魔性の男

@aaayyyd

第1話

「あさおみ? じゃあオミくんだ」

「みなみって女の名前みたいじゃん」

 こちらの名前を聞いた後、なんてことないようにそう言うから、俺は返事に困った。けれど、どうしても何か言い返してやりたくてそう言うと、驚いたように目を瞬かせた後、恥ずかしそうに口元を腕で覆った。

「気にしてるから、言わないで」

 こちらより背が高いくせに、少し屈んで見せた上目遣いとその言葉に、ひっかけた相手は自身の手に負えない化け物のように思えた。


 なんとなく誘われてはいったクラブハウスは退屈だった。同じようにぼんやりと立っているこいつに話しかけたのは俺から。気の弱そうな作り笑いでなぁに、とふわふわした返事が返ってきた。

 聞けば、大体ここに居ると言っていた。長めの前髪が目元を隠していたが、随分と綺麗な顔立ちをしている。

「勿体無いな」

「なにが?」

「顔、俺がお前だったら、見せつけて歩いてる」

「何それ」

 知らない誰かに奢られたカシスオレンジを、甘い甘いと文句を言ってかき混ぜるばかりだから、つい好きなものを頼むように言ってしまったのがいけなかったかもしれない。最初の窺うように一歩引いていた態度が軟化した。

「あれさぁ」

「うん、どれ?」

「近いんだけど」

「そう?」

 乱雑に置かれたビラのひとつを、何気なく手にすると、こちらの視線を辿るように肩口に顔を寄せてくる。恋人にするような距離感に思わず顔を顰めると、その距離のままでこちらの顔を覗き込んでこられた。

「そういうの、やめたほうが良いんじゃない?」

 勘違いするやつがいるよ、と言いかけてやめた。こちらが顔をそらして距離をとると、驚いているのか彼はパチパチと瞬きをして、それからひどく嬉しそうに笑って言った。

「オミくんにはもうしない」


 一緒に来た友人を探すためにフロアを見渡すと、声をかけたのだろう女とはしゃいでいた。元々そういう目的で来たのだ。騒がしい場所は嫌いじゃないし、自分自身、そういう気持ちが少しもなかった訳じゃないが、今はもうそんな気分ではなくなってしまって、残っていたハイボールを一気に空にすると、隣にまだ居るみなみに声をかけた。

「帰る」

「そっか、またね」

 名残惜しいような素振りは見せなかった。また会えるのを確信しているような声だった。

 だからなのか、それから度々、俺はそのクラブハウスに足を運んでしまった。みなみはいつもフロアの端で騒がしい人込みを眺めているばかりだったが、こちらに気が付くと嬉しそうに寄ってくる。誰かと居てもその相手を放り出して来るものだから、妙な優越感までおぼえてしまう。


 何度もそうして顔を合わせる内に、彼は世間ではヒモなんて呼ばれているようなことをしているのを知った。全ての面倒を見るからと懇願されると断れない、と困ったように言っていた。

 求められるままに伸ばされた手をとる、その心を理解することはできそうになかった。みなみは博愛のような感覚なのかもしれないが、恐らくそう言ってくる相手の要求は、恋であり執着な気がした。求めているものが手に入らない相手は疲弊してゆく。俺が知るだけでこれは四回目だった。

「……そろそろ、ちゃんとすれば」

「でも、俺を一番愛してるっていうんだ」

「それで何回放り出されてんだよ」

 帰る家がなくなった、とへらへら笑いながら言われて、仕方なく今夜だけだと言って泊めた。ソファに座っているみなみに毛布を手渡したが、湿気ていると文句を言いだしたのを我儘言うなら出て行けと返すと、じっとその毛布を見てから、嬉しそうな顔をする。

