胡乱な夏と幽霊少女

葉月めまい|本格ミステリ&頭脳戦

01.身に覚えがない罪について身に覚えがないと確信できるのは、きっと幸福なことである。

 俺は断じて、小児性愛者ロリコンではない。


 そりゃあ、二次元の幼女ロリに対してはやや倒錯した欲望のようなものをぶつけた試しがないとは確かに言えないが、そんなことは現代日本に生きる健全なアニメ愛好家オタクであれば極めて普通で正常なことなのだし、二次元と三次元の間に広がる深淵しんえんな谷を覗き込めば、そのような些末な過去の経験が俺という一人の健全な成人男性の加害性を証明しているなどとは、口が裂けても言えないはずである。

 だが、まったく心当たりがなくとも、例えば罪の証拠になりうる凶器が自分の手に握られていたりなどしたら、罪悪感を抱いてしまうのも無理はないというか、その罪悪感はある種の錯覚であって罪の自認ではなく、むしろ理性によって認識している自分自身と感覚で認識する自分自身に差異が生じているからこその動揺のあらわれなのだ。


 要するに、何を言いたいのかと言えば――。

 俺は、「やっちまった」と思ってしまったのである。


 自分の部屋で目覚め、借りてきた猫みたいな様子で隅っこにちょこんと座る、絵本の中のとぎの国から飛び出してきたような透明感に満ちた少女の姿を視認したとき、二日酔いのうざったい感覚と、跡形あとかたもなくすっかり消えてしまった数時間分の記憶のせいで、俺は犯したはずのない罪に心をさいなまれた。

 嗚呼ああ、母さん父さん。あんたらから、優しく助けると書いて優助ゆうすけなんて立派すぎる名前をたまわったこの俺は、人間としてあまりにも情けねえ最低なくそ野郎に成り下がっちまいました。

 ……なんて、ズキズキ痛む頭の中で懺悔してしまう。


 だが、そのちっこい少女が真顔で、あんまりにも無警戒に俺の顔をじーっと穴が開くほど見つめてくるもんだから、だんだん俺のほうも冷静になってきた。

 そんな風に見つめられて本当に穴が開いちまったらどうするんだと思ったが、まあ人間の顔には始めから耳も鼻も口も目ん玉もあって穴だらけだから、考えてみれば、考えるまでもなくどうでもいいことだ。


 例えば、こんなシナリオはどうだろう?

 俺は昨晩、自棄ヤケ酒をして酔い潰れて、街に繰り出した。ここまではぼんやりと記憶にあるから、間違いのない事実だ。問題はこの先。


 もしかしたら、彼女は金のない家出少女か何かで、正常な判断能力を失っていた酔っ払いの俺は、頼み込まれるがままに部屋へ上げてしまったんじゃないだろうか?

 この子に手を出してしまったとは、まだ限らない。


 さて、こうして仮説を立てたからには、次にすべきはその検証、すなわち、少女に話しかけて真実を確かめる必要があるわけなのだが、自室にいつの間にか出現した子供ガキに喋りかけるときの第一声なんか義務教育で習った覚えのない俺は、当然ながらもごもごと口ごもってしまい、加えて二日酔いでまともにれつも回っていなかったため、俺の喉から漏れ出る音はガッサガサにかすれた、聞かせられないような声のみだった。


 すると、そんな俺を見かねたように――いや、実際のところは見かねたんじゃなくて、もはや見飽きたのかもしれないが、まあどちらだとしても同じことだろう――少女のほうから口を開いた。


「……もしかして、見えてるんですか?」


 俺は返答に困った。


 実際に見えているのかどうかは親愛なる読者諸氏の想像にお任せしたいが、仮に見えていなかったとしても、「見えていますか?」なんて聞かれてしまったからには、もしかしたら見えているんじゃないかと思ってしまうし、もちろん小児性愛者ロリコンでない俺にとっては別に見えていようが見えていなかろうがどうでもいいことではあるのだが、質問されたからにはしんに事実を答えたいと思うのが俺の俺らしさであるというか、そもそも見えているかどうかを気にするようなマセた一面があるなら、その無防備に開いている脚を閉じたらどうか、などと考え込んでしまい――。


「見えてないよ」

 と、俺は答えた。


 見えていたとしても、わざわざ恥をかかせる必要はないだろう、という俺流の親切で紳士的な判断である。


「見えてないんですか……」

 と少女は、どこか落胆したような声で呟き、うつむいた。しかし、すぐに何かに気づいた様子で顔を上げる。

「えっ? でも今、私に返事しましたよね……? 姿は見えてないけど……、声は聞こえてるんですか?」


 俺も鈍感な人間ではない。この辺りでようやく、どうやら会話が噛み合っていないみたいだぞと思い至り、ついでに少女の身体がどことなく半透明であることにも気づいた。彼女が見えているか見えていないか気にしていたのは、可愛らしいリボン付きの真っ白なパンティのことではなかったらしい。


 ともかく、これが俺と幽霊少女の出逢いだった。

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