄貴と親父が裏山から帰ってくるところを見た。

裏山から煙が出ていた。

兄貴は「祠を焼いて来た」とだけ言った。


(日付不明:数か月後か?)

キュウヤの家が焼けた。キュウヤの家が岬の定食屋になってすぐだった。

村から離れているから誰も気付かなかった。焼けた家から誰の体もみつからないから、噂じゃ「夜逃げだ」って言ってる。一家は5人だって言ってた。

俺はキュウヤの顔だけ思い出せない。キュウヤの家族は思い出せるのに。


ここまで読んで、私はとてつもなく嫌な気分になった。何か、小説のような、とにかく普通の話ではなかった。


この後どうなっていくのか、気になった私は、また日記を読み進めた。


(日付不明)

卒業してから、あいつらのことをよく忘れている。

名前を聞いても顔も声も思い出せない。

親父も兄貴も時々心配した顔で見るけど、何でなのかわからない。

じいちゃんは結局まだ帰ってこない。


そのあと、白紙のページが続き、あの写真が挟まっていたページになった。

そしてまた


「だれだ?」


と書かれた文字を見る。


正直、私はすべてが理解不能だった。

よくある怪談で言えば、何かしらの儀式を行って、みんなが犠牲を払ったって話なのだろうが、そんなのは小説の話や都市伝説でしか聞いたことがなかった。

親父が子供の頃に創作した話か?とも思ったが、以前、母や叔父から聞いた事実を考えると、そうも言いきれない気がした。何しろ生前の親父の様子は今思い返しても腑に落ちない。


悶々とした日々が過ぎていたある日、田舎の寺からハガキが届いた。


今、父の実家は私の従姉が跡を継いでいる。

父の兄は父より5つ上で、既に数年前に他界していた。

ハガキは寺を継いだ従姉からだった。

ハガキには、父が亡くなって寂しいだろうということと、一度、納骨も兼ねて田舎に来ないか、ということが書かれていた。


すぐには納骨を考えていなかった私だが、これは何かを知るきっかけになるかも知れないと思い、その週末には田舎へ帰ることにした。

母は脳梗塞後の麻痺で脚が悪くなっているため、姉と妻に世話を頼み、私だけで行くことにした。


飛行機で田舎に着くと、従姉が車で迎えに来ていた。

飛行場から寺までは車で3時間ほどかかる。

道すがら、昼食を取り、久しぶりに会う従姉と昔話やお互いの父親の話、最近の出来事なんかをしゃべりながらドライブを楽しんだ。


話のネタも尽き欠けていたのと、だいぶ昔に戻って打ち解けてきたこともあり、私は親父の手帳のことを切り出した。

一通りの話を従姉にすると、表情はあまり変わらないまま、従姉は

「鳥居に行ってみる?」と軽い感じで言ってきた。

ひょっとして、作り話かなんかかと思われてるのかな?そりゃそうか、と納得しながら

「お願いします」と私は同意した。

まだ、寺までは1時間ほどある。鳥居のある裏山に行くときは、多分夕方だろう。


自分としては、手帳に書いてあった実際の場所が見られることでちょっとワクワクもしていた。私の表情を確認して、従姉がまた話し始めた。

「ともくん(私のこと)、ひいじいちゃんの話って知ってる?」

「おじちゃん(私の父の事)の日記に出てたおじいちゃんのことね。その人、私たちのおじいちゃん、つまり実の息子に寺を追い出されたんだよ。」

「え?」私は素っ頓狂な声を出していた。ちょっと予想外だったからだ。

「ひいじいちゃんって、何かの学者さんみたいな人だったらしいんだけど、もともと一緒には住んでなかったんだって。」

「おじいちゃんは都市開教って言って無住のお寺(住職がいなくなった空き寺のこと)に本山から派遣されてきた人で、家族でそこに住んでいたところに、ある時、ひいじいちゃんがフラッと現れたんだって。岡山の人らしいよ。」

「何でも、自分が研究している遺跡みたいなのがお寺の近くにあるから、一緒に住まわせてくれって頼んできたみたい。」

「へえ・・・」私はそんな話は聞いたことが無かったので、ちょっと興味が湧いて来た。

「それでね、ひいじいちゃんが調べていたのが、その裏山の鳥居だったんだって。」

「ほお!」私は俄然、興味が湧いて、従姉の話が面白くなっていた。

「鳥居は後で見れるからね、確かにちょっと変わってるんだよねぇ。」

「あ、そうそう、それでね、ともくんが言ってたおじちゃんの日記の頃って、ちょうどお寺を追い出された直後だったみたいよ、たぶん。」

「なんで追い出されたの?」

「う~ん、詳しいことはわかんないんだけど、(私の)お父さんに聞いたのは、お寺のお金を結構だまって使っちゃってたんだって。村の人には挨拶もしないし、寺のことを手伝うわけでもないから、おじいちゃん怒っちゃってね~」

そうこうしているうちに、目的地である懐かしい寺が見えてきた。

寺の境内に車を停めると従姉は、「暗くなる前に鳥居見に行こうか」と言ってくれた。

長い間車に乗って窮屈な思いをしていたので、ちょうど良い運動にもなる。

二人は、寺の横にある小径をのぼって行った。

「僕、ここ来るの初めてかもしれない」そう言うと従姉は、

「そうだね、鳥居があるのは知っていたけど、村の人も滅多に行かないしね・・・付近の掃除だけは村の人が交代で時々やってるくらいかな?不思議なのは、鳥居の後ろには何にもないんだよねぇ。海と空が見えるだけでさ・・・」