「オミ君は、俺のこと叱ってくれるからさぁ」

「はぁ?」

「なんか、いいよね」

 結局、その毛布を使ってソファで眠った彼は、朝になって礼を言って出ていってそれっきり、姿を見ることがなくなった。クラブハウスにも顔を出さなくなって、連絡先は、と考えもした。けれど、彼はいつも与えられた携帯電話しか持っていなかった。きっと、どれも繋がらなくなっているだろう。



 もう会うこともないだろうと思っていたが、それはこちらが勝手に思っていただけだった。真夜中にインターホンが鳴って、驚いて見たモニターには、みなみが困ったような顔をして立っていた。

「叱って欲しいんだけど」

 こちらが引っ越していたら、どうするつもりだったのか。久しぶりだというのに、つい昨日出ていったかのような雰囲気さえある。

「マジで何言ってんの、お前」

「うん」

 みなみはこちらの様子など気にしていないようで、ただ手を引いた。

「俺、明日仕事」

「うん」

 こちらの都合は聞くつもりはないらしい。こんな強引なことをしようとするのは初めてで、簡単に着替えて家の鍵だけを持って引きずられるようにして家を出た。

 古臭い黒のセダンの助手席に乗せられて、みなみは少し考えるような仕草をした後、アクセルを踏んだ。

「どこ行くの」

「山……かな」

 山にでも埋められるかと思ったが、そんなことは無かった。すでに埋めるための死体が、トランクに積まれていた。

 古いセダンにはラジオしかついていなくて、ノイズと共にカーペンターズが流れてくる。ゆったりとした曲調は懐かしくてどこか切ない響きをしている。過ぎた日を思い、変わってしまって悲しい、と歌うそれに、今なら共感ができる。

 映画を見るのがお互い好きだった。けれど、好みは全く合わなくて、みなみは一緒に見るなんて絶対できない、と笑っていたのを思い出した。服だってそうだった。二人とも靴は大好きだったけど、俺はブーツが好きで、みなみはスニーカーが好きだった。


「死ぬほど好きなの、証明するって言ってさぁ」

「ふぅん……」

 車を停めたところは、確かに山ではあった。けれど、誰にも見つからないような場所ではなかった。いくらか奥に入り込んだそこで、彼は立ち止まった。

「羨ましいなぁって、俺、そんな勇気無いし」

「へぇ……」

 何もしなくていいよ、と言われたので、そのまま俺はみなみの掘る穴の向かいに立って、それを眺めていた。風が木々の上っ面だけを撫でて、ざわざわと音を立てている。みなみは穴を掘りながら、何かを思い出しているかのように呟いた。よく見る青いビニールシートに包まれたそれの中身は、どんな様子かなんて見たくもなかった。

 みなみは、この死体が内包する繋ぎ止めたいという意思を正しく受け取って、この死体を背負って生きようとしている。そこから発生する罪も罰も含めて。物理的には、そうなんだろう。

 けれど、本当に繋ぎ止めたかったのは、肉体ではないんだろう、とも思う。

「でも、悪いこと……したな、って」

「なんで?」

 動いたせいで、息の上がったみなみが、ふと顔を上げてこちらを見た。その頬に泥が付いていたので、手招きすると、素直に彼はこちらに寄ってくる。頬の泥を指先で擦り落としてやると、うろうろと視線を彷徨わせた後、みなみは泣き出しそうな顔で言った。

「ちゃんとって、難しいね」

 そう言われて、こうして会う前に、自身が放った言葉を思い出す。彼は、彼なりの解釈の中で「ちゃんと」しようとしたのかもしれなかった。思わず腕を引いて抱きしめると、きつく抱きしめ返された。

「……好きだった?」

「そう思ってたけど、多分、間違ってたんだろうね」

 諦観の滲んだ声がそう言った。腕の力が抜けていったので体を離して顔を見ようとしたが、口元を腕で隠されてしまった。けれど、その横の、耳が赤い。

「みなみくんさぁ」

「な、なに……?」

 求められるばかりで、自ら求めることをしなかった人間は、確かにそれを知らないし、どう扱っていいかも、わからなかったのかもしれなかった。

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