ひとつだけ、ほんとの言葉を探して

あの夜、眠れなかった。


布団の中で、何度もスマホの画面を見つめては消してを繰り返す。

SNSには「#一ノ瀬さん」なんてタグまでできていて、軽いパニックになった。

まさか桐ヶ谷くんが「彼女」として、私のことを話題にしたわけじゃ……ないよね?

でも、きっかけは間違いなく私の嘘だった。


──ねえ、これって、もう取り返しがつかないの?


「……バカだな、私」


小さく呟いて、枕に顔を埋めた。


次の日、教室に入るなり、女子たちの視線が突き刺さった。


「うわ、一ノ瀬来たよ」「まじで付き合ってんのかな……」


「信じらんない……私、桐ヶ谷くん狙ってたのに」


声に出さなくても、目が語ってる。

「なんでアンタなの?」って。


ああ……私、こんなふうに見られる覚悟なんて、まるでなかった。


それでも耐えて教室に入った瞬間──


「おはよ、一ノ瀬」


桐ヶ谷くんが、あの完璧スマイルで手を振ってきた。


「…………!!」


私の体は一瞬で固まり、教室の空気がパーンと張り詰める。


「すげえ……毎朝、あんなふうに挨拶されるとか……」


「心臓止まる……いやむしろ殺意湧く……」


私はそっと机につき、顔を伏せた。


「……柚葉、大丈夫?」


となりから、慧の声が聞こえた。

いつもみたいに軽い声。でも、今日はどこか優しかった。


「うん……」


声がかすれそうになるのを、無理やり飲み込む。


「てかさ、正直に言ってもいい? 俺、納得いってない」


「え?」


「桐ヶ谷と柚葉、なんで急に? 昨日まで話してなかったじゃん。

……もしかして、何か、あるの?」


その目が、真剣だった。


慧は、昔から私のことになると勘が鋭い。

でも、まさか“嘘ノート”の話なんてできるわけない。


「な、なんでもないよ……」


「ふーん……じゃあ、俺は探るけどね」


「え?」


「……なんでもないっす~」


そう言って笑った慧の顔は、どこかさみしそうだった。


その日の昼休み、廊下で桐ヶ谷くんに呼び止められた。


「一ノ瀬、ちょっと、屋上行かない?」


「え、屋上……?」


「人目、ないしさ。話したいことあるんだ」


──“人目、ないしさ”。

いや、そっちの方が緊張するんですけど。


戸惑っているうちに、私は半ば引っ張られるように屋上へ連れていかれた。


誰もいない屋上。フェンス越しに見える空が、青すぎてまぶしい。

風が吹いて、彼の髪がふわりと揺れた。


「……ここ、誰にも見られないし、ちゃんと話せるかなって」


「……あの……何を……?」


「一ノ瀬って、俺のこと嫌い?」


「えっ!? き、嫌いって、そんな……」


「昨日からずっと、避けてるよね。俺が何かした?」


「ち、違くて……!」


声が上ずって、うまく言えなかった。


「……もしかして、迷惑だった? 彼氏ヅラして」


「……それも違う」


私は、ようやく言葉をつかんだ。


「桐ヶ谷くんは、何も悪くない。全部……私が、勝手に……」


けど、そこから先がどうしても言えなかった。


「……ふーん」


彼は少し考えるように空を見て、それから微笑んだ。


「俺さ、小5のとき、一度だけ願ったことがあるんだ」


「……え?」


「“誰かが俺のことを好きになってくれたらいいのに”って。

……それ以来、何となく、願いは叶うもんだって思ってた」


私は黙って聞いていた。


「だから、一ノ瀬が俺のこと好きだって言ってくれて──嬉しかった」


「…………それは……」


それは、“嘘”だったのに。


ノートに書いただけ。

ほんの、冗談のつもりだったのに。


それを真に受けて、こんなふうに真剣な顔をされたら、どうしたらいいの?


「でも、俺も不思議だと思ってた」


彼は続けた。


「今まで話したこともない一ノ瀬が、急に“彼女”になって。

気がついたら、当たり前みたいに一緒にいる。

それでも……俺は、嬉しかった。

だから、たとえこれが嘘でも、信じてみたいって思った」


私は黙って、拳を握りしめた。


ずるい。

こんなふうに優しくされたら、本気になっちゃうじゃん。


「……ありがと」


ようやく、私は言えた。


彼の嘘を、優しさとして受け止めることしかできなかった。


その夜。


夢の中に、天野詩織先輩が出てきた。


図書室の奥、誰もいない場所で、彼女はノートを持って立っていた。


「柚葉ちゃん、見えてきた?」


「……何が、ですか」


「この世界の“歪み”。ノートを使えば使うほど、世界は嘘に染まっていく」


「……どうして私に……」


「あなたは選ばれたの。嘘を見破る側か、嘘に飲まれる側か」


夢の中の先輩は、ぞっとするほど冷たい笑みを浮かべていた。


「どっちを選ぶの? 柚葉ちゃん」


──私は、目を覚ました。


布団の中で息が荒くなっている。心臓がドクドク鳴ってる。


夢……だったよね?


けれど、その日から私は、廊下を歩くたびに、

クラスメイトたちの目線の中に、**“嘘のような違和感”**を感じ始めた。


まるで、世界そのものが、少しずつおかしくなってきているみたいに──

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