第2話 夢桜神社の異変

 私の実家は神社を営んでいる。名前を夢桜ゆめさくら神社と言い、大きな桜の木を御神木として大切に祀っている。

 

 とはいっても、建立されてから100年も経っておらず、それゆえ参拝客もまともにいない小さな神社だ。

 神社から歩いて数分のところにある二階建ての一軒家。そこで私は暮らしている。

 

「ただいま、おばあちゃん」


「あぁ、リア。お帰りなさい」


 廊下の奥から顔を出したのは、母方のおばあちゃん。もう年齢は80を超えているが、廊下を歩む足取りは軽く、歳を感じさせない。白髪こそ日に日に増えてきているが、その中には私と同じ紫髪が溶けているため、見た目も若々しい。

 この家でおばあちゃんと二人暮らし。物心ついた頃にこの家に預けられて以来、ずっとこの生活だ。


「リア、なんだか顔色が悪くないかい?もしかしてまた幽霊の仕業で……」


「だ、大丈夫よ。ちょっと学校で疲れただけ、すぐに治るから安心して」


「なら良いんだが……。何か異変があったらすぐに言うんだよ」

 

 おばあちゃんは眉尻を下げ、心配そうな表情を浮かべる。私と違って、とても柔らかくて優しい目だ。

 育ての親なだけあって、小さい頃から苦労の多かった私のことをよく理解してくれている。

 

「ありがとう。それじゃあ、掃除に行ってくるわね」


「気持ちはありがたいが、体調が優れないなら無理してやらなくても良いんだよ」


「大丈夫大丈夫、私がやりたくてやってるから。それに、おばあちゃんには無理してほしくないの」


「くれぐれも気をつけてな」


「うん、遅くならないようにするから。行ってきます」

 

 月に一度、おばあちゃんに代わって境内の掃除や設備の点検を行なっている。かれこれ3年ほどは続いている習慣で、内容は落ち葉の掃き掃除や草刈りが主。

 まだ腰は曲がってないとはいえ、老体の身であるおばあちゃんにとっては重労働になってしまうから。


 スクールバックを玄関に置き、制服のまま神社へと向かう。

 

 家の裏は小さな丘になっていて、神社はその丘の上、木々に囲まれた空間にひっそりと佇んでいる。

 家がある住宅街から三、四分とはいえ、坂と階段を登らなければならない。この地味な立地の悪さが人足を遠ざけている理由の一つなのだと思う。


 周囲の木々の影響か、神社へ近づくにつれて徐々に空気が冷んやりと張り詰めてくる。夏場であれば涼しげで心地良く感じるかもしれないが、この時期では若干肌寒さが勝っている。


 住宅街ではあまり感じない、草木と湿った土の匂い。

 人気がないことも相まって、この雰囲気を薄気味悪いと感じる人もいるかもしれない。


 こと私においては、この神社に来ると少し体調が悪くなる。

 だが、神社と自分の体質が合わさればそんなことにもなるだろう、と半ば諦め半分で納得している。


「はぁ……やっと着いた」

 

 鳥居の前で一礼をし、境内へと足を踏み入れる。


 この神社に足を踏み入れて、誰もが最初に目が行くのは正面に根を下ろす御神木の桜の木だろう。

 夢桜神社という名前の通り、その存在感は相当なもので、御神木の近くでは一際空気が張り詰めているような気さえする。おそらくとうに寿命を迎えているためか、花はおろか葉さえつけていない枯れ木と化しているが、それがかえってある種の神秘性を醸し出している。


 入り口にある由緒書きの内容を要約すると、次のように書いてある。


『夢桜神社は一九四〇年に建立されました。夢桜姫ゆめさくらひめという女神を祀っており、厄除けのご利益があります。夢桜姫は境内中央の桜の木に宿っていると言われています。本殿はなく、御神木がその役割を果たしています。』


 その他には、鳥居の右手に水の干上がった手水舎が、左手には小屋ほどの大きさの拝殿がある。

 これらが夢桜神社の全てで、御神木が本体と言っても過言ではないほどの規模しかない。


 それでも、一人で掃除、草刈り、点検を行うとなればそれなりに時間はかかる。今が17時前だから、日が暮れる19時前には終えたいところだ。


 身体の不調を感じつつも、いつもの作業へと取り掛かる。


 まずは、明るいうちに拝殿や手水舎の点検を行う。点検といっても、業者ではないのであくまで目視で破損や悪戯がないかチェックするだけ。何かあればすぐに報告をしなければならないが、悪戯をする輩すら訪れないのか案の定何の問題もない。


 次に境内の掃除と草刈り。そもそも参拝客なんて近所のご老人がしばしば散歩で訪れる程度なので、手を抜いても文句を言う人間は誰もいないだろうが……。おばあちゃんの仕事を代わっておいて雑に済ますなど、そんな筋の通っていない事はしたくない。


