男の正体




男の背中の傷を縫合していく。

患部を避けて、焼酎で消毒をする。 日本酒より安価で度数が高いからだ。



『…首の骨は断たれてないから大丈夫』



傷の深さや、どこを傷つけられたかにもよるが、通常 人は背中の傷程度では死なない。

もし死ぬとすれば、斬られどころが悪かったか、血を失いすぎた場合のみだ。



傷の具合を確認しながら、針で縫合をしていく。 男は意識を失っているからか、呻き声一つ上げない。




『………よし…これで傷を塞げました。 あとはこの人を…』



診療所…雪華堂に運ばなければならない。

だけどこの人の状況からして、あまり他の人には知られてはいけないだろう。

この人が何者なのか、そして敵方が誰か分からない今 この場から動かすことは躊躇われる。



「皐月先生っ! 誰か来たよ…っ」



すると、少し離れた場所で見張りをしていた弥七が 私の方へと駆け寄ってきた。



『…っ…分かりました、弥七さんは隠れていなさい』



「でも…っ…」



『弥七さん…私は貴方の母君から、信頼を置いてもらっているの。 …だからこそ、貴方を危険な目に合わせることは出来ないのです』



弥七の両肩に手を置いてそう諭す。

時間はないから、近くの草藪に弥七を隠した。

まもなく、こちらに足音が近づいてくる。



『………どなたでしょうか』



未だ意識を失っている男を隠すように立つ。



_______ザッ

僅かな月明かりに照らされ 現れたのは、一人の男。 体格がよいからか、いかにも闊歩かっぽというにふさわしい。

網代笠を手で少し上に傾け、顔が露わとなった。



「こんばんは」



右目はややすがめであったが、口元に微かな笑みをたたえた、色白な美男子だ。

身長はゆうに六尺180cmを超えている。



「僕は長州藩医の久坂玄瑞と申します。 そこにいるのは、長州藩士の伊東 安兵衛やすべえ



『……久坂……様』



九条家でも、その名は聞いたことがあった。

久坂玄瑞は、尊皇攘夷派の志士であり 倒幕派でもあった。



何故 京にいるのかといえば、2月21日には朝廷の攘夷決定にもかかわらず幕府が因循いんじゅんしているため、九条邸と同じく京都御苑の中にある、関白の鷹司たかつかさ 輔煕すけひろ様の邸に推参し建白書を提出し、攘夷期限の確定を求めたらしい。



鷹司家も、九条家と同じ 公家の五摂家である。



『長州藩のお方でしたか…』



偶然通りかかったのか、この斬られた男を捜していたのか…どちらにしろ、味方ならば好都合だ。



「手を煩わせ申し訳ない……もしや、医術に精通を?」



私たちの方へと近づいてきて、怪我をした…伊東安兵衛と呼ばれた人の背中の傷口を覗き込んで言う。

傷口といえど、私が縫合をしたあとだが。



『私は皐月と申します、近くの診療所で医者をしております』



「そうでしたか、あリがとうございます」



久坂様はしゃがみ、長い睫毛まつげを伏せると、感心したように頷く。



『…………あの、久坂様。 差し支えなければ、しばらく伊東様を私の診療所で預かりたいと思うのですが』



「よろしいのですか? ご迷惑を…」



『傷は浅いですが、失血が多い。 私が責任を持って、完治させましょう』



当分、九条邸には帰れなさそうだが、傷ついた人を放っておけることなど出来ない。



「…申し訳ないが、お言葉に甘えさせていただきたい」



『…では、私の診療所まで伊東様を運ぶのを、手伝ってはくれませんか』



「勿論です」



『弥七さんも、手伝ってください』



草藪に隠れている弥七に呼びかける。



「お、おうっ…!」




これが、九条皐月と久坂玄瑞の出会いであった。




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