第2話 邂逅

わたしが眼を開くと、そこは知らない部屋、薄昏い椅子と机しかない旧時代的な部屋だ。頭が痛む、昨日何があった……。あのまま家畜の餌のような飯を食い、そして……、そこから記憶がない。つまり、わたしは下等な猿のような屑どもに薬を盛られたのか。奴らにそんな知恵があるとは思えん、誰かの入れ知恵か? そんな一体誰が。


「──おはよう、『フリージアン』のお嬢。ワタシは神聖国家共同体情報統括局、ミカマール・タユ・キーユ上級特佐である。」


わたしの目の前には20世紀の軍服のような服を着用し、左目にターレットレンズのようなモノクルをつけた壮年の男が立っていた。趣味の悪い格好だ、25世紀ならばコスプレにしてもキツイ格好である。眉は細く、目つきも悪い、眉間に深い皺がある。つまり、威圧感のある顔である。だが、わたしはこの時代の、文明が退化した時代の人間に怖気付く道理はないのだ。言葉を鋭敏に研ぎ澄ます。


「おはよう、『猿使い』、わたしに何の用だ?こんな旧時代的な椅子にいたいけな少女を縛り付けて、脳味噌が腐っているのではないか?」


男、ミカマールはレンズを回転し切り替えて、わたしを睨みつける。さすが軍人、威圧感だけはある。


「──これは手厳しい。プライベートならばキミの下腹に一発キメていたよ。」


男は拳をさすった。まったく、いつの時代も男というのは気持ちが悪いものだ。性欲が薄ら見える、どれだけ高尚なことを言おうが知的なことを言おうが一皮剥けばただの獣、人間皆そうといえばそうなのだが。兎も角、もうわたしは去勢した男以外の男はもう信用したくない。男の脳みそとやらはきっと下についているから。


「どうやら、キミの脳味噌には蝿までたかっているようだ、わたしに近寄らないでくれないか、腐臭で鼻が曲がりそうだ。」


わたしは鼻をつまんだ。男はこれ以上の対話は無駄なことだと悟ったのか、わたしの向かいの椅子に座った。わたしもこいつとはあまり言葉を交わしたくないので黙り込んだ。


「──それでは尋問に移ろうか。キミ、生意気なことは結構なことだが、『立場』は弁えたまえよ。今ワタシたちはキミの顳顬に拳銃を突きつけているの同じと思った方が身のためだ。」


男は脚を組むでわたしの顔をジロジロと見つめる。ときどきレンズを切り替えながらわたしを見ている。まるで毛穴の1つ1つまで見られているようで、まったく吐き気を催す。


「忠告、どうもありがとう。」


心にも思っていないことを口走る、男の表情はぴくりとも動かない、さっきの発言からただ沈黙が続く。全くの無音、わたしはただ自分の鼓動と呼吸だけを感じている。


「──キミには何ができる。キミとてフリージアンなのだろう、特筆すべき才能や技能、知識を持っているはずだ、それを述べてもらおうか。言っておくがキミに選択肢は無い、YESと言ってもらおうか。」


……当然だが、わたしにはそんなものはない。わたしはただの実験体だ。才能も技能も知識もない。あるのは忌々しい思い出と感触、痛みと特異な体質だけ。すべてわたしが好きだったあの人が遺したものだ。アイツはわたしで実験もしたし、資金集めの為に……もう思い出したくもない。それでも辛くても苦しくても知らない人に好き勝手されてもアイツが好きだったから我慢できた。でも、アイツは他の女と…………。これ以上思い出すのは体に毒だ。


