ep4 出発

「これだけでいいわ」


「か、かしこまりました」




早朝。シャスティアはネフィリス王国への出発に向けて、荷物を馬車へ積み込もうとしていた。積み込みを行った護衛騎士たちは、その荷物の少なさに驚いていた。まぁ、貴族の娘、それも王太子の元婚約者であるルクスリア公爵家の娘が、隣国の嫁ぎ先に旅行バック一つだけで向かうというのは信じられないだろう。


だが、特に持っていくものもないし、持っていくこともできないから、これで充分なのだ。




「そういえば、お母様とお父様は………」


今まで離れて暮らしていたせいで会う機会が少なかった両親だが、国外に嫁ぐのならせめて挨拶をしたかった。だがきっと、両親は見送りの言葉でも慰めの言葉でもなく、叱責をしてくるだろう。




なぜ、婚約破棄などをされたのだ、と。




「シャスティア様、これを」


しばらく考えて込んでいると、侍女が一通の手紙を持ってきた。


「これは──」


差出人の欄には、両親の名前が書かれていた。タイミングが良すぎて、少しびっくりしてしまった。時間もないので、その場で手紙の封を切る。


中身を要約するとこうだ。








シャスティアが婚約破棄されたことにより、ルクスリア公爵家の名誉が傷つくことになる。この責任を負うものとして、両親はシャスティアのネフィリス王国行きに賛成する。再びアルカ王国へ戻ってきたとしても、その時は公爵家への再度の受け入れはできない。ネフィリス王国で骨を埋めるように。








とのことだ。


「はぁ………」


母親と父親からの愛情が全く感じられず、少し萎えそうになる。今に始まったことではないが、自分へ向く愛情の少なさを改めて思い知らされる。一体今まで、何のために頑張ってきたのだろう。






***






荷物の積み込みが終わり、レオンハルトの側近から伝えられた、馬車の出発の時間になった。しかし、時間になっても誰も見送りに来ない。




(別に期待をしていたわけではない…………でも──)


自分が今まで王宮でしてきたことはなんだったのか。国の助けになるようにと、かなりの努力をしてきた。その結果がこれか。他に好きな女ができたからと一方的に婚約を破棄され、頼りになるはずの両親は最初から、王太子妃という地位だけを欲してシャスティアを育てていた。




残る未練すらも、ない。唯一あるとすれば、この国の国民たちだ。彼らは何も関係がない。しかし、あの王たちでは、国はたちまち立ち行かなくなるだろう。そうすれば飢えるのは民たちだ。せめて、何か残していけたらと思ってしまうが、もう縁のなくなる国のことを考えても仕方ないと、そこで思考を止める。




「出発いたします」


御者がシャスティアに声をかける。エスコートをする人もいないので、一人で馬車に乗り込む。付いてくる侍女は一人だけ。最低限の身の回りの世話が出来るようにとの計らいだそうだ。いったい誰だろうと思い座席に座る。




すると音もなく、一人の侍女が馬車に乗り込んできた。さらさらとした黒髪が視界に写る。




「あなただれ?」


「こちらに参るのが遅くなり、大変失礼いたしました。私は、本日よりシャスティア様の身の回りの世話をさせていただくナギ・カラスバでございます。ナギとお呼びくださいませ」


見た目は二十歳ほど。キリッとした顔立ちに、滑らかな黒髪と黒目がよく映える美人だ。


「そう。これからよろしくね」


「はい。よろしくお願いいたします」








それから程なくして、馬車が王宮を出発した。




惜しむ間もなく遠ざかっていく王宮を尻目に、これからのことについて考えを巡らす。




ネフィリス王国の首都までは、馬車で一週間ほど。二台の馬車で、国境の山々を抜けていく。




ネフィリス王国は、かつては不毛の地として記されていた。だが、シャスティアが極彩の魔女として生きた時代に、極彩の魔女の魔法によって土地に命が吹き込まれたのだ。それからというもの、ネフィリス王国は自然が豊かな国として知られるようになった。




過去に自分が救った土地へ戻るというのは不思議なもので、わくわくする。今までの机に張り付いてばかりの生活から抜け出したことの解放感もあわさって清々しい。




(そういえば、さっきから気まずいのよね)


狭い馬車の中で、初対面の人、しかも侍女と一対一。相手も多少なりとは気まずさを覚えているのだろうか。


「ね、ねぇナギ。あなた、東国の出身?」


「私自身はこの国で育ちました。お祖父様が東国の出身なのです」


「へぇ。すごいわね。東国の話はあまり聞かないの。よければ話してくれない?」


「ぜひ話させてください!すごく面白い話があるんですよ!」


よく頑張ったと自分を褒めたい。この気まずさを打破した自分、えらい!素晴らしい!




「ところでその……敬語、やめない?ナギと仲良くなりたいの。二人だけのときでいいから」


ナギは一瞬目を見開き、そして嬉しそうに顔を綻ばせた。最初の冷たい印象とは真逆の、幼さを感じる温かい笑みだった。




「うん!私も、シャスティアと仲良くなりたい!これからもよろしくね…!」


誰も知り合いのいない国へ、一人で嫁ぐはずだったのに、小さな味方ができてどれだけ心強いか。




それからしばらくは、東国についてやナギ、シャスティアたち自身の話に花を咲かせた。


その日、シャスティアは久しぶりに心から笑うことができた。

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