言葉と思い出と図書館と 〜カマキリを添えて〜

ことぶき

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言葉は水のようだと思う。

使う人や場面などの環境によって、意味が自在に変化する。


時には人を絶望から救い、


ある時には人を死に追いやることもある。


人間は水がないと生きていけない。


それなのに人間は、水に溺れる。


言葉は水だ。




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夏は好きではない。

灼熱の下校道中、一息で肺が焼けるような感覚になる。水分を十分に含んだ空気が、太陽のエネルギーをこれでもかというほど吸収し、それを放出することなく肺に直撃する。

手に持ったハンディファンが立てたガタガタとした音を、それに対抗するようにセミがかき消す。小さかった頃はよく虫取りに行ったものだが、今ではしっかり虫嫌いな女子高生である。


虫は何も考えていないように見える。しかし、実は見ているのだ。

私達のことを。

友達がいないわけではないが、多いわけでもない。

そんな曖昧な生き方をしている私のことも、きっと見逃さない。


ボーッと考えていると、ふと視界の端に新緑がよぎる。


反射的にそれを見ると、そこには1匹のカマキリがいた。

「オオカマキリ…」

久しぶりに見た。昔はベランダでよく会話(一方的)をしたものだ。決して友達がいなかったわけではない。多分。

「やっぱりオオカマキリは緑派だな〜」

カマキリには基本的に緑色の個体と茶色の個体がいる。私は子供の頃から緑ばかり集めていた。カマキリは緑色。これに限る。異論は認める。


馬鹿な思考をぐるぐるさせていると、カマキリが室外機の上を移動し始めた。そのまま近くのパイプを使って少々狭めな路地へと入っていく。我ながらJKとは思えない行動だ。

「狭いっ…けど!逃がさない…」

それでも狩猟本能に駆られて、細い腕でカマキリの針のような体と羽の付け根に指を伸ばす。

「____今!!」



カマキリが暴れ、空気が揺れた瞬間、目の前が真っ白になった。



「……ここは?」

目を覚ますと、螺旋状に広がる本棚が目に入る。古びた、それでいて目を引く本がきっちり収納され、その量は計り知れない。アンティークな雰囲気のする空間に異国情緒を感じながら、あたりを観察する。


「おや、珍しい来客ですね」


よく通る低めの声が聞こえて、咄嗟に振り向く。そこにいたのは____



1匹のカマキリ。


「どこから…」

「ここからですよっ!!」

「え、どこ…」

「見えてるでしょう!?」

このカマキリ、案外ノリが良い。学校では無視されるであろうふざけた応答が流されていない。少し嬉しい。

思わず頬が緩む中、そっとしゃがんで足元の1匹に顔を近づける。

「うわぁ!か、カマキリっ!?」

「なんともまぁ、わざとらしいですね…」

普段なら、人見知りを最大限発揮する場面なのに、緊張することなく話せる自分に内心驚いた。まるで初対面とは思えない。




…そういえば人じゃないな。



私は"人"見知りであって"虫"見知りはしていない。…それは置いといて。



「ところであなた、どうやってここに入って来たのですか?」

ギシギシと音を立てるアンティークな椅子に腰掛け、私は1匹と対面する。

「カマキリを捕まえようとしたらここにいて…もしかして、カマキリの呪いだったりします?」

「どうやらアニメの見過ぎのようですね」

「生きがいなので」

「おや、奇遇ですね。私もいわゆるオタクです」

「同族嫌悪とかないんですか?カマキリですし」

「私には理性があります。あの虫ケラどもとは違って」

「あなたも虫では…?」

「格が違うのです」

なんだろうこの会話…。本来なら戸惑うはずだが、悪ノリが行き交う、この意味のわからない状況がなんだか楽しかった。そして何より、カマキリと会話することが実現したことへの喜びは計り知れなかった。こんなことになるとは夢にも思わなk…夢?


「あの、これって夢だったりします?」


「夢ではありませんよ。不思議な空間であることに違いはありませんが」


「なら、ここは一体どこなんですか?私は元の場所に帰れますか?」


「久しぶりの来客、ましてや人間…となりますと、まずは1つずつお答えした方が良さそうですね。」

すると、カマキリは椅子の隣にあったアンティークな机にトトッと登った。

「ここはリコルド図書館。言葉に宿る思い出を本として保管する図書館です。ここにある1冊1冊の本にはそれぞれ言葉が刻まれており、中には言葉の記憶、思い出が詰まっています。言葉には"ありがとう"のような感謝でも、悲しい思い出があったりします。それらも含めて保管されている重要な場所が、ここ、リコルド図書館。そして、ここの支配人をしているのが私、カマキリです。管理人もいるのですが、あいにく今日は来ていません」


「…なるほど」

正直理解が追いついていない。

「百聞は一見にしかずですね。見ていただいた方が早いかと」

カマキリは1冊の本を魔法のような力で開く。本のページが白い閃光を放ち、それと同時に私の脳内に"ありがとう"に刻まれた記憶が流れ出した。


(きょうは、いっしょに、あそんでくれて、ありがとう!)


(誕生日祝ってくれて嬉しかった!本当にありがとう!)


(プリント集めてくれてありがとね〜?)


(もう出会って50年か…いつも支えてくれて、ありがとなぁ)


幼い子供から老人まで、たくさんのありがとうが溢れ出す。心の奥の方が温かくなるのを感じる。確かにこれは聞くよりも早い。より、思い出に耳を寄せる。


視界が少し暗くなった気がする。


(もう会うことはないけど…今まで楽しかったよ!ありがとうッ!)


これは…切ない感謝、か。そりゃあ、いい思い出ばかりじゃないよね。


!?

急激に胸が痛くなって、呼吸が出来なくなる。目の前が真っ暗になって、思考が停止する。

なにこれ、痛い、くるしい、ツライ…?


(ありがとう。コ…シテ……レテ)


「ッハ」

呼吸が荒い。肩を上下させてしゃがみ込むと、カマキリがぬるっと机から見下ろしていた。


「どうでした?初めてにしては、かなり耐えたようですが…」


「すごかったっ…です!!」


「!」


「一気に何かに引き込まれそうになったけど…あれが思い出ですよね!?興味深いです!!どんな原理なんですか今のは!!」


予想外の反応にカマキリは後退りする。


「あれに恐怖ではなく興味を示しますか…とても面白いですね。あなた、名前は?」


「あ、えぇと、青木夢です」


「では夢さん、よければ、ここの図書館で働きませんか?」



この夏、カマキリとこの図書館が、私を変える。

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