わたしが出した答え、それは。


「なにひとつ、持ち合わせていない、わたしは。」


男は細い眉を吊り上げて激情する。


「──立場を弁えろと、言ったはずだ!もう一度チャンスをやる。嘘はつくな、でなければお前をまた眠りにつかせてやる、今度は2度と起きれんがな!」


男は拳銃を抜いて顳顬に突きつける、見ると、引き金に指を当てている。ほんとに撃つつもりだ。


「ああ、そうだな、正直に言う。一回しか言わんぞ」


息を吸う。大丈夫、拳銃如きでわたしは殺せない。


「わたしは、その類のは何も持ち合わせていない。」


男は舌打ちをした、そして冷たく低い声で


「──そうか、残念だ。」



鈍い音が部屋中に響き鼓膜を刺し、火薬の匂いが鼻をつんざく。


「─な、なぜ死なない!狙いは確かだったはず…」


男、ミカマール・タユ・キーユは顔を強張らせる。男はさらに2発3発と引き金を引く。だが、意味はない。


「立場を弁えろ、だったか。形成、逆転だ。」


わたしは男の胸の辺りに手を伸ばす、手は“すり抜ける”ように心臓当たりまで入った。無論、“まだ”男からは一滴も血は出ていない。男は何が起こっているのかわかっていないが、本能で察しているのだろう、死の恐怖に震えている。よく見ると失禁もしているのか、全く情けない男ださっきの態度がまるで嘘のよう。


「これだから、男は嫌いだ。」


わたしはそう呟くと、男の心臓を握りつぶした。男は口から血を吐き倒れた。まったく汚物だ、人間、皮を剥げば肉と糞の塊である。そう実感した。


***

わたしの体質、それは『透明水彩』存在を薄くすることで物体をすり抜けられるようになる。さっきの芸当はそういうことだ。ちなみに専用の薬がなければ元に戻れないし、一ヶ月に数日存在が不安定になる日もある。


あのあと、施設を出た。この体質は使いたくない、とても疲れるし、一歩間違えばこの世界から消えて無くなるし(それはそれでいいけど)、何よりアイツの顔が思い浮かぶのが最悪だ。


それにしても、街は薄汚れている。大気は濁り、異臭がする。まるでドブだ、ここはドブの街なのか。


そう思いつつ、わたしは幽霊にでもなったのかと思うくらい薄い体を動かして歩く。普通の人には見えない、この姿。わたしの肌に触れているものも付随して薄くなるので透明人間あるあるの『服だけが浮いてる』みたいなことにはならないのだ。


「…お姉ちゃん、ボクの方、向いて。」


後ろから女声が聞こえる。何かの間違いだろうと振り返るとそこにはいかにも白のカッターシャツに丈の長いスカート?を履いたなかなか豊満な体をした少女が立っていた。詳しく述べるとわたしよりほんの少し歳下で豊満な体なのに線が薄く儚げな少女である。


「わたしのこと、で合っているのか?」


わたしは彼女にはきっと届かないであろうと思いつつも話しかける。彼女は頷いた。


「…ここじゃ変だから、河川敷で話そう。」


***


ドブの臭いがする、ドブ川だ。その河川敷となればドブ臭いに決まっている。正直、鼻がもげそうだった。


「わたしのこと、見えてるのか?」


わたしが質問すると彼女、ここに来る最中にカナシ・カークルという名であることを教えてもらったが、カナシはかぶりを振った。


「ボク、元々眼がぼんやりとしか見えないの。だから眼で見えた訳じゃない。でも、第六感なのかな、それでお姉ちゃんを感じたの。」


カナシは微笑む。第六感、ね。わたしには少なくとも無いものだ。だが、本来どんなセンサーでも感知できないはずのわたしを知覚したのだから、それは信じるのに値する。


「じゃあ、親愛の証にこれあげる。」


カナシは満面の笑みを浮かべながらよくわからない食べ物をわたしの方に突き出した。これは……レーションか?


「……食べてくれないの?」


カナシだけに哀しそうな表情にだんだんとなっていく、なんだか、わたしが悪いことをしている気分になる。


……わたしは今一錠しかない濃厚薬(元に戻るための薬)を飲むことを決めた。


「今食べる。」


「わかった、それじゃ、口開けててね。あーん」


「あーん」


我ながら阿呆な声が出た。

なんだこれは……まずいぞ!?だが、ここでまずいなんていえん、気を使うのは苦手だが、何だかこいつにそういうこと言うのは気が引ける。


「あ、うん……おいしいねこれ。」


「……よかったあ!」


カナシは微笑んだ。……当面はこいつの側に居よう。そうすればわたしの乾いた心も潤うかもしれない。

そう思い、クソまずいレーションをまた噛み締めた。

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