「へえ、そうなんだ・・・海をご神体にする神社とかはそんな感じかもしれないけどね、そういや、この村って漁はしないよね、海に面してるのに。」

「そうそう、鳥居にお参りする村の人は一人もいないのよ。場所で言ったら、うちの寺が鳥居のある山のちょうど正面だから、寺の持ち物みたいに見えるんだけどさ」と言って従姉はちょっと苦笑いした。

ほどなくして山の頂上に着いた。頂上は少し開けており、綺麗なくらい草木一本生えていなかった。山を登っている間は、小径の脇は雑木林で鬱蒼としていたのが嘘のようだ。

開けた山頂の海よりに大きな鳥居が立っていた。

父の日記には鳥居の前に池があるはずだったが、そこは少しくぼんだくらいで、水などは全くなかった。

「池ってなかったの?」私が聞くと、従姉は「う~ん」と首をかしげるだけだった。

以前がどうだったとかはよくわからないようだ。

私は鳥居に近付いた。

それは、鳥居と言うにはかなり異様なものだった。

少なくとも私がイメージしていた鳥居と、色も形も違っていた。

まず色だ。

鳥居は真っ黒だった。近付いてみると「石」なんだろうと思った。

黒く塗られた石というのではなく、もとからそういう色の石なんだろう。種類とかはわからない。

形は、というと、いわゆる一般的な鳥居の形ではなく、柱は三本だった。

上部は何もない。最初は何かあったような感じではあるが、現在は失われていた。

「三柱鳥居っていうのは京都とかにもあるんだけど、珍しいよね」

学生時代、京都に住んでいた従姉は、これが三柱鳥居だと認識していた。

私は京都の鳥居を見たことが無かったので、とても変わった形だと感じた。


日も落ちてきて、真っ黒な鳥居の柱が、何か大きな異形の足のように見えて、私は背筋がぞくっとした。


山を下りて、寺で荷物をほどき、父の遺骨(名古屋では全骨収骨ではないので骨壺はとてもコンパクトです)は、いったん本堂に置いて、納骨堂に納めるのは翌日にすることにした。


ひととおり落ち着いたところで、私は父の手帳を従姉に読んでもらった。

「ちょっと待ってね」というと従姉は奥の部屋に入り、何か本のようなものを手に戻ってきた。

「これね、たぶんおじちゃんが子供の頃に読んだひいじいちゃんの資料だよ。」

それは薄茶色の革装丁で紙のサイズは大学ノート位、色んな紙が挟まって分厚くなったものだった。

従姉は、う~んと、と言いながらパラパラとページをめくり、「これこれ」といって真ん中くらいのページを開いて私に渡した。

そのページには、達筆な字で、「忌願の法」と書かれており、「ねがいがかなふ」と横に注意書きのように朱色で書かれていた。

ページの中央に十分な余白を開けて、あの文章、

「みそかさま みそかのつきに ねがひたてまつる さかしまの やしろのあるじはいずこやいずこ <文字がかなり滲んでいて判別できない> ねがひにつりあう こるばん はすかま ささげそうらえ」と書かれている。若干、父の手帳のものと違うが、おおよそ合っている。

見開きの次のページには、儀式を執り行う日時のことが書かれており、儀式の順序や方法も父の手帳の通りに書かれていた。儀式の成功のしるしについても同様に書かれていたので、父が読んだのがこのページであったことは間違いないだろう。

「ふ~ん」と思いながらページをめくると次の見開きのページの右側には、あの三柱鳥居とその前にある池の絵が描かれていた。左側は池に移った鳥居と手を描いたもので、私は

「あ、これで全部だな」と思いながら、数枚ペラペラとめくり、一瞬固まった。

父が見た部分は、儀式の全部じゃなかった・・・。

絵が描かれた次のページは、日本語ではない見たことの無い文字が羅列されていた。

おそらく父はこのページは「関係ない」と思ったに違いない。

2ページほどが外国語のようなもので続き、ページをめくったその次に、「注意書き」が書いてあった。


「注意書き」には

1. 願いには対価(代償)が必要なこと。

2. 対価は自分で決められない。その時に自分が一番大切(大事)だと思っているものが対価になること。

3. 自分の一番大切なものが失われることと、叶う願いの均衡を深く考える必要があること


3つのことが書かれていた。


私は言葉も失って、深く考え込んだ。

とても現実の事とは思えないが、思い返せば一致している。


母親思いのユズルは、「母親」を失った。

陸上選手になりたかったサトルは大事な「脚」を失った。

著名な書道家を目指したノリヒロは「利き手」を失った。

家族でレストラン経営するのが夢だったキュウヤは「店と家族」をすべて失った。


・・・では、父は?


 父は、何より大切だった「友達の記憶」を失ってしまった・・・。


父たちは、いったい何に願いをかけてしまったのか。


私は、ふと思いついて、スマホで曽祖父の手帳の外国語の箇所をカメラで検索してみた。

検索結果を見ると、これらがヘブライ語であることが分かった。

父の手帳にもあった言葉もヒットした。

「こるばん」は、「神にささげた供え物」

「はすかま」は「花嫁」だった。


あの鳥居はどこに通じていたのだろう・・・。


翌日、父の遺骨を寺の納骨堂へ納める時、横の区画に真新しい花が供えてあるのが目についた。


私の視線を見て、従姉が「ああ、そこね。おじちゃん(私の父のこと)の手帳にもあったサトルさんの(納骨堂の)区画だよ。サトルさんも一昨年亡くなってね。」


そう言われた私は、サトルさんの命日を確認した。


サトルさんの命日は、父が亡くなった日の前日だった。


私は父のメモを思い出していた。


「長生きして、あいつらの葬式は全部俺が出すんだ。それまで死ねねえ。」


父の願いは叶えられたのかもしれない。

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