放課後、君の嘘をついた

チョコしぐれ

恋も嘘も、まだ不器用なままで

放課後の図書室は、空気が止まっているみたいだった。


静かで、冷たくて、本のにおいが鼻の奥に残るこの空間が、私は好きだった。


──ずっと、誰にも見つからないままでいたかった。


あの日、奥の棚のすき間で、私はそのノートを見つけた。

擦れた黒い表紙に、金の文字で、こう書かれていた。


「嘘ノート」──このノートに書かれたことは、現実になる。


そんなの、ただのイタズラだと思った。

でも私は、書いたんだ。

ほんの冗談のつもりで。


「私、桐ヶ谷くんと付き合ってるの」


──そして次の日。

世界は、静かに、けれど確かに、変わっていた。


第1章:私、桐ヶ谷くんと付き合ってるの。

「一ノ瀬。おはよう」


廊下に響いたその声に、私は硬直した。


その声の主を聞き間違えるはずがない。

胸の奥にじんわり残っている、あの音色。

夢みたいに甘くて、でも現実の重みをまとった声。


「……え?」


私はゆっくりと振り返った。


そこに立っていたのは、まぎれもなく桐ヶ谷 朔だった。

光を反射するような髪、淡い笑みを浮かべた目元、

制服のネクタイはぴしっと整っていて、非の打ち所がない。


だけど、それよりも――


私に向けられている視線が、まっすぐで、あたたかくて。


「な、なんで……?」


「何が?」


「え、いや……その……」


言葉が出ない。頭が真っ白だ。


「まじ!? 桐ヶ谷くんが!?」「え、嘘でしょ!?」

「えっっ!?今、一ノ瀬って呼んだ?」「てか喋る仲だったの!?」


周囲のざわめきが、嵐のように巻き起こる。

教室の空気が一気に騒がしくなっていくのがわかった。


私はたまらず、机の端を掴んで小さく震えた。

だけど彼は、そんな騒ぎをものともせず、

私の机に肘をついて、さらりと言った。


「今日、帰りに例の文房具屋寄っていこ?」


「…………は?」


「……あれ、昨日話してたじゃん。消しゴム買うって」


その言葉に、心臓がバクバク鳴る。


話してない。絶対に話してない。

だけど──昨日、私はノートに書いた。

**「私、桐ヶ谷くんと付き合ってるの」**と。


目の前の現実が、ノートの嘘とぴたりと重なる。


信じたくなかった。

でも、もう何人ものクラスメイトが私たちを見て、ざわついている。

数人の女子が、信じられないって顔で私を睨んでいるのも見えた。


「え、あの地味子が!?」「てかどこの美少女に変身したの?」


いやいや、変身してないし、地味子は言いすぎだ。


──どうしよう。これ、本当に……現実になってる。


「一ノ瀬、あれ……彼氏できたの?」


聞き慣れた声に、私はぎくりとした。


「……慧?」


振り返ると、そこには隣の席の男子、千歳 慧がいた。

小学生の頃からの幼なじみで、悪友みたいな存在。

いつもニヤニヤしてて、何でも茶化すけど、

本気で怒ると誰より怖い。


「おーい、朔~、柚葉ちゃんいじめないでね~?」


「いじめてないよ。ただの彼氏としての会話だし」


「……うん、それがヤバいんだってば」


慧がぽりぽりと頭をかきながら苦笑する。


「まさか本気で付き合ってんの?この二人?」


「……それは……」


私は答えられなかった。


放課後。私はひとりで図書室に戻っていた。


奥の、本棚と本棚の間。誰も来ない、薄暗い場所。


──あのとき、ここにあったのに。


あの黒いノート。金色の文字。擦れた表紙。

何度も目を凝らすけど、どこにもない。


「おかしい……」


「困ってるみたいだね」


背後から、ひやりとした声がした。


驚いて振り向くと、そこには図書委員の先輩、天野 詩織さんが立っていた。


セミロングの黒髪、瞳の奥が読めない微笑み。

何かを見透かしているような雰囲気に、ぞくりとする。


「嘘ノートのこと、探してるんでしょ?」


「……知ってるんですか、あれ……?」


「うん、もちろん。あのノートは、昔からここにあるの」


「じゃあ……どうすれば元に戻せますか? これ、嘘だったんです。私、遊びで……」


「嘘でも、願いが強ければ、現実になる」


詩織先輩はそう言って、本棚に指をなぞらせた。


「でもね、世界に“嘘”が増えすぎると、本当が壊れちゃうの。

それでも、嘘つきたい?」


「……っ」


私は何も言えなかった。


「嘘をついた人は、最後に“代償”を払うことになる。

それが、あのノートのルールだから」


その言葉を最後に、先輩はふっと笑って姿を消した。


まるで、最初からそこにいなかったみたいに。


帰り道。

夕焼けが街を赤く染める中、私は桐ヶ谷くんと並んで歩いていた。


「一ノ瀬、黙りすぎじゃない? 俺、なんか変なこと言った?」


「ううん……そんなことない。たぶん、こっちが変なんだと思う……」


「え?」


私は迷ったけど、聞かずにはいられなかった。


「……桐ヶ谷くん、なんで私と付き合ってるの?」


彼はきょとんとした顔をして、しばらく黙ってから言った。


「好きだから……って言ったら、信じる?」


「…………」


「嘘だとしても、本気で好きになれたら……俺は、それでいい」


夕日に照らされたその横顔は、まっすぐで、あたたかくて。

だけどそれが、余計に胸を締めつけた。


嘘で始まった恋なのに。

なんでこんなに、苦しいの?


私は、泣きそうな顔を隠すように俯いた。

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