 御神木に関しては、特に触れるべきことはない。

 決して手を抜いたわけではなく、おばあちゃんから「御神木には近づかないこと」とキツく念押しされているからだ。

 

 これは私に限った話ではなく、御神木は柵で囲われている上に、立ち入り禁止の看板が立て付けられている。そこに御神木そのものの神秘性も相まって、悪戯しようものなら祟られそうで、悪童ですら怖気付いて近づかないだろう。



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 予定していた全ての作業を終えた時、時刻は19時を回っていた。もう4月も終わる頃だと言うのに、今年はやけに日が落ちるのが早くてもう月が出ている。いつの間にか、頼れる明かりは月光と境内の申し訳程度の照明だけになっていた。


 やば……結構まずいレベルで体調悪いかも……。

 公園にいたあの幽霊の影響……?

 それにしては症状が重すぎる……。


 私の体調不良は悪化の一途を辿っていた。あまりの身体の重苦しさに、目に映る月光が滲んでいる。


 今までの人生を振り返っても、ここまで症状が酷くなるのは異常だった。

 罰当たりかもしれないが、由緒書きの看板に身を預けていないと倒れてしまいそうだった。「緊急事態なのでどうかお許しください」と心の中では夢桜姫に許しを請いておいた。

 

 幽霊の影響じゃなくて、何か病気でも貰った……?

 とにかく、本当に動けなくなる前に帰らないと……。

 

 そう思って、身体を引きずりながら神社を後にしようとした時だった。


「……っ!?」

 

 背筋を冷たい刃物でなぞられたのかと思った。そう錯覚するほどの悪寒。

 それが何から発せられたものなのか、私に向けられたものなのか、理解しようとするよりも先に身体は反射的に振り向いていた。


「……猫?」


 参道の真ん中には、一匹の黒猫が座っていた。

 漆黒の毛並みに反射された月光が、ぼんやりとその輪郭を形作っている。

 黒猫は凪いだ水面のように微動だにせず、闇の中に浮かび上がる眼光は、私の心を見透かそうとしているかのようだった。

 

 今感じた恐ろしい気配はこの猫が発したものだろうか。にわかには信じがたい。

 あの感覚は幽霊を見た時のものに似ているが、これほどに畏怖を感じたのは初めてのことだった。

 たった一瞬だったにも関わらず、額や首筋には冷たい汗が伝っていた。


 先ほどの悪寒にあてられたせいで、身体の不調は頂点に達していた。

 状況を理解しようとしても、すぐに脳の中に霧がかかってかき消されてしまう。

 頭痛が、動悸が、冷や汗が止まらない。


 動揺が収まらない私を置き去りにするように、猫は踵を返して歩き始めた。

 その先にあるのは、近づくことを禁じられている御神木だった。


「……はぁ、っ、待って……その先は……!」


 猫を相手に声をかけても意味などないのに、咄嗟に声が出てしまうほどに気が動転していた。

 猫が歩みを止めたのは、立ち入りを禁ずる柵の手前だった。


「……それ以上は..入っちゃ……ダメよ」


 じっとこちらを見つめる黒猫へと歩み寄りながら、絞り出した声で説得を試みる。


 何も猫の侵入まで咎める必要はないだろう。

 冷静な状態であればそう判断して帰路についていただろうが、そんな考えは微塵も頭に浮かばなかった。

 体調のせいか、悪寒による混乱のせいか、とにかくこの猫を止めなければいけないという謎の使命感に肉体を支配されていた。


 ようやく猫を捕まえられる。

 手を伸ばせば届くという距離まで近づいて、ようやく気がついた。

 むしろ、なんでここまで気がつかなかったのだろうか。


 この猫、幽霊だ。


 次の瞬間、再び突き刺すような悪寒が身体を襲う。

 しかも、先ほどよりも強烈で、刹那で身体の芯から力が抜けてしまう。

 たまらず目を瞑ってその場にうずくまる。

 

「うぅっ……!」


 これは異常事態だと脳が警報を鳴らす。

 だが、何も理解できない状況で身体が言うことを聞かない。


 異常は私を追い詰めるように立て続けに起こる。

 次に異常が現れたのは、目の前の御神木だった。


 御神木全体が禍々しく黒い光に包まれ、周囲の空気を激しく揺らし始めたのだ。


「……っなに……この光っ……」


 月光をかき消すほどの激しい黒い閃光。

 その黒い光たちは無数に分裂し、次々と御神木から放出される。

 十、百……数え切れないほどの光が放出されては空へと消えていった。


 激しい悪寒と光の波に意識が飛びそうになる。

 このまま死んでしまうかもしれない。

 私にできることは、ただその場にうずくまり、いずれこの苦しみが終わることを祈ることだけだった。

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